あのねろっとした奴

そうざ

The Slimy Guys

              1


 頭に見えない金輪を嵌められているみたいだった。痛みには遠いけれど、おでこ分銅ふんどうを載せられているのかと思ったら濡れタオルだった。

 天井は僕の部屋の天井で、ベッドは僕のベッドだった。

 ――寝かされたんだ――

 カーテン越しの光が朝日なのか夕日なのか、よく判らない。

 クラスメートの顔が浮かんでは消えて行く。今頃、何処で何をしているのだろう。バスの中か、電車の中か、食事の時間か、観光の時間か。楽しい修学旅行の最中なのは間違いない。

 自分自身に向けた何度目かの掛け声で、僕はやっと重い身体を起こした。魂だけが抜けたかもと感じたのは錯覚で、何とか立ち上がる事が出来た。


 昨日の夕飯の後だ。急に頭がくらくらして寒気もした。

 昼間は何でもなかったのに、皆で生まれて初めての修学旅行を想像して盛り上がっていたのに、体温計が僕を病人と決めてしまった。

「明日の朝に熱が下がってたら、旅行に行っても良いよね?」

 大人しく横になった僕に、両親の言葉は温かくて冷たかった。

「駄目よ、大事を取って家で安静にしてなくちゃ」

「そうだぞ、旅先でぶり返したら大変だ。先生方やクラスメートにも迷惑が掛かる」


 ゆっくりと階段を下りて、リビングのドアを開けた。

 誰も居ない。キッチンにも人気ひとけはなかった。

 時計が十三時台を表示していたので、朝でも夜でもない事は判った。昨日の夜からたっぷり寝ていたようだ。

 お父さんは会社、お母さんはスーパーでパートだろう。いつもと何も変わらない。

 冷蔵庫のオレンジジュースをラッパ飲みしたら、からからだった喉が生き返った。頭の金輪も外れた。もう熱は下がったに違いない。

 キッチンに食事の用意はなかった。いつもだったらおやつくらいは置いてあるのに、僕がぐっすり寝ていたからだろう。そうと判ると途端に腹の虫が鳴き始めた。

 コンビニくらいの距離ならば、病み上がりの身体でも行って帰れるだろう。僕はいそいそと部屋に戻り、寝汗の臭いが残る服を着替えた。


              ◇


 秋晴れだった。日差しは適度に眩しく、空気は程好く乾いていた。絶好の修学旅行日和だ。やっぱり悔しい。

 ニュータウンの街路は静かだった。野良猫くらい歩いていても良いのに、人っ子一人居ない。

 他の学年はまだ授業の時間だ。修学旅行に行けなかった腹癒せに、お勉強ご苦労様、と毒突いた。

 風に乗って音楽が聴こえて来る。軽快なリズムとテンポ。時偶ときたま、歓声みたいなものが混じる。

 何処かで運動会でもやっているのだろうか。僕の学校でない事は確かだけれど、町内でそんな催し物があるとも聞かない。

 ――えっ?――

 コンビニは閉まっていた。

 入り口に赤い大きな文字で臨時閉店中と書かれた貼り紙があり、よく見ると、午後一時から午後五時まで、との但し書きがされている。こんな事は初めてだ。

 次に近い店となると、ニュータウンの端にあるスーパーだ。でも、そこはお母さんが務めている。店内で僕を見付けたら、寝てなきゃ駄目でしょ、と言うに決まっている。それでも、腹の虫はむずかる。

 ――広い店だから何とか目を盗めるだろう――

 僕は病み上がりである事をすっかり忘れていた。


 こんな偶然があるだろうか。

 スーパーも臨時閉店中だった。しかも、午後一時から午後五時までの時間帯に限ってと表示されている。店内を覗いても、主な照明が消されていて店員の姿も見えない。駐車場にもほとんど車が停まっていない。

 ――お母さんは何処に居るんだろう――

 周辺を確認していると、店の前を横切る主要道路の先に通行止めの柵が置かれているのが見えた。道理で何も走っていない訳だ。

 相変わらず、軽快な音楽が聴こえる。あそこ・・・には人が居る筈だ。誰でも良いから人に会いたいと思った。もう他に行く場所がない僕は、自然と音楽に導かれていた。


              2


 ニュータウンの中心部に小山がある。僕達はそのまま『小山』と呼んでいる。

 古い小さなやしろがあるからか、開発の手が伸びていない。僕達の格好の遊び場になっていた。綺麗に整備された公園よりも、土遊びや虫捕り、かくれんぼや鬼ごっこと何でもありな感じが魅力的なのだった。

 それがつい最近、いよいよ造成が始まって立ち入り禁止になってしまった。それからは轟音を出して蠢く重機を恨めしく眺めながら登下校をしている。

 音楽はその『小山』から流れて来るようだった。

 既に木々の一部が切り倒されていて、背の高い金属板が張り巡らされていた。中の様子はまるで判らないけれど、確かに話し声や掛け声がする。

 そう言えば、いつもは騒がしい重機の音は今日は全く聞こえない。僕の脳裏に、工事関係者が仕事をサボって酒盛りをしている光景が浮かんだ。まさか、町の人達も加わって慰労会か何かをやっているのだろうか。

 社の参道になっている短い階段を上り切ると、そこからは子供達が作った、子供達しか知らない獣道みたいなルートが土手の上に続いている。

 そこを上ると、草生くさむした原っぱに出る筈だった。けれど、今は端から端まで金属板で遮られていて、そこから先へは行かれなくなっていた。

 金属板の内側で陽気な音楽が鳴っている。人の騒めきも色んな会話の内容までが判る距離だった。

「そっち、そっち行った!」

「あぁ、クソッ!」

「すばしっこいなぁ」

「ちょっと休ませて」

「これで少しは痩せられるかしら」

「定期的にやんないと無理だねぇ」

 小父さんの声。小母さんの声。子供の声はしない。

 ――大人の運動会?――

 大勢がはしゃいでいる。童心に返る、という言葉が浮かんだ。

 金属板の繋ぎ目には僅かに隙間があった。そこに片目を当てると、内側に緑は見えず、赤茶けた土が露出していて、運動場のように整備されていた。

 遠くに白いテントが見える。運動会でよく目にする、大人達が悠々と観覧する場所のようだった。実際、パイプ椅子で休んでいる人影も見えた。

 時折、視界の直ぐ側を人が右へ左へと駆け抜ける。鬼ごっこでもしているのか、絶えず土煙が舞い上がっている。

 僕はもっとよく見える箇所を探して金属板沿いに移動した。

「そりゃ!」

「やったーっ!」

「これで三匹目だ!」

「凄~い!」

「俺なんかまだゼロだよ」

「私も全然、駄目」

 最後の声は両親――のような気がした。お母さんだけでなく、会社に行っている筈のお父さんまで居るなんて、どういう事だろう。

 やっと金属板と地面との間に大き目の隙間を見付けた僕は、地面に這いつくばった。やっぱり片目でしか覗けなかったけれど、さっきよりは視野が広がった。

 土埃の中、色取り取りのトレーナーやジャージ、スニーカーが忙しく行き交っている。

 ――あれっ?――

 運動着の足に、時々運動着ではない足・・・・・・・・が交じる。気泡が浮いた硝子細工のような、半透明の細い足が右往左往している。思わず目を擦ったけれど、確かに見える。しかも、何人も居るようで、空き地の彼方此方あちこちで逃げ回っている。

 ――やっぱり鬼ごっこだ――

 遠くの方で、数人の人影が地面に倒れ込んだ。数人掛かりで鬼を捕まえたようで、一気に歓声が上がった。

 よくよく見ると、大人達は太い棒を手にしている。皆が雄叫びを上げた次の瞬間、その棒を捕まえた鬼に振り下ろした。

 棒は柔らかい素材で出来ていて、罰ゲームとして鬼を軽く叩いて終わる――のかと思ったら、やけに重たく鈍いその音は鳴り止まなかった。誰もが取り憑かれたように叩き続ける。これが童心に戻るという事なのか。

 一ヶ所で鬼ごっこが終わっても、別の場所では別の鬼ごっこが続いている。声援や雄叫びが途切れる事はなかった。

 その中の一群が土煙を巻き上げながら僕の方に走って来た。追い掛けられているのは、例の半透明のねろっとした奴・・・・・・・だった。よれよれに見えるのは、もう疲れ切っているからだろう。

 奴が派手に転んだ。

 沢山の足が寄り集まって奴を取り囲んだ。

 土煙の中、次々に棒が振り下ろされる。間近で聞くその音は、耳を塞ぎたくなるような重たい嫌な響きだった。

 奴は声一つ上げない代わりに、地上に這い出た蚯蚓みみずのように身をくねらせ続ける。

「この野郎! こんにゃろっ!」

「いっひひひ~っ!」

「くたばれっ! くたばりやがれっ!」

「どうだ! これでもか!」

「死ね! 死ね!」

 そこに両親の声も混じっている気がして、僕は耳を塞いで懸命に息を殺した。


              3


 僕は、地面から数ミリ浮いたような感覚のままベッドに倒れ込んだ。一旦は乾いた汗がまた吹き出してまた乾いた。

 不安と気味の悪さと吐き気とが交互にやって来る。熱がぶり返したのは確実だった。単なる風邪であんな変な幻覚を見るものだろうか。何万人に一人くらいの奇病に罹って頭がおかしくなったのかも知れない。

 寝て起きれば全てが嘘になるような、そんな期待をしながら僕は寝返りを続けた。


「どう? まだ怠い?」

「……よく分かんない」

 目が覚めた時にはもう翌日の朝になっていた。前日は昼間まで寝ていたのに、まだ寝る気力があったのは意外だった。

「じゃあ、もう一日だけ休みなさい、ね」

 お母さんはやけに優しかった。普段は怖いという訳ではないけれど、やけに優しく感じた。

 暫くぼうっとした後に居間へ下りると、お父さんもお母さんも仕事に行く準備を済ませていた。僕は用意されていた朝食にがっついた。昨日からろくに食べていない事に改めて気付いた。

「あぁ、あたたた……」

 お父さんが腰を叩きながら身体を捩った。相変わらずの太鼓腹でワイシャツはぱつんぱつんだ。

「私もよ、ちょっと動いただけで」

 お母さんが首や肩を回しながら同調した。

「でもさ、翌日に痛いって事は若い証拠じゃないか?」

「そうね、お互いまだまだ若いって事でっ」

 二人は笑いながら玄関の方へ消えた。

 思えば、うちの両親が喧嘩をしている場面は見た事がない気がする。仲が好いのが当り前なんて、こんな幸せな事はないのだろう。僕は一人、トーストを千切りながら誰も居ない室内をぼんやりと眺めた。

 視線の先に違和感があった。テレビの横に小さなトロフィーが飾られている。僕は台座に書かれた文字に目をやった。


『ねろ駆除杯・袋叩き部門 チーム優勝』


 部屋に差し込み始めた朝の光がトロフィーに反射し、金色の矢になって僕を威嚇した。

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