第32話 対峙
ユーリの姿が天幕に消えたのを見届けて、スイは護衛を引き付けるために少し離れた路地裏へと向かった。
複数を相手にする場合囲まれてしまうと少々勝手が悪いため、追い詰められたような形になってもこの方が戦いやすい。
なるべく傷付けることを避けたいが、彼らとて命懸けの仕事だと認識しているので手加減しすぎればこちらの身が危うくなる。
時間を掛けられないこと、ユーリの安全が保障できないことを理由に呪具は路地に入ると同時に壊していた。聖女との交渉が決裂したとしても、ユーリなら何とか切り抜けることが出来る。
それは甘い期待などではなくスイにとっては当然の事実であった。
(……来たか)
相手の攻撃を受け流すだけだったが、対峙していた二人の護衛の表情に焦燥感が滲んできた頃だった。彼らが顔を見合わせて後ろに素早く下がると同時に詠唱が響き渡る。
「浄化の炎よ!」
祓魔士が出てくることは想定していたため、青い炎を放って相殺する。護衛や兵士のように剣を主たる武器とする相手であれば適度にかわすことが可能だが、祓魔術はその威力が広範囲であることが多く避けづらい。
そして今のスイにとっては、通常の武具よりも身を損なうことができる力だ。
(かつてはそれを使う側であったというのにな)
自嘲的な思いで僅かに口元が弧を描いたのを見て嘲弄されたと思ったのか、目の前に現れた祓魔士は不快そうにスイを睨みつける。
まだ若く二十代前半だが、王都の教会に所属しているのだから、それなりに才能があるのだろう。油断するつもりもないが、まともに戦う気もない。
袋小路の片側は今の自分なら飛び越えられる高さの壁であるため、一瞬の隙を突けば退避できる。
だが使命感に燃えた瞳で様子を窺う若い祓魔士を出し抜くには少々骨が折れそうだ、とスイは内心嘆息する。
魔王を倒すのに必要な戦力は出来るだけ残しておきたいのだ。
「……一応聞いておこう。何が目的で聖女様に近づいた?」
「忠告だと言えば信じるか?」
あながち嘘でもないのだが、惑わすための戯言だと判断した祓魔士はもはや余計な言葉を発せず、短い詠唱を唱えた。
「恵みの雨よ」
浄化の雨で魔物を弱体化させ、止めを刺すのはありふれた手段だが有効である。
その言葉にスイはすぐさま自分の前に炎の壁を展開する。高位置から落ちて来る雨粒に対抗するためではなく、あちらが用意してくれた機会を活用するためだ。
聖力や魔術で発現させたものはその資質に応じた力が付与されるが、物質としては通常の水や炎と変わらない。高温の炎と水が交われば水蒸気が生じ、一瞬だけ視界がけぶる。
それに乗じてスイは素早く壁の向こう側へと身を投じたのだが――。
「っ!!」
本能的な感覚に従って、壁から離れかけていた足を伸ばして無理やり壁を蹴飛ばした。受け身を取ることを諦めて無理やり身を捻れば、すぐ脇を何かが通り過ぎていく。
地面に転がりながらも瞬時に体勢を立て直せば、不快な臭いが鼻についた。
夜闇が形を成したかのような黒衣の男が暗がりから音もなく現れる。男の下に落ちる影はゆらゆらと不穏にうごめいていて、ぞくりと肌が泡立つ。
(これは……以前森で感じたことがある気配と同じものか)
「……やっと見つけた。貴様のせいで我が君の不興を買う羽目になったのだ」
俯いた表情は見えないものの、低くざらついた声には確かに恨みがこもっている。
このような力のある魔物が現れたということは魔王が現れるのも時間の問題だろう。
愛用の武器を手元に手繰り寄せ、スイは慎重に様子を窺う。ユーリの前では決して見せることがない大刀は聖力の代わりに魔力を纏っている。あの日大切な命を奪った武器は自分への戒めと誓いであった。
ユーリの傍に駆け付けられないことに焦りを覚えながら、それを気取られせないようスイは辛抱強く攻撃の機会を待った。
天幕を飛び出し足早に駆けるユーリの姿に、訝しげな視線が向けられるが、気にする余裕も時間もない。
(スイはどこだ……)
護衛を引き付けるために離れたとはいえ、有事の際には対応できるよう傍にいてくれるはずなのに見当たらない。焦りを覚えるのは当代聖女に会うために自ら負った傷のせいだろう。
思わず零れた舌打ちは無茶をしたスイに、というより全てを任せてしまった自分に対してのものだ。
状況の不透明さはあるものの、一度呼び寄せたほうが良いだろうと胸元のコインに手を伸ばした瞬間、肌が泡立った。
考えるよりも早くその場から飛びのき、剣を手に取ると楽しそうな笑い声が頭上から落ちて来る。
「探し物かい?手伝ってあげようか?」
「……不要だ」
悠然と樹上から下りてきたナギは蕩けそうな笑みを浮かべていて、嫌な予感とともに警戒が高まった。
「本当に?探し物はこれじゃないのかな?」
無造作にナギの手から投げられた物は、かつんと軽い音を立ててユーリの足元に落ちる。
ナギから目を離さないようにしながらも、目の端で確認したそれに心臓が嫌な音を立てた。
身に着けている物など気にしたことなどなかったのに、それは確かに彼の物だと瞬時に分かってしまう。
黒ずんだ血がこびり付いている耳飾りはかなりの力を込めた護身具だったはずだ。それがこうして奪われていることを考えれば、状況はかなり切迫していると察せられる。
「……クラウドに何をした?」
「僕は何もしていないよ?気になるなら連れて行ってあげる。今ならまだ残っているはずだよ」
いつも僅かに口角を上げて微笑んでいるように見えるクラウドの姿が脳裏に浮かぶ。子供らしかぬ態度を取り、聖女ではなく祓魔士を目指すユーリを否定することなく、祓魔術や生き延びるために必要な知識を与えてくれた。後見人として庇護する立場でありながら常に一定の距離を保っていたのは、自分を守るためだと気づいたのはいつの頃だっただろう。
周囲の雑音に耳を傾けることなく、ただ生きる術を身に着けることに夢中だったユーリが悪意に損なわれることなく生き延びてきたのはクラウドの配慮があってこそだ。変わり者と称されながらも、人との関係性を築くことに長けていたクラウドが自分のためにどれだけの労力を割いてくれていたのか今なら分かる。
最後に会った時には見捨てられたような気持ちが込み上げてきたが、当代聖女への働きかけといい、やはり彼はユーリにとって恩人であり信頼できる後見人だった。だからこそユーリの答えは決まっていた。
「不要だ」
見捨てるのかと誹られようともユーリにできることはそれだけだった。クラウドへの思慕や気遣いはむしろクラウドの命を損なう要因となりかねない。
ユーリを所有物として扱い、独占欲の強さを見せる魔王であればユーリの目の前でクラウドを殺すだろう。
込み上げる感傷を断ち切るように明確に拒絶の言葉を口にしたユーリを、ナギはどこか意外そうな様子で眉を上げる。
「ふうん?もう少し執着しているのかと思ったけど、それなら取っておく必要はなかったかな。それなら当代聖女のほうにしよう」
昼食のメニューを決めるかのように軽やかに告げられた言葉の内容は決して穏やかな物ではない。にっこり微笑んだ顔は無邪気ささえ感じさせるほどの屈託のない表情だ。
魔王の存在を察知してまださほど時間は立っていない。祓魔士たちへの命令や民衆への避難指示など当代聖女でなければ動かせないことが山ほどあるのだ。そして何より彼女の助力なくして魔王を殺せるとは思わない。
「手出しはさせない」
ユーリは手を掛けていた剣を握りしめ、ゆっくりと構えを取った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます