「知性と善性に相関関係無し その6」

松田尊は後悔した。

シノノメのカシラが呼んだであろう増援と、これ見よがしにテーブルに置かれた拳銃に注意を払っていた為に、丸腰のシノノメへの注意をおろそかにした。

その結果、相棒にナイフが突き立つ事態を目の当たりにする事となったのだ。

「シメジ!」と叫んで、動揺にすくむ体を無理矢理動かす。

シメジは椅子にしていたゴミ箱ごと後ろに倒れて、シノノメの下敷きになる格好で仰向けに倒れている。

シノノメは、ナイフを更に押し込もうと、柄の力を込めていたが、間に合わないと悟ると、タケの方に顔を向けた。

「こいつが素人は無理あるやろ」

そう言い残すと、 タケの渾身の蹴りを受けて昏倒した。

「大丈夫か!?」

タケが叫ぶ。

「あっぶねぇ、ナイフ貫通したわ。」

シメジの手にはクズカゴのフタが握られており、その蓋に果物ナイフが突き刺さっていた。シメジはシノノメがナイフを出すと同時に自ら後ろへ体を倒しながら、股下側からクズカゴのフタを取って盾にしたのだ。

「マジかよお前!」

タケが苛立ちと安心の同居したなんとも言えない顔でシメジを小突く。

「いや、タケが包丁片付けた時、スタンドから果物ナイフがなくなってたから、多分この人が持ってんだろうなと思って構えてたんだよ。」

シメジは事も無げに言うが

「教えとけよ!」

タケは不満を漏らした。

「悪い、椅子出せって言われた時に思いついたんで伝える方法が無くて。」

クズカゴを起こし、ナイフが刺さったままのフタを付けた近代オブジェを作成しながら、シメジは頭を掻く。

「あとお前なんかまだ俺に言ってねぇ事あるだろ!」

どこか危機感の無いシメジにタケは苛立っていた。

「それはお互い様だよね?そもそも俺らまだ再開して2時間経って無いよ?10年は2時間じゃ埋まらないよ。」

一瞬の沈黙。

シメジがタケを見る目は静かだった。そしてタケの知るその目は、シメジが持つ知性と行動力の全てを、問題解決に向けている時のものだった。こうなったシメジは昔から、タケに暴力装置として以上の能力を期待せず、またその感情をかえりみない。シメジがそう思っていなくても、タケはシメジが刺されかけたのは自分の手落ちだと思っているし、それを知っていても、シメジはタケに慰めの言葉を吐かないのだ。

「タケはケンカで判断に迷った相手に容赦なく突っ込むクセに、自分も結構迷うよね。変わってない。」

「ウルセェ、いいんだよ別に、それで負けた事ねぇんだから。」

タケはバツの悪そうに目線を下げる。

「ホントにそうだから返す言葉がないんだよなぁ。」

シメジは視線をいくらか柔らかくして、気まずい沈黙を追い払うべく続ける。

「警察呼ぶけど立ち会える?」

「いや、一応仮出所だからちょっとマズい。」

「ちょっとじゃないし既に手遅れの気もするけど、まぁいいや。そのままにしたらシノノメさん、腹いせにこの部屋めちゃくちゃにしたりしない?」

「んな事したら神露会の事務所にキッチリ返してやるよ。」

転がっているシノノメが一瞬ピクリと動いた気がしたが、2人は気にしない事にした。

「じゃ、この人達が起きる前に行くか。」

言いながらシメジは歩き出す。寝室からリュックを1つ持ち出すだけで、荷造りは済んでいた。

「アテあんのかよ。」

「それ今言うのマズいでしょ。」

2人は足早に、鍵も掛けずに部屋を出た。


マツタケシメジが部屋を出た直後、シノノメは体を起こして軽く頭を振る。脳震盪で体が上手く動かないが、五感は生きている。2人の会話と、部下のポケットから車のキーを抜いた音は聞いたし、遠くで車のロックを解除する音がした。キーさえあれば車の位置が分かるのだから「車屋」の仕事はやりやすくなったものだ、とシノノメは呑気に考えていた。自分が仕事をされる立場なのは、彼にとってはいただけない話であったが。


シノノメはマツタケを舐めていた。地下格闘界で知らぬ者なしの剛腕を、自身がどうにかプロデュース出来ないかと歯噛みして、当て馬に丁度いいマッチを組んでみたものの、ついぞ選手であるタケには接触出来なかった。


タケのホームグラウンドを摘発させて居場所を奪えば取り込めるかと算段したら、出所から1週間もしないうちに行方をくらませ、あろうことか自分の前に立ちはだかったのだ。


動かない手でスマホを鳴らして増援を呼ぶと、同時にGPSを起動して車の行方に目を配る。


舌打ちを一つ。増援の待機場所は、シノノメの車の進行方向とは真逆だった。


他の組が強盗や強襲に闇バイトを使う中、シノノメは子飼いの部下を使い捨てにしなかった。信頼と教育による淘汰が、仕事の精度を上げる事を、シノノメは信条としていた。故に、シノノメは数に頼る戦術を取らない。


「カシラ、すんません、足止めも出来ませんでした。あいつらが車動かせんように、車の上で伸びたフリしとったんですけど、あっさりコッチの車パクられましたわ。」

部屋の外から声を掛けて来たのは、この部屋で一番最初にマツタケシメジを出迎えた男だった。足を引きずり、折れて肩から外れた腕を抱えながら現れた彼は、名を佐尾山という。

「いや、相手が悪いわ、それよりすまんな、『鍵屋』の腕へし折らしてしもた。」

佐尾山はピッキングのプロで、空き巣の技術も一級品だ。居直り強盗はやらないので、腕っぷしは一段落ちるが、身のこなしはそれなりに利く。


とはいえ、2階から落ちた奴が一番先に目覚めるのだから、やはりマツタケの暴力は桁違いなのだと、シノノメは改めて戦慄した。

「ええんです。どのみちしばらく仕事になりませんし、ムショには自分が行きますんで、カシラは早よ退いて下さい。」

佐尾山は神妙な顔で言う。こういう生真面目な犯罪者こそが、シノノメの精鋭部隊なのだ。

「いや、アイツらはサツ呼ばんかった。」

佐尾山は驚愕と安堵とを織り混ぜた味わい深い顔をして、シノノメを破顔させた。

「せやけどアイツらサツより怖いで。俺はアイツら追うけど、佐尾山、お前コイツら起きたらこの部屋綺麗に片して撤収してくれるか?部屋汚して帰ったら、アイツらウチの事務所にカチコんで来るらしいわ。」

佐尾山は表情を変えないまま、素直に頷く。

「カシラが言うならそうさしてもらいますけど、あのトラガリいう奴、そんなごっつい奴なんですか。」

「なんやお前、知らんのか?アイツはホンマモンの虎殺しやぞ。昔地下でやっとった虎に人間食わすイベントにシャシャり出て来て、その虎絞め殺したんや。」

「その話なら聞いた事ありますわ、その虎飼うてた大陸系の連中も、その後血祭りやったいうて。それがアイツでっか。」

「せや。そん時にアイツは虎に頭齧られて、傷のところだけ毛が生えんようになってもうたんや。」

「なるほど、そんであの虎刈り頭。」

「シャレ効いとるやろ。」

「シャレになりませんね。」

「誰が上手い事言え言うてん。」

シノノメがツッコミを入れつつ、佐尾山の肩を元の位置入れる。激痛に顔を歪めて呻く佐尾山をニヤニヤと眺めるシノノメのスマホが鳴った。

「ほな行くわ。」

「お気をつけて。」

険しい顔で言う佐尾山を置いて、シノノメはマンションを出て、すぐ先に停められた車に乗り込むと、運転手に行き先を指示する。

マツタケシメジの乗った車は、数キロ先のコンビニに停まっているようだった。

「見つけてもすぐに追い込まんでええぞ、距離取ってチャンスを待つんや。」

シノノメはコンビニの手前で車を停めさせて、再び動くのを待つ算段だった。

ところが、コンビニの中を確認に行った部下が戻ると、コンビニにはそれらしき人の姿は無いという。

無論、車内には誰も乗っていない。

「これオタクらの車?ウチは店の客でも20分以上の駐車お断りだよ。」

コンビニの店長らしき男が言ってくるが、本職のヤクザに睨まれると、いくらか怯んだ様子だった。彼が指差す先には「不法駐車お断り、罰金1万円」の文字があった。

「なぁ。こんな田舎で駐車時間制限するコンビニ珍しいよな、なんでなん?」

シノノメは親しげに店長に訊ねる。

「ああ、お兄さんこの辺初めてかい?地図だとちょっと距離があるように見えるけど、最近駅の改装があって、改札がすぐそこなんだよ。だからこの間からここに車停めて電車に乗っちまう奴が多くてさぁ。」

確かに、GPSの地図とカーナビの表示では、すぐそこに駅がある事になっている。

しかしシノノメは、マツタケシメジが電車を使う事を考慮に入れなかった。そのつもりなら、奴の部屋の最寄り駅を車で通り過ぎる理由が無いからだ。

遠くから電車の近付く音がする。

「なぁ、この電車の一本前って何分前?」

「ここは急行が停まる駅だからね。何も無い田舎にしちゃ珍しく15分に1本は電車が来るのさ。」

シノノメの目配せに、部下の1人が駅へと走る。しかし、恐らくこの電車に乗る事が出来ても、中に2人は乗っていないだろう事に、シノノメは気が付いていた。図ったように直前の鈍行に滑り込めるタイミングで駅に到着して、悠長にホームで急行を待っているはずが無いし、鈍行なら何処で降りたかを特定する事も難しい。


シノノメは考察する。

この手段は地元の交通事情を熟知した上で、この事態を想定している者にしか取り得ない。

つまり、この逃走はシメジの主導で行われているし、この追っ手の撒き方は、やはりカタギのそれでは無い。

「なるほど、ありがとな。」

ご丁寧にシノノメの車は窓が薄く開けられ、そこから中にキーが放り込まれて、助手席に鎮座している。

「悪いけどな店長さん。インキーしてしもて車動かせんのや、鍵屋が来るまで車置かせてくれへんか?」

シノノメは財布から1万円札を出して店長に差し出す。

「いえ、お困りのようでしたらそのお金は頂きませんので、代わりに何か買って行って下さい。地域限定のスナック菓子なんかオススメですよ。」

店長の笑顔は、ヤクザに向けるそれとしてはあまりに朗らかだった。

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