第17話 住宅展示場は契機
子供の頃からマイホームが夢だった。田舎でのアパート暮らしの経験しかない俺は、シーズンになると近くで開催される住宅展示場に母親と足を運んで、将来はこんな綺麗な家に住みたいねと二人で到底叶わないような夢を語ったものだった。その時の母の顔はどこだか哀愁漂っていた。
「なにボーっとしてるの?」
そうだった。俺は今その住宅展示場のイベントに来ている。右にいるのは俺の妻だ。
俺が結婚できるなんて奇跡だと今でも思っている。彼女とは大学時代に知り合ってそれからの付き合いだ。たまたま出会った人と意気投合するなんて運命なんじゃないかと俗にも思っている。
「お父さん。うちあの家が見たい」
左にいるのは俺の一人娘だ。小学校四年生で地元のバレーボールクラブに所属している。とても辛抱強い子で、人が多い場所は嫌いだが今も俺の手を強く握って、俺たちの勝手に付き合ってくれている。家のことなんてほとんど分からないだろうに。
娘にはスマートフォンを持たせていない。なぜならば俺が娘の歳ではスマホを持っていなかったからだ。自分で言うのはなんだが、俺は自分のことを成功した方だと思っているから、娘も同じ環境で育てば同じように成功すると思うのだ。他の子は小学生でも持っているのに皆と違って可哀想じゃないか?そんなことはどうでもいい。皆同じで何がいい?同じ人間が存在したって世界にとっては無意味じゃないか。と、嫁なら言うかもしれない。実は娘にスマホを持たせていないのは嫁から娘を守るためだ。信じ難いことだが、嫁はスマホからメッセージを送ってくる時別人のようになる。この前こんなメッセージが届いた。俺はメッセージで、娘の中学受験について話そうと送っただけだった。
"私たちがやっていることは人生ごっこでしかない!生まれることを望んでもいない子供を産んで普通の人生を歩ませる?このことだ!
普通に進学、普通に就職、普通に交際、普通に結婚、普通に出産、普通に死んでいく!
そんなことを世界が望むだろうか!同じ人生が繰り返されること、そんなもの世界にとって無意味でしかない!
あなたは言った、あの子には皆と同じようにただ幸せになってほしいだけだと。
あなたは馬鹿だ、愚かだ、下劣だ、醜悪だ、陳腐だ、滑稽だ、無能だ!無限に繰り返されるものをあなたは止めようとしない!計画された人生、予定通りの人生、人に決められた人生、良い子の人生、勝ち組の人生、幸せな人生、それを私は望まない。。。"
これだけではない。けどこのメッセージが来た時、俺は娘を嫁の元には置いておけないと強く思った。娘が彼女みたいになってしまう。このイベントは逃亡のチャンスだ。夜逃げではない。ただの逃亡。娘を連れての。まだ世界を知らないこの子をあんな訳の分からないもので染めてしまうのはダメだ。
彼女は取り残されるだろう。唖然とするだろう。訳の分からない本性と共に。幸せな家族と予定された人生たちの祭りの中で彼女は普通ではないものとして立っているだろう。しかし彼女が望んだことだ。予想できない、突然のことになるだろう。
このイベントで恒例の人気マスコットによるショーに行くことを口実に、俺は嫁から娘を引き離した。そして大勢の人混みの中に紛れるようにして俺と娘はステージ付近でショーを見た。嫁はどの家の窓から俺たちを監視しているのだろう。
俺は娘に言った。「帰ろう、別のお家に。お母さんは居なかった。お前にはお父さんだけだよ。」
娘は頷くこともせずに、ただ黙って俺の手を握っていた。何かを我慢しているようにも見えた。
背中に冷たい視線を感じるのをよそに、俺は娘との緊張のない生活、予定された安心な生活を未来に見据えて足早になって会場を去った。その後嫁から届いたメッセージは「崩れた!」だった。
短編 谷合一基生 @yutakanioukasurukessya
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