第28話 「神様には俺が謝ることにしよう」

 零斗とカルラの楽しい地底探検は開始から24時間を経過していた。


 地下下水道の大動脈は、学園の地下を50kmかけてぐるりと1周するらせん状の構造体。1周するごとに100mだけ地下へと潜っていく。それを繰り返すこと13周。M階層と呼ばれる領域まで進んでいた。

 二人にとっては延々と車の荷台で揺れ続けるだけの時間である。変わり映えのしない風景。地下通路に照明はないが、壁自体がほのかに発光していた。


「きっと大丈夫だよ。なんとかなるって、うん」


 仏像のように微動だにしないカルラに、零斗が声をかける。


「私を励まそうとしているんですカ? それとも、藤原さんが不安で仕方ないのでしょうカ」


「もちろん先輩が元気でいてくれるのが一番だ! 俺の不安なんてのは二の次っすよ」


「やはり、不安なのですネ。 貴方を無事に地上に返すと約束しましたが、それでは足りませんカ」


「でも先輩がまた殴られたら、俺はどうすりゃいいんだよ」


「何も。私は殴られても仕方ない人間だってくらい自覚はありますヨ。」


「先輩は俺をずっと励ましてくれてるじゃないですか。それはヘイローって奴に関係する話なんですか!? ソイツがこの下水道の先にあるんだよな」


「……」


 カルラは黙って天井を見つめる。零斗もそれ以上の何かを聞くことは諦めていた。


 そんなやりとりを何十回も繰り返していた。

 音がない。車輪の軋みと自分たちの呼吸音以外、世界に何一つ存在しない時間が続く。


                ◇


 時が経つにつれ緊張も緩み、零斗も退屈しのぎに雑談を始める余裕が出てきた。


「神様がね、先輩の話をしてたよ。子供の頃は、いつも自分の後ろを追いかけてきたって。それがとても可愛らしかったってさ、懐かしそうに」


「まぁ……一夜の後ろを付いて回っていたのは嘘ではないですネ」


 零斗は彼女の緊張がわずかにほぐれたことに気付いた。


「先輩と神様って幼馴染の親友って奴なんだな」


「ン……まぁ」


「神様ってぜんっぜん自分のこと話してくれないんだよ。先輩が代わりに教えてくれないか」


「答えられることなら、答えないでもないですヨ」


 いつものようにだんまりかと思っていたが、予想外に前向きな回答。

 しかし同時に、カルラは視線を外すと膝を抱えて俯いてしまう。


「神様って昔からあんな感じだった?」


「あんな感じとは、どんな感じですカ? 人見知りせず誰とでも仲良くなる、自由奔放でおせっかい、そしてどこか間が抜けている。性格はずっとあんな感じですヨ。見た目に関してはすっかり変わってしまいましたね。昔は本当に絵本の中のお姫様のような恰好をしてましたヨ。」


 カルラの穏やかな口調を聞くだけで、二人が今でも互いを大事に思っていることが伝わってくる。


「九十九里浜て奴から聞いたんですよ。神様は家族を亡くしてからおかしくなってしまったんだって。でも俺はおかしくなったとは思えない。もっと本音を話して欲しいんだ」


「『普通であること』を他人が決めるなんて傲慢だと思いますけど。だけど私も恰好を付けたところで、元の一夜に戻ってほしいというのが本心なのですから、世話ないですネ

「私は、一夜について他人が知りうることはすべて知っているつもりですヨ。半分は推論ですが一夜が何を考えているのかは何となくわかります」


「知りたい! 教えてくれよ」


「ふうむ。聞きたいというのなら語ってもよいですヨ。でも、本当にそれでよいのですカ?」


 カルラが顔を上げ、零斗の顔を見つめる。


「何か問題でも」


「貴方は一夜と一緒にいるんです。だったら、彼女自身から聞くべきじゃないですカ」


 一緒にいられるんです、カルラは本当はそう言いたかった、零斗はそう確信していた。


「了解。それは先輩が正しいや。聞かなかったことにして欲しい」


 でも、神様は絶対に自分のことを話そうとはしないだろうな……なら、俺は聞き出せるようになるまで一緒にいるしかないか。


「九十九里浜の奴がね、中等部の頃はみんなの憧れだったって言ってたんすよ。まぁ、美人であのスタイル、昔はもっとお嬢様ぽい感じだったのなら、本当に完璧だなと思っちゃうよな。


「九十九里浜君ですか。ああいうのにも一夜は優しかったんですよネ」


「ああ、そういえば図書委員長も、そんな感じの美人でした。みんな同級生だったんですよね」


 図書委員長の十和凪子、彼女は入学式で在校生代表を務めていた。

 黒髪ロングの古風な美人で、その美貌は一夜に匹敵する。大和撫子然とした慎ましさと芯の強さを両立させた独特の雰囲気は、新入生全員に鮮烈な印象を残していた。


「はぁ? 藤原さん、今、何か言いましたか。凪子、十和凪子。あのくそビッチと一夜がなんだっていうんですカ。似ているなんてありえまセん。断じてあり得ません。いますぐ断髪なさい。断罪されて、そのまま断頭台行きです。二度とあのゴミ蟲の名前は出さないと誓って下さい」


 感情的なカルラ、また一つ彼女の新しい一面を垣間見た零斗。


「ごごごごごごめんさい。あ、あ、あのですよ。入学式の時、彼女が祝辞をくれたんですよ。『この学園では皆さんが主役です。一人一人に必ず輝ける場所があります』って。その言葉が俺の心に突き刺さったんです。それがすべての始まり――」


その言葉がやがて『写真の彼女』と出会うきっかけにもなったのだけれど、今はそんな話をしている場合じゃない。


「ああ、そうですカ。如何にもあの女の言いそうなことです。心の中では欠片もそんなこと思ってないですヨ。すべては口から出まかせの美辞麗句。慇懃無礼の四六駢儷体。心の中では、十把一絡げの生徒たちの輝く場所なんてトイレの電球の代わりくらいだと思ってますヨ、あの野郎は。そもそも、あの女に他人という概念があるかどうかも疑わしいです。あーあー男どもは皆、ああいう猫被りの黒髪ロングの前髪ぱっつん女が好きなんですかネェ」


 湧いて出てくる言葉が止まらないといった様子だ。

 どうしよう、これ止めないといけないのかなと零斗がたじろいでいると、そこでいきなりカルラが抱きついて来た。


「しばらく、このままでいてください」


 え!? 発情期は突然に‥‥‥。

 そうではない。カルラは零斗の首元にゆっくりと腕を回し、顔を近づける。


「私とキミ、二人だけいれば、それでいいですよネ」


「カルラさん……俺、どうすれば――」


 カルラは背中に回した腕を元に戻すと、何事もなかったかのように距離をとる。

 その右手の二本の指で何やら米粒よりもずっと小さなナニモノかを挟んでいた。

 零斗が言葉を発しようとすると、口に指をあてそれを遮った。

 カルラは手に持った極小の機械に向かって、わざとらしいそぶりで話しかける。


「あと1時間もすれば、そこからは徒歩になります。そこから徒歩で10時間。目的地にたどり着くことになりますよ。そうなれば私たちはもう自由です。だから、それまでずっと一緒にそばにいてください。そばを離れないでくださいね。藤原君が一緒にいれば怖いものはありません」


 そこまで言うと絹のハンカチを取り出し、機械を包み込む。


「自由にしゃべらせて、ちゃっかり監視はしています」


 ほうと感心するだけの零斗。


「いいデスか。時間もありませんので端的に。ちょうど真ん中あたり、徒歩5時間過ぎたあたりで合図をします。そしたら、そこにある横穴に飛び込んでください。何も考えず」


 小さな声で耳元でささやく。


「横穴の一番奥まで進んだら左右に道が分かれています。そこでさようならです。私が囮になりますから、反対の道を言って下サい。とにかくまっすぐ進むのです。必ず助けが来ます」


「りょ。でも、さよならはなし。二人で逃げよう」


 カルラはため息をつく。最後の最後で段取りを乱されることを、心底嫌がっている様子だ。


「いいですか。ここまでは私の義務です。貴方を助ける最善の策を用意しました。私は善人というわけでないのですヨ。そこから先は、私自身の安全を優先します」


「りょ。それでいい、それでいこう」


「本当に分かっているのですか。もし、『彼女』のこと考えているなら、貴方の行為は何の意味もありません。むしろ今はここから逃げることを優先すべきです」


「そうじゃない。俺は先輩を置いて逃げるなんてできない。それは当然のことだ。カルラさんは頭がいいから、そんな単純なことを忘れてしまうんだ」


 彼女が『クルルカン』に殴られた時の光景がフラッシュバックする。

 カルラは全く納得できないと零斗を睨みつけるとハンカチの中から機械を取り出し、それを再び零斗の襟元に戻した。


「私のいう通りに行動すれば、何も心配ありません。絶対にうまくいきます」


「そうだね。君の想い通りにいかないのだとすれば、全部俺のせいだろう。そのときは神様には俺が謝ることにしよう」


「ああ、藤原さん。なんて情けない顔をしているんですカ。ここまでは後輩だと思って面倒を見て来ましたが、ここからは対等ですヨ。余計なことをしてアイツらを怒らせてもすべて自分で責任を負うことですネ」


 零斗は、頬を膨らませるカルラを見てニヤニヤと笑いが止まらなかった。

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