第2話 魔法防具屋ガゼルと絶望村
男は走った。ひたすら村へ。
娘を助けるために。
男の名はガゼル。魔法障壁専門の防具屋だ。3年前に妻を亡くし、娘と二人で暮らしていた。
元は王宮の城下町出身で、防具屋になる前は王宮で魔法障壁の研究をしていた。彼は研究者として生きるつもりだったが、十分な功績を残せず、王宮から追放されてしまった。
ガゼルは遠く離れたペルー村に移り住み、研究で培った知識を活かして魔法防具屋を開業した。娘と二人で開発した魔法防具は、その品質と高性能さから冒険者や傭兵団に重宝され、多くの人々が彼の店を求めて村を訪れるようになった。おかげでペルー村は活気を取り戻し、ガゼルは村長や住民から厚い信頼を寄せられる存在となっていた。
彼はこの村を愛していた。王宮から追放された自分を受け入れてくれたこの場所の暖かさを、噛みしめていた。
しかし、今は娘の命が危ない。
魔女マベルの要求は、村の結界を解除すること。結界はガゼルが開発した結界装置から生み出されている。幸いなことに、彼は開発者として結界装置を操作する権利を持っていた。
10年前まで、ペルー村は代々受け継がれてきた結界師の力によって守られていた。だが、魔物の凶暴化により結界師の魔法だけでは不十分となり、ガゼルは村人とともに魔法障壁装置の開発に尽力した。そして見事、村全体に結界を張れる装置を完成させたのだ。これにより、結界師がいなくても村を守れるようになった。この日を境に、村人たちは親しみを込めて彼を「先生」と呼ぶようになった。彼はこの村に、居場所を見つけていた。
ガゼルはペルー村にたどり着いた。日は既に沈み、村には明かりが灯っている。
魔法障壁装置は、村の象徴であり神と崇められるご神体の中に設置されている。しかし、中に入るには村長が保管している鍵が必要だ。
ガゼルは急いで村長の家に向かった。
「ごめんください。ガゼルです」
落ち着いた声でノックすると、村長が自らドアを開けてくれた。
「おお、先生。こんな夜中にどうした?」
「すいません、夜中に失礼します。緊急な用事がございまして……。どうも今日の昼間から村の結界が弱っているようで、早急に結界装置を見たいんですよ」
「結界だと?それは大変だ!弱っているなら今すぐ確認しなければ。こんな夜中に結界が消えて魔物が襲ってきたら大変なことになる」
「はい……申し訳ございませんが、ご神体の鍵をお借りしてもよろしいですか?」
「ちょっと待っとれ」
村長は家の地下室へ鍵を取りに行った。
(……)
娘を一刻も早く救いたい気持ちでいっぱいだった。しかし、村長の顔を見ると、胃が締め付けられるように痛み出した。
(躊躇している場合じゃない。俺は娘を助けなければならないんだ……しっかりしろ……)
ガゼルが思い悩んでいるうちに、村長が鍵を持って戻ってきた。
「わしもご神体へ行こう」
「いや……」
ガゼルは村長が同行することを想定していなかったため、言葉が出ない。結界装置を止める姿を見られるわけにはいかないからだ。
(どうする……?)
「先生、急ごう。わしは嫌な予感がしてきたのだ」
「いや……村長!お手数ですが、念のため結界師を呼んでいただけますか……?もし結界が消えた時のために、彼らの力が必要になるかもしれません」
とっさに思いついた案を口にする。
「結界師か……。よしわかった。わしは結界師を呼んでくる。先に行ってくれ」
村長は鍵をガゼルに渡し、走って結界師の家へ向かった。
村長が走り出したのと同じくして、ガゼルも急いでご神体へと走った。
(村長たちが来るまでに、結界装置を止めなければならない……。そして俺もその後、村から早急に出るしかない!)
ご神体に到着したガゼルは、背中にある鍵穴に鍵を差し込み、回した。ご神体の全長は21メートル。内部の空洞には、約4メートルほどの結界装置が設置されている。
装置を操作するためには封印魔法を解く必要がある。ガゼルはへとへとになりながら呪文を唱え始めた。
(村長の足で結界師を連れてここまで来るのに、おそらく20分はかかるだろう。それまでに何としてでも間に合わせる……)
魔法障壁装置の封印が、少しずつ解かれていく。
魔女マベルは、ガゼルが懸命に装置の解除を行う姿を水晶越しに見ていた。
「あらら……本当に魔法障壁の解除を行うのね……フフ……」
マベルは笑みを浮かべ、ガゼルの行動を観察している。
「これから面白くなりそうね~。魔女会へ行くまでの暇つぶしになるわ」
マベルは杖に乗って空を飛びながら、水晶を見ていた。まるで、歩きスマホのようだ。
私は、水晶を面白そうに見つめるマベルの姿を見て、元いた世界を思い出していた。
(いつから私はここにいたのだろう……)
気がつけばフクロウになっていたが、いつ、どうやってここに来たのか、自分の本当の名前さえ思い出せない。元いた世界のことも、おぼろげな記憶しかない。
水晶に映し出される映像を見て、私は気分が悪くなった。一人の人間が必死にもがく様を、魔女が暇つぶしに見ている。まるでドラマやアニメを見ているかのように。
ガゼルは焦りと不安に押しつぶされそうになっていた。
本当にこれでいいのだろうか。本当にこんなことをして、娘は助かるのだろうか。
様々な思いが彼の中に渦巻き、胃の痛みが徐々に大きくなる。
そして、呪文を間違えた。
「落ち着け……」
(俺はどうしたい……?娘を助けるんじゃないのか……?)
『本当に娘を助けたいなら村の一つや二つ売るもんでしょうが』
マベルの言葉が脳裏に浮かぶ。
そして再び、ガゼルは呪文を唱え始めた。
「もうここまで来てしまったんだ……もう引き返せない」
「俺は村の人を裏切ることになる……娘を助けるために」
一瞬、ガゼルの脳裏に村人たちの顔が浮かんだ。何の縁もない自分を家族のように受け入れてくれたこと。皆と力を合わせて村を立て直したこと。
(この村の障壁を解除したら、皆はどうなる?きっと結界師だけでは村を守れない……皆は俺のせいで……死ぬ)
(嫌だ……なんでこうなったんだ……俺が娘を連れて森へ出かけたから……くそ……なんで)
(知らなかったんだ……この村の近くに自分が倒せない魔物がいるなんて……魔女がいるなんて)
「許してくれええええええ!」
ついに封印を解いた。
そして魔法障壁装置に触れ、魔法障壁の解除操作を開始する。
「あは」
マベルは水晶から村の方角へ目を向けた。
「結界が解かれた」
一方その頃、村長は結界師を連れてご神体へ向かっていた。
村の結界師であるサーベは、異変に気づいた。
「は?」
サーベは急に立ち止まり、空を仰ぐ。
「どうした?」
村長はサーベの様子に不安を感じていた。
「結界が……解かれた」
森がざわめく。
森に棲む魔物たちは、一瞬にして理解した。村の障壁が解かれたと。
森の奥深くで、おぞましい会話が交わされていた。
「おい……村の結界が消えてねえか?」
骸骨姿の魔物が呟く。
「ああ……なんか知らんが、結界の気配を感じない」
ライオンのような魔物が、寝そべったまま答える。
「おい、おめえら、まだここにいたのか」
犬のような魔物が、二匹に声をかけた。
「村の結界が解けたみたいで、早速みんな村へ向かってるべ」
「おー、そうなのか。マジで結界消えてんのか」
「もしかしたら、久しぶりに人間の肉が食えるのかな」
「あー、そうかもしれんべ……俺らも行こうぜ!」
魔物たちはガゼルのいる村に向かって走り出した。
一方、サーベと村長は急いでご神体へ向かっていた。
「魔法障壁装置に問題があったのか……」
村長はあまりの不安に、焦りを感じていた。
次の瞬間、恐ろしい雄叫びが聞こえた。
「ヴォオオオオオオオ」
「魔物……!?」
村長とサーベの目の前には、おびただしい数の魔物が立ちはだかっていた。
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