トランヴェルの魔女

ふしたくと

第1話 気がついたら魔女のフクロウ

私は、気がつけばフクロウになっていた。

それまではごく普通の人間として生活していたはずなのに、いつの間にか私は、魔女の使い魔となっていたのだ。

「トランブェル」

魔女に呼ばれた私は、その腕に止まるよう促された。肩甲骨を動かす感覚で羽根を広げ、彼女の元へと飛ぶ。

うまく飛べない私は、腕を通り越し、彼女の豊かな胸に足がついてしまった。

「こらッ!」

怒られながらも、私は必死にバランスをとり、なんとか腕に止まる。

「お前は本当に腕に止まるのが下手ね……それとも、わざと胸に止まろうとしてるのかしら」

私は決してわざとではない。ただ、どうしてもうまく着地できないのだ。どうやら、私が憑依する前から、このフクロウは着地が苦手だったらしい。

「今日は魔女会へ行くよ、トランブェル。久しぶりの外出よ」

彼女は私の頭を撫でながら、そう告げた。

今まで外出はほんの数回。外の世界のことはほとんど知らない。

この魔女の家は二階建てで、フクロウ専用の部屋まである。森を模した部屋のおかげで、普段から外にいるような感覚だ。家には魔女とメイド、そして私しかいない。二人と一匹には広すぎる家だ。

「それじゃ、行ってくるね。深夜2時頃に帰ってくるわ」

魔女マベルはメイドに帰宅時間を告げ、私を連れて出かけた。玄関を出ると、そこには暗く深い森が広がっている。マベルが杖を立てると、先端から七色の光が灯り、森を照らし出した。

「たしか魔女協会は……こっちだったかしら?」

彼女はぶつぶつ呟きながら、森を進んでいく。

「トランブェルも久しぶりに魔女協会へ行くよね」

(そうなのか……)

私は相槌を打ちながら、彼女の話からこの世界の情報を集める。魔女会とは月に一度、魔女たちが集まる会のようだ。この大陸に住む魔女は皆、魔女協会に属し、情報共有を行っているらしい。

マベルは、二年間も魔女会をすっぽかしているという。今日は何としても参加しなければならない、と彼女は言っていた。

少しずつ、この世界を理解し始めてきた。魔女が存在し、その社会がある。しかし、どうして私がフクロウになったのか、なぜこの世界に来たのか、全く見当がつかない。

「うわあああああ!助けて!」

私が思案にふけっていると、突然、森に悲鳴が響き渡った。

「あれ、人間だ」

マベルの視線の先には、魔物に襲われている男女がいた。

「お父さん!助けて!」

「化け物め!カリアから離れろ!」

オオカミのような魔物が、女の子の足に噛みついている。父親らしき男性は、木の棍棒で必死に魔物を叩くが、攻撃は通じない。魔物は女の子の足を食いちぎろうとしていた。

「あら……あの人間、かわいそうに」

マベルは、人間が食われる様を見て微笑んでいた。

(おいおい……マジかよ……)

元人間として、この状況を見過ごすことはできなかった。しかし、私に彼らを救う力はない。

(もう見ないふりするしかない……)

「助けてください!」

男性が泣きながらこちらを見ている。

「どうか娘を助けてください!お願いします!」

「もう助からないわよ」

マベルは冷たく言い放ち、淡々と説明した。

「魔物に噛まれたら最後。その子には呪いの魔法がかけられているわ……たとえ助けたところで、後々血反吐を吐いて死に至るでしょう」

「お願いです……助けてください」

男性は泣き崩れ、助けを求めた。

マベルは冷たくあしらっていたが、私は男性の必死さに胸を打たれた。

気がつけば、私は魔物に向かって飛んでいた。

(やはり同じ人間として、見過ごすわけにはいかない……!)

思い切って、魔物の目に爪を刺してやった。

「あぎぇぇ!」

魔物は悲鳴を上げ、女の子の足を離した。

「あーもう、何してんのよトランブェル……そんなことしたら、魔物がこっちに襲ってくるでしょー」

マベルは面倒くさそうに杖を構え、魔物と対峙した。

「グルルル……」

片目を失った魔物は、襲いかかる気満々だ。

「もう、人間を助けるなんて信じられない……ただでさえ急いでるのに、道草してる暇なんてないのよー、まったく」

「ガア!」

魔物はマベルに襲いかかったが、瞬時にその頭が破裂し、粉々になった。

「もう、無駄な殺生をさせて……どうせその子は助からないのに」

マベルは頬を膨らませ、私の額に指をさして「めっ」と叱った。

「カリア!」

男性は女の子に必死に声をかけている。

「お父……さん」

女の子の顔は、徐々に青ざめていった。

「だからもう助からないって言ってるのに」

「お願いだ!娘を……助けてやってくれ!」

「はあ?さっき魔物から助けてやったでしょ。さらに助けろっていうの?その子はもう助からないって言ってるのに……本当にわからないやつね。これだから人間は嫌い」

「頼む……娘だけは、娘だけは助けてやってくれ……頼む」

「自分でなんとかしなよー。助けたって何の利益もないし」

「金ならいくらでも……娘が助かるなら、何だってやる!」

「ふーん……でもなあ……お前ら人間にできることなんて限られてるしなぁ……怯えて群がることしか能のないお前らが、私にしてやれることなんてなさそうだけど」

「それに、私が人間を助けたら、魔女協会に何されるかわからないし」

(やはり魔女……人間を助ける気なんてこれっぽっちもない……)

「あんた魔女なのか……てっきり魔法使いかと……」

男は震えながら、マベルに説得を始めた。

「頼む……何だってやる!俺の命をやってもいい!」

「お前の汚い命なんていらないよー……」

マベルは眉間にしわを寄せ、そして何かを閃いた。

「んー、それじゃあさ……村の結界を解いてよ!」

「な……」

男は絶句した。

「あなた、娘のためなら何だってやるんだよね。なら、村の結界を解いてくれないかな」

「そんなこと……できるわけが」

人間の村には、魔物が入らないように結界が張られている。それを解くことは、村の住民を危険にさらすことを意味していた。

「はあ?さっき何でもやるって言ったじゃない。人間って本当に嘘をつくのが得意な生き物よねー、これだから嫌い」

「頼む……村のみんなの命を危険にさらすわけにはいかない……頼む」

「はあああ?じゃあ娘の命は無いね」

「お願いだ……金ならいくらでもやる!頼む!」

「何でいちいちお前の要望に応えなきゃいけないの?これだから人間はクズ……本当に娘を助けたいなら、村の一つや二つ売るもんでしょうが」

「村のみんなは……家族だ……裏切ることはできない!」

「馬鹿馬鹿しい……これだから人間は知能が低い……あのねー、私が話してるのは、娘を助けるか、村の結界を解くかのどちらかって言ってるの」

「それ以上でもそれ以下でもない。その二択を選べって言ってるの。選択肢を与えてやってるだけでもありがたいのに、なんであんたからあれもこれも要望が出てくるのかしら」

「立場、理解してますー?あんたは今試されてるんですよー?本当に娘を助ける気があるのか……ってね。つーか、早くしないと娘死ぬよ?よく悠長に悩んでいられるわね」

「……わかった……結界を解こう……」

「やっと決断したかー、おっそーい。本当に娘を助けたいなら即決断するよねー。無駄に時間をかけて馬鹿みたいー。娘がかわいそうー」

「その代わり、本当に娘を助けてくれ!」

「わかったから、早く村の結界を解いてきなよ。お前ら人間と違って、魔女は嘘をつかないからさ」

「先に娘の介抱を……」

「ばーか!先に結界でしょう?当たり前じゃない。なぜお前の要望を優先しなくてはならないのか。ほら、早くしないと取り返しのつかないことになるよ。もって後二時間くらいかなー?」

「くそ!」

男は啖呵を切って、村の方向へ走り出した。

「ふふ……面白くなってきた」

マベルは不吉な笑みを浮かべ、私の羽を撫でた。

「人間は本当に面白い……あいつらは即欠即断ができない不完全な生き物だ……それ故に、この後も何をでしでかすかわからない……」

「あの人間がどう行動するのか見物ね……。魔女会もまだ時間あるし、ここで遊んでいきましょう、トランブェル」

私は恐ろしい魔女の隣で、行く末を見届けることしかできなかった。もし私にも力があれば……少しでも話すことができれば……彼らを救えたのかもしれない。

私はマベルとともに、ここで人間の行く末を見守ることにした。

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