第17話 王子、婚約者を知る

 今までの俺はレティシアの振りをして、完璧にやらねばいけないと思っていたが、お母様が俺なりのレティシアで良いと言ってくれて、俺はどこか心が軽くなった気がした。そう完璧にならなくても別に良いのだと思えたからだ。いつになったら戻れるのかという不安はいつもあるが。


 ちなみに、『お母様』は『お母様』だ。それ以上でもそれ以下でもない。公爵夫人だとか、ただ単に夫人だとか呼んでしまうと、「お母様とお呼びなさい。」と凄まれてしまうので、そのままお母様と頭の中でも呼ぶようになってしまった。もう、女性のマナーとか立ち居振る舞いとか、俺にとっては師匠のようなものだから、完全に頭が上がらないのだ。というか、元に戻っても絶対頭が上がらないな、これは。



 一週間も経つと、令嬢としての仕草などにも大分慣れてきた。


「お嬢様、おはようございます。窓をお開けしますね。」


「ええ。お願いね。」


 見たか! 俺のこの受け答え! こういうのが自然と出てくるようになって来たのだ。起きてから寝るまで、いつでもリリーとエマがチェックしてくるからな。普段から気を付けるようになったのだ。


 リリアーヌの事もリリーと呼ぶようになった。これは、レティシアがそう呼んでいたので、やはりそう呼んで欲しいと懇願されたからだ。


 ベッドの上であくびをして伸びをする。あくびをする時には口元に手を当てるのも忘れない。こんな事まで、逐一リリーとエマがチェックしてくる。きちんとやらないと『お母様』に告げ口されるかも知れぬ。まぁ、これも自然に出来るようになって来たのだがな。


「お嬢様、本日は奥様が教会の礼拝に行くので同行するようにとの事です。」


「分かったわ。いよいよ外に出かけるのね。」


 俺は思わず少しため息をついた。今までは邸内と庭などだけだったが、外に出るとなると緊張する。衆目があるのだ。家の中では少しずつドレスでの動きにも慣れてきたが、やはり人の目があるとなると、変に思われるのではないかと不安になった。


「お嬢様、大丈夫ですよ。お嬢様はこの一週間の特訓でとても女性らしい素敵な所作になられています。こんな短期間ですごい事だと思います。もっと自信をお持ちになって下さいませ。」


「はぁ。それは褒め言葉かしらね。・・・でも、そうね。そう取っておくわ。ありがとう、リリー。頑張ってやって行こうという気持ちになったわ。」


 スラスラとこういう言葉が出てくる俺に、自分自身で本当に驚いてしまう。が、まぁ、頑張ってやって行こうという気持ちには嘘はない。俺には今はこれしか出来ないのだからな。


「本日は教会に行かれるとの事ですから、あまり明るい色のお召し物は合わないかと存じます。お昼の礼拝という事で大きなミサでもありませんから、あまりかっちりとしたフォーマルなドレスでもおかしいです。お嬢様はお若いですし、お出かけの際はこういったものなどいかがですか?」


 そう言って、エマがクローゼットから紺色のドレスを持ってきた。首元と袖に白い幅広のカラーが入り、それがアクセントとなって、セミフォーマルでありながら若々しく軽やかなデザインになっている。レティシアの銀髪が映えそうだ。


「素敵ね。それにしましょう。」


 俺が着るのでなければもっと良いのだが、もうそれは諦めた。慣れていくしかない。


「では、これはお出かけの前に改めてお持ち致しますね。まずは、朝食に致しましょう。お部屋と食堂とどちらに致しますか?」


「今朝は食堂にしましょう。お母様もいらっしゃるでしょうし、少し気持ちの切り替えをしたいわ。」


「では、お召し替え致しますね。」


 今日は一体何回のお召し替えがあるのか。令嬢も大変だ。



「お母様、おはようございます。」


 食堂には先にお母様が来ていた。俺は軽くカーテシーをするのも忘れない。


 カーテシーにも種類があって、王族に対してする最大級の敬意を表するカーテシーや、それ以外で行う簡略化されたものなどがある。いずれにせよ、スカートの両脇をつまみ、軽く持ち上げお辞儀をするのは変わらない。ただ、お辞儀の仕方や角度、足の引き方、膝の曲げ方が違う。特に正式な場で王族に対して行うカーテシーは、声を掛けられるまでその姿勢を続けなくてはならず、思った以上に不安定で大変だった。


 俺は今まで挨拶をされる側だったので、そんな違いがあるなど知らなかった。


「エマとリリアーヌから聞いたと思うけど、今日は教会と孤児院の訪問に行きましょう。あまり長く学園を休むのもおかしいから、戻る前に外に出て人の目に慣れておくのも大事だわ。」


「分かりました、お母様。」


 何だかこれももう慣れた。お母様の言う事は絶対なのだ。俺のためにと思ってしてくれているのだと思いたい。


「大丈夫よ、レティシア。この短期間でかなり行儀作法は良くなっているし、会話も問題がないわ。人前でも同じよ。女は度胸よ! なるようになるわ。」


 お母様が俺を気遣って言ってくれたが、女は度胸とは何なのだ。俺は男だぞ! まぁ、今は女だが・・・


「それに、最初から大勢人がいる所だと緊張してしまうかと思って、今日行く所は王都の外れにある少し小さな教会にしたわ。そこはレティシアがよく訪問していた孤児院が併設されている教会なの。神父さまもレティシアの事をよくご存じだから、あまり心配する事は無いと思うわ。」


「レティーがよく訪問していた?」


「そう。週末とか、お休みとか、時々顔を出していたみたいね。富める者の義務だと言って、自分の服やアクセサリーとかの購入予算の中から子供達に少しずつ援助していたのよ。きっとあなたにも続けて欲しいと思っているわ。」


「そうですか。そんな事が・・・」


 俺は市井に出て市民を援助する事とか、そう言った事はあまり好きではなくて、いつの間にかしなくなっていた。たまにお忍びで街に出る事はあっても、それはあくまで気晴らしのような気楽なものだったのだ。レティーは勉強だとか色々忙しい中、そんな事もやっていたのかと感心した。いや、正直、レティーの事をただの小うるさい女だと思っていた俺自身に呆れ、怠惰な方向に流されてしまっていた自分を反省した。レティーに負けてはいられないな、改めてそう思った。



 昼になり、俺はお母様と出かける事になったが、俺の服装を見て「今日は大聖堂のお昼の礼拝に出る訳でも無いので、もうちょっと崩した、出来れば良いところの街のお嬢さんというイメージで選び直しなさい」とダメ出しが入った。エマも今日は大聖堂の昼の礼拝に行くのかと勘違いをしていたようで、改めて選び直すという事があった。


 という事で、今の俺は茶系のワンピースで上に白のボレロを羽織っている。スカートの下のパニエもいつも程広がりは無く、シルエットがすっきりしていて、成る程、どこかの良い所の街のお嬢さん風だ。パニエが重たくないのは地味に嬉しい。髪もサイドを三つ編みにして後ろで纏めたハーフアップにしている。清楚な感じがして良いと思う。


 まぁ、これが俺でなければな、と思うのはもはやお決まりだ。


 なんでも、今日行く教会は小さな庶民向けの教会だから、あんまり貴族らしい格好だと逆に浮いてしまうらしい。孤児院も慰問するので、子供たちを萎縮させないようにという気遣いもあるのだそうだ。お母様もいつものような貴族のドレスではなくて、どこかの商会のマダムのような格好である。


 俺は入れ替わる前はどうだったか。教会などを礼拝以外で訪問する時は、向こうも王子を迎えると思って準備していたから、いつも王族としてもてなしてくれていたし、相手を萎縮させるだろうとか、そんな事には全くこだわっていなかった。全て周りが整えてくれたから、何も考えず意識していなかったのだ。考え方の違いで随分違うのだと思った。


 馬車もいつもと違う、煌びやかではない、どこかの商会のような黒塗りの無骨な馬車だった。御者は二人。やはりどこかの商会に雇われていそうな格好をした屈強な若い男で、俺とお母様のガードを兼ねている。俺とお母様は、その男たちのエスコートで馬車に乗った。


「公爵家らしくない馬車で驚いたでしょう? これはね、レティーのアイデアなの。教会に行くのも、孤児院を訪問するのも、自分が富んでいると自慢するために行くのではないし、ましてや貴族なのだと吹聴しにいくのでもないからとね。だからね、レティーの商会の馬車を使っているの。」


 レティーすごいな、と思いつつも引っかかる事があった。


「あの・・・レティーの商会とは何ですか?」


「ああ、アランくんは知らなかったのね。実はね、レティーはお金を稼ぐ大切さを知りたいと言って、自分のお金をやりくりして前に商会を一つ立ち上げたの。普段は学園があるから、大きなお休み以外は人任せになってて、名誉会長みたいなものだけど。普段実務を任せている人が良い方だったので、最近は売り上げも伸びているそうよ。」


「はあっ!? レティーがですか!?」


 思わず大きな声を出してしまった。


「あら。驚き方がちょっと良くないわ。もうちょっとお淑やかに驚きなさいな。まぁ、でもそうね、びっくりだったかも知れないわね。今度、大きなお休みの時にでも紹介するわ。今はあなたがレティーなんだから、それもあなたがちゃんと引き継ぎなさいね。」


 俺の婚約者は実は超人か聖人だったのか? 俺のやらなくてはならない事が段々と増えていってる気がした。

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