第15話 公爵令嬢、お見舞いに行く

 午後の授業の後、ローラン様とマクシム様と別れ、私は一度アランの部屋に戻る事にした。アランの部屋は男子寮の二階にあって、一番大きな部屋なのですぐに分かる。いわゆる、王族用の部屋として当てられている所だ。アラン付きの侍従の控え室がついていて、私は彼に用があったのだ。


 アランの学園での侍従はクロードと言って、バレ子爵の三男で、私とアランより二つ下の学年の生徒だ。子爵家の子息といえども、三男となるとほとんど家を継ぐ事はなく、いずれ家を出る事が多くなる。そういった彼らの就職先で人気があるのが高位貴族の侍従で、学園にいる時からすでに就職準備としてこうしてお付きになる練習をして行くのだ。ちなみに、女性の場合は卒業すると嫁入りしてしまう事が多いのでその限りでは無い。上級貴族ほど自立している女性は少ないのだ。


 クロードの顔は私も知っているのだが、今まで話しをした事は無いと思う。短く茶色い髪をした、そばかすのある少年で愛嬌のある顔をしている。身長も小柄なので、まさしく『年下の男の子』という感じがする。


 私が部屋に入ると、彼の自室にもなっている控え室からクロードが出てきた。


「おかえりなさいませ、アラン殿下。」


 クロードが臣下の礼をして迎えてくれた。


「殿下、今日はレティシア様と階段をお落ちになったそうですが、大丈夫でしたか? 私も話しを聞いてすぐに救護室に向かったのですが、すでに殿下はレティシア様のお見舞いに女性の救護室に行かれてしまっていたようで・・・。治療士の先生からは殿下は問題無いようですと聞きましたが、念のため王宮の方には伝令を送っておきました。」


「ああ、心配してくれたんだね。ありがとう。俺は大丈夫だ。この通りだよ。王宮の方にも問題無いと送っておいてくれ。」


 クロードは一瞬キョトンとして、アラン殿下がありがとうと言って下さった・・・と呟いたが、すぐにハッとしてまた真面目な顔に戻った。


「分かりました、王宮にもその旨お伝え致します。」


「それから、ジリー公爵家にも使いを出して、明日以降、レティシアの見舞いに行く日を調整してくれ。」


「公爵家ですか? お珍しいですね。」


 クロードは少し驚いたような顔をした。


「うむ。レティシアの方は、階段から落ちてしばらく意識を失っていたからな。少し記憶が混乱していたようなので心配なのだ。見送った時に侍女にも口頭で見舞いに行くと伝えたのだが、公爵家だからな、正式に一度伺いを立てた方が良かろう。」


「分かりました。手配しておきます。」


「さあ、後は食事までのんびりとしよう。お茶でも用意してくれ。」


「ただ今、お仕度致します。」


 そう言って、クロードは引き下がった。




 公爵家から返事があったのは翌日で、その日の午後お見舞いに来て下さって大丈夫ですとの事だった。丁度、午後は実技の授業だったので見舞いのためという口実で休む事にした。


 先触れを出し、クロードと供に馬車に乗る。いつも誰かにエスコートしてもらっていたので、自分で乗り込むのは新鮮だった。エスコートにも上手下手があって、タイミング良くエスコートしてくれる方と、あれ?って思ってしまう方がいる。一々エスコートを待ってる必要が無いのは気が楽だ。そういう意味では女って窮屈だ。



 馬車に揺られて公爵家に着いた。


 執事のセドリックや侍女たちが臣下の礼をして迎えてくれた。慣れ親しんだ人達が仰々しい出迎えをするのはちょっと寂しい。


 賓客用の応接室ではお母様が出迎えてくれた。


「アラン殿下、お久しぶりですね。本日は娘のお見舞いにお越し頂いてありがとうございます。昨日は娘と階段を転げ落ちてしまった際に、身体を張ってかばって下さったそうですね。ありがとうございました。娘はお陰様で元気ですよ。今、来ると思います。」


 あ、お母様がすごく真面目で貴族らしい対応をしている。お母様は、私が家に帰るといつだって抱きついて来ていたので、すっごい違和感。されている時は鬱陶しいなぁと思っていたけど、いざ無くなってしまうとやっぱり寂しい。


「ああ。元気なら良かった。混乱していたようだったので、心配していたのです。」


 私はうら寂しい気持ちを抑えて返事をした。本当はお母様にも協力してもらいたいんだけど、とりあえず今は入れ替わりがバレないようにだけ考えよう。



「お嬢様がお見えになりました。」


 エマが扉を開け、『私』が入ってくる。



 ・・・一瞬、見惚れた。


 長い透き通るような銀髪をハーフアップにして、少し上気させた頬、伏し目がちな眼、小ぶりだけど、艶やかで赤い唇。私のお気に入りの薄い水色のドレスを着て、両手を軽く前で合わせ、楚々とした足取りで入ってくる。


 ア、アランよね?


 表情や仕草が昨日と違う。何だかちゃんとお嬢様してる・・・



 スカートの裾を軽く上げ、片足を斜め後ろに下げて、もう片方の膝を折る。カーテシーも上品で淀みがない。


「アラン殿下、本日は私のお見舞いに来て下さり、ありがとうございます。」


 不意に顔をあげ、こちらを見つめてきた。その笑顔にドキッとする。


 私って、こんなに表情豊かだったかしら?


 昨日の事は夢だったのだろうか? 本当にあのアランなの?


「あ、ああ。昨日の今日で慌ただしいと思ったのだが、心配で来させてもらった。大丈夫なようで何よりだ。」


 私はアランの変わりように心がざわついたが、努めて表情に出さないように返事をした。



「まあまあ、こんな所で立ち話でもなんですから、皆で座ってお茶にしましょう。」


 お母様がエマにお茶の仕度をするように伝えたので、私も席に着いた。次いでアランが席に着いたが、リリーが引いてくれた椅子に座る時、ちゃんとスカートの裾を乱れないように押さえて座ったのには感心した。


 一日でこの変わりようはどうしたんだろう? と思った所で、アランの胸元を見てハッと気が付いた。


 躾のネックレス!


 大きくなってからは行儀作法が身について全然作動しなかったから忘れていたけど、あれって子供の躾を矯正するネックレスじゃない!


 ・・・って事はこの件にお母様が絡み出したって事よね! あのネックレスは石の色が好きでよく身に付けていたけど、リリーは魔道具だったとは知らなかったと思うし。どうなってるのかって心配して損したわ!


 部屋の中を見回す。室内にいるのは、お母様とアラン、リリーとエマだけ。エマがもう知っているのかどうかだけ分からない。


「あー、公爵夫人。あちらの侍女もご存じなのかな?」


 お母様が一瞬キョトンとした後、にっこりと笑った。


「あら。やっぱり気が付いたわね。さすが私の娘ね。大丈夫よ、エマも知っているわ。

 さぁ、じゃあ、防音結界を引きましょう。」


 そう言って、パチンと胸の前で両手を合わした。


「ああ、良かった! アランが思った以上にお嬢様していて、どうしたのかと動揺してしまったわ!」


「どうだ。特訓の成果は? 俺もやれば出来るだろう。と言っても、公爵夫人とリリーとエマ、それにこのネックレスのお陰だがな。」


『私』が少し態度を崩し、いつものアランの表情が垣間見えた。


「ネックレスのお陰と言ってもすごい事よ。一日でこれだもの! なかなか出来ない事だわ。」


「まぁ、その辺は良いお手本が目の前にあったからだ。言わば剣術で身体を師範の動きに真似させるのに似ていたのだ。いくら魔道具があるとはいえ、お手本が無いとどう身体を動かせば良いか分からないものだ。確かに昨日は夜遅くまで、今朝も早くからと特訓で大変だったがな。」


「なるほど。動きを真似るっていうのは良い考え方だわ! その調子で頑張って!」


 思わず激励してしまった。でも、その動きのトレースであれだけの動きが出来るのだからすごい。


「で、お前の方は大丈夫か? ローランとマクシムには話したのか?」


「今の所、大丈夫だと思う。でもまだローラン様とマクシム様には話せていないの。信じてもらえるだけのエピソードが無くて。でも、いずれはと思っているから、様子を見て話したいわ。最悪、あなたが学園に戻ってきてからでも良いと思っているの。

 解決法もまだ分からないわ。今朝、授業の前にロズリーヌ様にお会いしたのだけど、やっぱりまだ何もって。」


「そうか。こちらも昨日、フォルジュ先生に入れ替わりってあるのかと聞いてみたのだが、楽しそうな小説だねと一蹴されたよ。」


 思わずアランと同時にため息をつき、肩を落とした。お互いにこれからどうしようと考えていたのだろう。二人とも言葉がなかなか出ずに、時間だけが過ぎていった。


「まあまあ。二人とも、気持ちは分かるけどそんなに辛気にならないで。なってしまった事はどうにも出来ないわ。これからどうするかが大切よ。」


 二人の話しを聞いていたお母様が、私達を見かねて言ってきた。


「あなた達が二人で、お互いになりきろうと決めたのはとても大事な事だわ。頭がおかしいと思われて隠居させられるかどうかは別としてね。二人がお互いの生活を守りましょうという事だもの。でも、それがいつまで続くかはまだ分からないのでしょう? 長い目でみたら、今のままじゃ、二人ともいつバレるかという不安で押しつぶされてしまうのではないかと思うのよ。」


 私達はお母様の話しにじっと耳を傾けた。


「だからね、あなた達はあなた達で良いの。お互いになりきるんだって、思い続けていてもきっと長くは続かないわ。レティシアはレティシアなりのアランくん、アランくんはアランくんなりのレティシアで良いの。人は入れ替わりなんか無くても、その時受けた刺激や考え方で変わっていくものだわ。だから、もっと心を楽に持ちなさい。親としては、苦しむ二人を見たくは無いの。」


「私なりのアラン・・・」「俺なりのレティシア・・・」


「そうね、そう考えたら少しだけ気が楽な気がするわ。完璧にアランにならなくても良い、私なりのアランで良いんだって。」


「そうよ、レティー。それに、昨日アランくんにも話したのだけど、戻れなかったらあなたはいずれ国王になるのよ。色々な事を一生懸命に勉強して来た貴女なら、きっと良い国王になれると思うわ。その時には、アランくんには王妃として立派にあなたの補佐をしてもらうからね。それまでに女性の色々なマナーやルール、社交を詳しく教えておくわ。」


 アランが引き攣った顔をした。


「そうか。私、そこまで考えていなかったわ。戻れなかった時の先の話しね。これまで以上に勉強する事が沢山ありそうだわ。何だか、そう考えたらやる気が漲ってきた気がする。」


「お、お前は良いよ。俺は一体・・・」


「アラン、大丈夫よ。あなたの事は私が守るわ。全部が全部、完璧に出来なくても良いのよ。心配しないで。」


 そう言ったら、アランが少し頬を染めて、視線をそらした。


「お、お前、男前が過ぎるぞ・・・」




「ところで、レティー。聞きたい事があるのよ。」


 お母様がまた真剣な顔をしてこちらを見た。



「あなた、おトイレとか大丈夫だったの?」



 私は突然の質問に顔が真っ赤になったと思う。


「知りません!!」


 せっかく良い方向に話しが向いてたのに。残念なお母様だ。

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