暑い日にまぼろしを見る
@yokonoyama
第1話
梅雨が明けた晴天の土曜日、午後2時。
うちに客が来た。高村という、知り合って16年経つ友人だ。
高村は百貨店に勤めている。催事、物産展担当のバイヤーだ。全国各地への出張が多く、ご当地スイーツなどを見つけると、お土産に持って来てくれる。しかし、今回は手ぶらだった。残念だが、土産話に期待しようと思う。
椅子に座った高村に、私は聞いた。
「飲みものは、何がいい?」
「熱いお茶」
聞いておいてなんだが、熱いものを言われるとは思わなかった。今日の最高気温は34℃で、外は暑い。よく見ると、高村の着ているTシャツは、濡れたようになって肌に張りついている。
「駅から歩いて来たの? タクシーを使えばよかったのに」
「ああ、うん」
高村は、気のない返事をした。部屋はエアコンが効いている。彼は、濡れたTシャツで涼しい部屋に入り、体が冷えたから熱いお茶が欲しいのか。風邪をひいてはいけないから、着替えでもさせたいところだが、あいにく、サイズの合うものがない。
私は、何年か前に高村に教えてもらった鹿児島県産のお茶を淹れ、おしぼりをテーブルに置いて、彼の正面に座った。
高村は、話しを始める。
「俺の行っていた高校で伝わっている話だ」
出張の話でもないようだ。以前、私が小説のネタを探していると言ったせいかもしれない。
「グラウンドの隅に、木造の用具倉庫があるんだ。陸上部のハードルやサッカー部のボールなんかを置くための倉庫なんだが、そうだな、広さはこの部屋より少し狭かったかな」
この部屋は12畳ぐらいだ。
「俺が入学する前は、用具倉庫の中には電灯がついてなくて、引き戸を閉めると、昼間でも中は真っ暗になった」
昼間でも真っ暗ということは、用具倉庫には窓がないらしい。
「陸上部は県大会の日が迫っていて、日が暮れても練習していた。グラウンドには照明設備があるから、その光で用具倉庫の中はかろうじて見えた。顧問の先生は、使用していた用具を倉庫に片づけるよう部員に指示を出して、先にグラウンドから去った。2、3年生は片づけたりしない。当然、1年生がやることになる」
「1年生は何人いたの?」
私は、いつもと違う話に興味が湧いて質問した。
高村は首をひねった。
「何人かは、わからないな。この話に、部員の数は関係ないんだ」
「ああ、そう」
「片づけをしていた部員の中で、作業の遅かった女子生徒が1人いてね。彼女が最後の用具を倉庫に運び込んだ時、突風で倉庫の扉が閉まったんだ。グラウンドを後にしようとしていた1年生の部員全員が、彼女の悲鳴を聞いて用具倉庫に駆けつけた」
私は、うんうんと頷いた。高村は話を続ける。
「倉庫に取り残された女子生徒は、真っ暗になったのにも驚いたが、それよりも、倉庫内で『何か』に肩をつかまれたことに恐怖して、悲鳴を上げたんだ。自分以外、倉庫には誰もいないはずなのに」
「いやぁ、怖い話じゃないの。私、怖い話、怖いから嫌やのに」
私は部屋を見まわした。霊感などないので、別に何か見えたりすることもない。室内に変わったところもなく、安心する。
「そんなに怖がりだったか?」
「一生懸命、怖い話は避けて生きてきたの。知りたくないけど、一応、聞いておくわ。女子生徒の肩をつかんだ『何か』って、何?」
「わからん。ただ、それ以来、用具倉庫は出る、という話が校内に広がった」
それは、そうだろう。あっという間に広がったに違いない。しかし、私は『何か』とは別に引っかかることがあった。
「それ、何年くらい前の話なの?」
「はっきりわからないな。でも、そんなに昔からある学校じゃないよ。それが、どうかしたか?」
「ううん、用具倉庫がどれくらい前からあるのかなぁ、と思って。古いから建て直したとかない?」
「いや、建て直したというのは、少なくとも俺は聞いたことがない。気になるなら、高校に問い合わせればわかるかもしれないが」
「そこまでしなくていいよ。あのさ、突風で引き戸が閉まるかな」
「え?」
「高村さんが、言ったんだよ。倉庫は引き戸。突風で扉が閉まったって。引き戸ってさ、ガラガラって開け閉めするスライド式のドアだよね」
私は右手を横に動かして、エア引き戸を開けて見せる。
「あれ? そうだな。確かに言われてみれば、いくら突風でも引き戸が閉まるのはおかしいな」
「なんか変だよね。倉庫は引き戸じゃないんじゃないの?」
「俺は卒業生なんだから、実際の用具倉庫を見ている。引き戸で間違いない。でもなぜ、引き戸は閉まったんだ?」
「いや、知らんよ。他の部員はみんな、悲鳴を聞いて駆けつけた。それなら、いたずらで引き戸を閉めたっていうこともないだろうし」
「女子生徒の自作自演か?」
「何のために? 何年も語り継がれた話だろうし、内容が変わってきてるのかもしれないけど」
「それにしたって、おい待て、『何か』が引き戸を閉めたっていうのは、どうだ?」
「嫌やなぁ。私はこの怖い話を、なんとかして作り話だと思いたいのよ。だからもう話を広げなくてもいいじゃないの」
こんなことなら、北海道のカニコロッケがおいしかったとか聞かされる方がいい。
「話はまだ終わりじゃないんだ。用具倉庫に出るという噂は、一時は全校生徒に広まったが、何年かすると忘れられ、用具倉庫を使う陸上部とサッカー部だけで伝えられるようになる」
私は頷く。
「そして、ある時を境に、用具倉庫に出る『何か』が『女子生徒』に変化した」
「ふうん。そりゃ『何か』より『女子生徒』の方が、なんと言うか、語りやすいし。あれ? じゃあ、これって女子生徒が女子生徒に肩を掴まれたっていう話なの? だったら1人で倉庫に取り残されたのが勘違いで、実は2人でした、みたいな」
「そうじゃない。さっきの話に、これから話すことが追加されるんだ」
「あ、そうなの」
「話が変化したきっかけを調べた奴がいる。『何か』出るという話のせいで、陸上部の部員は日が暮れてからの片づけを嫌がって、それを下級生で生意気な奴だとか、練習をさぼった奴だとか、そういう部員に押しつけるようになったんだ。いじめみたいなもんだな。それがエスカレートして、女子生徒が1人自殺している。用具倉庫に閉じ込められたそうだ。泣き叫ぶ声を聞きつけて、サッカー部の部員が助け出したらしい」
「まさか、用具倉庫で自殺した?」
「いいや。閉じ込められたこともそうだろうが、友達だと思っていた同級生の部員が助けてくれなかったのが、よほどショックだったんだろう。精神的に不安定になって、自宅のマンションから飛び降りた。それ以来、用具倉庫にはその女子生徒の霊が出るらしい」
「ちょっと待ってよ。出るものの追加やんか」
「そう。だから、うちの高校の用具倉庫には、気をつけてくれ」
「絶対、行かへんわ。いや、待って高村さん、その話もおかしい。女子生徒が亡くなってるのは気の毒だけど、マンションで自殺しているのに、用具倉庫に出るっていうのは変じゃない?」
「霊はどこへでも行けるんじゃないのか」
「そういう問題じゃなくて、用具倉庫は女子生徒が怖くてつらい思いをした場所でしょ。どうして、わざわざそんな所に行かなきゃいけないの」
「こういう解釈はどうだ。用具倉庫に出て、自分をいじめた奴をおどかしてやろう」
「悲しすぎる。出たって、いじめた子たちに見えるかどうか。だいたい、霊感がないと霊は見えないんでしょう?」
「いいや、違う。見えない人にも、見せることができるんだ」
「どういうこと?」
高村は、私の質問には答えず、湯呑みを見つめている。お茶はすっかり冷めてしまった。私はお茶を淹れ直そうとして、立ち上がった。
「熱いお茶がいいんだよね?」
「どうだろう? 冷たいのにしようかな」
「どっちも用意できるよ」
「熱いのか、冷たいのか、わからない。どっちがいいか、わからないんだ」
どうしたの? と言いかけた時、テーブルに置いていた私の携帯電話が鳴った。画面を見ると、高村の妹の名前が出ている。たまに文字でやり取りをしているが、電話とは珍しい。不意になんとも言えない、不安な気持ちになった。私は、ちょっとごめん、と言って高村に背を向け、電話に出た。高村の妹は、慌てていた。ひょっとしたら、私じゃなくて高村を探しているのかも。
「もしかして、高村に」
私の言葉はさえぎられた。
『聞いて、聞いて、警察から連絡があって、兄さんがおぼれたの。海でおぼれて……』
うそ。
だって、高村は、ここに。
私は振り返った。
高村の姿はあったが、透けて向こうが見えている。それから、霧のようにゆらめいて、消えた。
私は混乱して声も出ない。急に部屋が冷たく、寒く感じた。水の中にいるようだった。
(了)
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