潮風の国④

 番頭に連れられて、奥の個室へ。表は大衆居酒屋という様相だったけれど、奥はしっかりとした造りで、恐らく富裕層を相手にする場所なのだろう。完全な密室だし、秘密の商談にはぴったりだ。

「しろじぐねがれます」

 黒髪の少年が入ってきた。少し恐縮している感じ。

 というか。

「何語!?」

「何語だろうねぇ…」

 少年は居心地が悪そうにもじもじしている。困り果てている感じ。

「椅子、ってわかるかしら?」

「いす、わろしらな」

 分かるみたい。ある程度は単語を覚えたのか。一カ月無為に過ごしていたわけでは無いらしい。

「ウォー、カマン、シー、ヒア?」

 大陸語。彼は首を傾げた。

「ディ、ドベ、セイヤ?」

 今度はシルバ語。これもダメか。ゆっくり言ってみたのだけれど。確かに、これは難敵だ。

「なまえ、わかる?」

 ベルが聞いた。

「なまえ?」

 彼が頷いた。理解できるらしい。

「キンジョウ、タケシ」

「タケシ…でいいかしら?」

「いい」

 たどたどしく答えた。これは埒が空かない。

「仕方ない、魔法を使うか」

「そうだねぇ」

「翻訳の魔法…トラドシオン」

 光が舞う。魔力の発動だ。アタシの周りを踊るように一筋の光線が飛んで、やがてアタシの胸の中に入る。これで完了。

「これで通じるかしら?」

「お…おおおお!」

 彼が…タケシが興奮した。

「日本語! 日本語だ!」

「日本語、って言うの、これ?」

「聞いたことなーい」

「いや、俺には分かる、分かるんだ! これは異世界転生、ってやつだって! 過去転生の説も検討したけれど、確信した! 目の前にエルフとフェアリーがいるんだ、間違いない!」

 がたん、と椅子が鳴る。彼が身を乗り出したせいだ。興奮しすぎ。あと、唾飛んだ。こんにゃろ。と思ったら。机に置いていた右手を取られて、ぎゅっ、と握りしめられた。

「ありがとう! ありがと…ぶへっ!」

 そりゃビンタくらいするでしょ、ビンタくらい。がったん、おっきな音は奴の椅子が横倒しになったから。奴は向こうの壁際に正面衝突。ばちん、ってカエルが潰れるみたいな音。

「なにすんのよ!」

「いででででで!」

 顔面が真っ赤。鼻血が一筋。汚い。

「ペルルさぁ」

「何よ!」

「あなた剛腕なんだから、殴っちゃ吹っ飛ぶでしょ」

「剛腕とは何よ、剛腕とは! ほら、こんなに細腕なのに!」

「そんなおっきな長弓を軽々しく扱える誰が細腕だって?」

「細いの! むきむきじゃないから!」

「なにすんだよ!」

 奴が突っかかってきた。

「レディの腕をいきなり掴むなんて、常識知らずも良いところね!」

「そ、それは悪かったけど…でも、いきなりビンタはないだろ、ビンタは!」

「あー、そんなこと言うんだ~? じゃ、魔法辞めちゃうね。さよなら」

「待って待って待って! ごめんなさい、この通り!」

 いきなり土下座された。両手は合わせてごますりに余念もなく。溜息くらいついてもいいよね。はぁあ。

「で?」

 思わず威圧的な声になっちゃう。おかしいわね。エルフは平和主義者なのに。

 どこが平和主義者よ、ってベルの言葉は無視するわ。

「で、アンタはどうしてここにいるの?」

「あれだよ、トラックに轢かれたらここにいた」

「トラック?」

「そうだよな、異世界だもんな。ともかく、別の世界から来たんだよ俺は! それよりこれってさ! 魔法だよな! 翻訳魔法か? それ、それ俺に教えてくれ!」

「なんて言ったの、この子」

 ベルが尋ねた。生憎、翻訳魔法はアタシにしか効力が無いの。

「翻訳魔法を教えてくれ、だって」

「あのねぇ、タケシ…だっけ。翻訳魔法なんて失われたオーパーツなんだよ。現生生物で使えるのはエルフくらいだよ」

 タケシが困惑する。通訳、めんどくさい。

「えっとねぇ、翻訳魔法はエルフにしか使えないの」

「なんだって!」

「あと、対象は唱えた本人のみ」

「使い勝手わるい!」

「仕方ないでしょ、そもそも魔法で翻訳なんてルール違反なんだから」

「そうなのか?」

「そ。過去に神々を怒らせた人類への罰として、国家ごとに異なる言語が与えられたから。意思疎通が簡単にはできないようにね」

「なんか、バベルの塔みたいだな。天を目指した人類が巨大な塔を創ろうとして、神の怒りに触れて言語を分けられた、ってやつ」

「フェブルの塔ね」

「こっちではフェブル、ってのか。どこの世界も似たようなものなんだな」

「そうね…って、その話ではなくて。語学を覚えたいなら、自分で覚えるしかないわ」

「まじか…いや、仕方ねぇ。ジョン万次郎だって英語を覚えたんだし、俺にもできるだろ!」

「誰よ、ジョンって…」

「なぁ、お願いがあるんだけど!」

「何よ」

「俺も連れて行ってくれ!」

「はぁ!?」

「ペルル~なんて~?」

「俺も連れて行け、だって」

「いや無理でしょ。お金ないし」

「だってよ、少なくとも…そういや名前、聞いてなかった」

「アタシはエルフのペルル、ここの子はフェアリーのベル」

「ペルルさんに、ベルさん…だな。少なくとも、ペルルさんとはコミュニケーションが取れる訳、だろ?」

「そうだけど」

「なら、翻訳者がいたほうが語学習得が進むんじゃないか?」

「ええ…」

 確かに一理はあるのだけれど。翻訳はしました、それで終わり、でも良いんだよねぇ。ギルド的には。どうしようかなぁ。

「とりあえず、お店の人に話したら?」

 そうですねぇ。他にいいアイディアもないし、ここはベルの提案を飲むとしますか。

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