将棋には最善手がある。
膨大な局面を読み、勝利へ至る可能性が最も高い一手を選ぶ。それが勝負の世界であり、棋士たちが生涯を懸けて追い求めるものだ。
しかし、人生にも最善手はあるのだろうか。
本作は、プロ棋士を目指して奨励会に入った一人の青年、内藤哲也の半生を描く物語である。
幼い頃から将棋の才能を認められ、周囲の期待を背負って奨励会の門を叩いた哲也。しかし、そこには全国から集まった才能の持ち主たちがいた。
かつては天才と呼ばれた少年が、いつしか自分の才能を疑い、年下の棋士たちに追い抜かれ、恋人を失い、家族との会話さえなくしていく。
この過程が痛ましい。
将棋の強さだけでなく、人間としての価値まで勝敗によって測られてしまう。少なくとも、追い詰められた哲也にはそう感じられる。
そこで彼が縋るのが神である。
しかし、この神の描き方が興味深い。
神との対話は、単なる超自然的な奇跡として描かれているわけではない。
自分の中にある決断を神の声として聞いているのか。それとも、本当に自分を超えた何かが語りかけているのか。
その境界は曖昧なまま、哲也の運命を決める一局へと物語は進んでいく。
そして、題名にもなっている「悪手」。
盤上では正しくない一手が、果たして人生においても間違った選択だったと言い切れるのか。
本作が優れているのは、そこで安易に勝敗を逆転させる物語にしていないところだ。
失敗した事実が消えるわけではない。失った時間も、届かなかった夢も戻ってこない。
それでも人間は、その後を生きていかなければならない。
そして、失敗の意味は、その後の生き方によって変わることがある。
さらに印象的なのは、孤独という主題の扱いである。
勝ち負けによって人間関係を失っていった青年が、その経験を経て、他者とのつながりに新たな価値を見いだしていく。
ここには単なる成功譚を超えた、人間への温かな視線がある。
一方で、極限状態の欲望や精神の揺らぎを描く場面には、かなり大胆で過激な表現もある。好みを分ける部分だろう。しかし、その振り切れた描写も含めて、勝負に人生を懸けた人間の危うさが強く印象に残る。
一局の将棋には、勝者と敗者がいる。
けれど、人生の勝敗は、いったい誰が、いつ決めるのだろう。
将棋の世界を舞台としながら、才能の限界、挫折、信仰、そして人生の選択を問う短編である。
読み終えたとき、題名の「悪手」という二文字が、読み始める前とは違って見えてくる。
盤上の一手に、人生そのものが乗っている作品でした。
描かれているのは勝ち負けだけではなく、夢を追うこと、限界に向き合うこと、そして人生の大事な場面で人が何にすがり、何を選ぶのかという重い問いでした。
「神が授けた悪手」という題名も、読み終えるとなかなか味のある題名です。
個人的にこの話は、読んでいる途中で物語の評価を下してしまうのではなく、全話最後まで読み切った上で余韻を含めて、作品評価をしてもらいたいなと感じました。
あと、本題からは逸れますが2023年に投稿を公開された作品を、2026年2月近々にも更新されており、作品を公開して終わりではなく、日々見直し、改善されているのだなあと頭が下がる思いでした。
短い話数の中に、勝負の緊張感と人生の苦みが詰まった、読み応えのある作品です。
主人公・内藤哲也は、将棋の棋士を志す男。幼い頃から才能に恵まれ、意気揚々と奨励会の門を叩くものの、その道のりは決して順風満帆ではありませんでした。上には上がいる――その厳しい現実を突きつけられ、私生活もうまくいかないまま月日は過ぎ、やがて奨励会退会のリミットが迫ります。迎えるのは、人生を懸けた最終局。果たして彼の運命やいかに。
特筆すべきは、中盤に訪れる衝撃的な展開です。一見すると奇矯な行動に思えますが、身も心も壊れる寸前の極限状態だったらあり得るかもしれないと、胸に迫るものがありました。この作品をシリアスと断じるか、コメディと評するかは容易ではありません。現実と同じように、その二面性は切り離せず、表裏一体としてそこに存在しているのです。
同作者による同じく将棋を題材とした短編『量子と精神』にも、格調高い筆致と独特のユーモアが共通して見られます。ただ、物語としての厚みや感動の深さにおいては、本作のほうが一歩抜きん出ているのではないでしょうか。もっとも、どちらも甲乙つけがたい傑作であることは間違いありません。
もちろん将棋の戦法の話です。
プロ棋士は狭き門。26歳までに昇格しないと、退会決定なのだとか。
主人公の内藤は、夢を叶えられるかの最終年。
不振の成績、台頭する若い才能。
残酷な現実と、激しい一戦。
まるで写生するかのようなリアルな描写が魅力の一つ。
将棋に詳しくなくても切迫感を感じるはず。
二つ目の魅力はタイトル通りの「悪手」。
勝負事に身を置く手前、神にすがる内藤。
最終局、つまりプロか退会かの瀬戸際で、声を聞きます。
――――攻めか、受けか
選び取った手で、最後に掴み取るものは?
すべての情報を集約しつくす結末が生む、爽快な読後感と深い愛。
素晴らしかった。
青山 翠雲さまの3作目。
プロの棋士たちの戦いを描いた全2作とは少し趣を変えた本作。主人公はプロになる前の段階、奨励会に属しています。しかし奨励会は修羅の世界。26歳になる前に奨励会からプロ4段に昇格しないと棋士にはなれないのです。主人公は年齢制限ギリギリのため、今回がプロ棋士になる最後の機会。もう崖っぷちで後がない。プレッシャーの中、少しづつ壊れていく主人公の運命は三段リーグの最終戦にまでもつれます。プロのタイトル戦以上に厳しい戦いに挑む主人公。神が授けた悪手が主人公の運命を変える!
ここまでの作品を読んで私は、青山さまは対決場面にとどまらず、もっと広い状況も描いた歴史小説も向いていそうだと思いました。