第29話 想い
身体が燃えるように熱いのに寒い。震える身体を丸めても一向に収まらない寒気にただ耐えるしかない自分を惨めに感じる。
まるで熱病にかかったようだと朦朧とした意識の中でユーリは思った。
ずっと昔熱が下がるまでずっと母が傍にいてくれたことを思い出せば、途端に心細さが増す。
『――は寂しいだけなの。受け入れれば幸せになれるわ』
慈愛に満ちた美しい声は誰のものだろう。母とは別の透き通った優しい声なのに何故か母と父に愛された記憶とその柔らかな感情が浮き上がってくる。
(ああ、滑稽だな。私の味方はもう誰もいないというのに)
朦朧とした意識の中で幸せな記憶に水を差すように、断片的な記憶が脳裏によぎった。
自分を縛る枷から抗って足掻いた結果、失われていく命。生き延びるためには手段を選ばないはずなのに、まるで身代わりのように他の人間が殺されていくのだから、憎まれても仕方がない。
ナギの気まぐれでいとも簡単に、自分の行為は全て無駄になる。どれだけ心を砕いても必死に護ろうとしても、結果的に失っていく一方なのだ。
(このまま死ぬべきかもしれないな)
最近ではずっと死ぬことを考えている気がする。
『貴女は生きていていいの。そのためには……しい選択を……』
心地が良いのに何故か聞きたくないと拒絶すれば、遠ざかっていく声の代わりに温かい何かに包まれた。
(温かい…安心する匂い)
暗い感情が溶けていくように心が穏やかになっていく。力が抜けていく感覚にユーリは深い眠りへと落ちていった。
目を覚ますと見慣れない天井が視界に移った。起き上がろうとしたユーリは自分の身体が何かに拘束されていることに気づいて息を呑む。
「ああ、起きたか。熱は下がったようだが、傷のほうはどうだ?」
頭上から聞こえる声に肩の力を抜きそうになったが、身体の上に乗った腕を押しのけて起き上がった。
「……何で一緒に寝ているんだ」
「寒がっていたから温めていただけだ。悪かった」
断片的だが温かいものに包まれた記憶は確かに残っている。以前ナギがベッドに入り込んだ時には嫌悪感しかなかったが、無意識のうちに感じた安心感のようなものを覚えていた。
「そうか。……助かった」
身体は未だに倦怠感が残っているが、頭はすっきりしていてだいぶ楽になっていた。ふとスイを見れば驚いたような表情のまま固まっている。
先ほどの自分の言葉を思い出してもおかしなところはない。それとも礼を言ったことがそんなに驚くようなことなのだろうか。
少しもやもやした気持ちが芽生えたが、ユーリが口にしたのは別のことだった。
「ここはどこだ?あいつはどうした?」
自分に執着しているナギの姿がないことは喜ぶべきことだが、逆に嫌な予感しかない。
「ここは王都ディアナートだ。あれに居場所はバレているかもしれないが、今のところ接触はない」
王都に連れてきたのは単純に人口密度の高さにある。ナギがユーリの居場所を探るのに目印としているのは聖女の魂であるから、人や聖女が多くいる王都で少々の時間稼ぎになると考えたからだ。
ユーリもそれが分かったから文句はなかったが、これ以上ここに留まり続けるわけにはいかない。
「私は教会からも狙われる立場になった。あいつらは前世の記憶がある私を許容しないだろう。それに……クラウドもどう動くか分からない」
育ててくれた恩師ではあるが、あの時の状況から考えて自分の味方になってくれるか怪しいし、教会のルートが使えない以上接触するのも危険だろう。
王都にいる聖女と祓魔士の数も能力も他の地域とは比べ物にならないのに、彼らと事を構えれば制限が掛けられているユーリは圧倒的に不利なのだ。
「そもそもお前が魔物だとバレれば殺されるというのに、よく王都なんかに来たな」
「お前の身の安全を考えれば、ここが最善だった。教会よりも魔王のほうがはるかに厄介だ」
躊躇のないストレートな言葉にユーリは頬が熱を持つのを感じた。今までは気にすることもなかった言い回しなのに、スイの言葉と行動が心から自分を思ってのことだと実感したからだ。
「まだ熱があるのか?」
「っ、もう下がった。それより、これからどうするつもりだ?」
「一応考えてはいる。上手くいくかは分からないが…」
淡々とスイから告げられた内容にユーリは頭を抱えることになった。
「ユーリ、大丈夫か?」
「……大丈夫でなくても必要なことだから仕方ない」
気遣うような声に不機嫌そうな声で返してしまったが、不安と緊張のせいでそれどころではない。
聖力を封じた状態で市街地を歩くのは思った以上に負担が大きかった。無意識につないだ手に力が入るが、大丈夫だというようにスイは握り返してくれる。
当代の聖女との面談を提案したのはスイだった。教会の最高責任者は教皇であるが、民衆への影響力と実力という面においての最高権力者は当代聖女である。聖女の中でも魔を祓う力が突出して高い者だけに許された地位と称号で、名前すら秘され大切に守られている存在だ。厳重に警備された祭壇で女神に祈りを捧げることだけに専念しているという。
魔王を倒すうえで欠かせない戦力ではあり、協力を仰ぎたい相手ではあるがユーリがおいそれと会えるような身分の人間ではない。
だが当代聖女も全く民の前に姿を現さないわけではなく、それが半年に一度行われる祭事だった。
王都の住人だけでなく近隣地域からも当代聖女を一目見ようと集まるため、大きな行事の一つとなっている。今回は二日後に迫っている収穫祭で何とか当代聖女と接触するという一見無謀な提案にユーリは最初難色を示した。
「当代聖女なら嘘を見抜く力ぐらいあるだろう。それにお前の聖力は澄んだ空気のような清浄さがある。信じてもらえる可能性は高い」
「その前にあれに妨害される可能性が高いだろう」
スイは少し躊躇うような素振りを見せた後、ユーリの反応を窺うように切り出した。
「ユーリの魂と言ったが、詰まるところお前の聖力に反応しているのだと思っている。だから一時的に力を封印すれば、目くらましになるかもしれない」
「……力を封印すれば私は祓魔術を使えず無力な小娘でしかないのだが?」
分かっているとでもいうようにスイは無言で頷く。
頭ではそれが悪い提案でないことを理解していても、感情が納得しない。自分を守る武器を捨てろと言われておいそれと承諾できる奴はいないだろう。
「俺が絶対にユーリの傍を離れない。呪具を使って封印するから、危険が迫った時には破壊すればすぐに力を戻すことができる」
それでも全てはスイの行動によって自分の命を委ねることになるのは変わらない。
信頼していない訳ではないのに、背後から刺された記憶がよぎるのはユーリ自身の問題だ。スイを見ればユーリの葛藤など分かっているだろうに穏やかな表情を浮かべている。瞳の色が変わっても自分を見つめる眼差しは以前と変わらず優しい。
人は変わるし簡単に裏切る。それなのにどうしてスイだけは変わらず傍にいてくれるんだろう。そう考えるたびに湧き上がる想いに蓋をする。逃げているだけだと分かっていながらも、そうしなければいけないのだとも思っている。
その想いを魔王に気づかれればスイはただ殺されるだけでは済まないだろう。既に魔物に堕とされたスイにこれ以上苦痛を与えたくはない。本当なら幸せになってもらうために自分の傍から遠ざけるのが正しいのだが、今度こそは護るというスイの使命感と罪悪感につけこんで甘えている状態だった。
(叶うことならもう一度お前と一緒に穏やかな日々を過ごしてみたかった)
生き延びたいと思ったのはその先にある幸せに焦がれたからだったが、そこにいるのが自分一人では意味がない。
「スイ」
伝えたい想いや感謝の言葉を飲み込んで、ユーリはただ一言スイに告げる。
「ちゃんと護れよ」
「ああ、お前は俺が必ず護ってみせる」
偉そうな口調にもかかわらずスイは穏やかな笑みを浮かべて答えた。
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