第20話 怒りの理由
依頼人とともにジャンとセーラが牧場に向かったあと、ユーリはナギの腕を掴み部屋に向かった。
「今すぐ止めろ。あの程度の陰口はいつも言われているだろう」
「嫌だね。あんなまがい物の聖女に僕の聖女が侮辱されるなんて許し難い」
しらを切られるかと思ったが、ユーリの言葉を肯定した上でナギはつまらなそうな顔で答える。
「……侮辱?」
てっきり自分への中傷が気に食わないのかと思いきや、予想外の回答にユーリは首をひねった。
「あんな魔獣のためにわざわざユーリが血を使って退治したのに。手柄をかすめ取るような真似されてどうしてユーリは怒らないの?」
「……逆にどうしてお前が怒るのか分からないんだが?」
ユーリの言葉にナギが呆気に取られたように目を瞠った。
(この顔は二度目だな…)
一度目は賭けを提示される直前のユーリの言葉。
『どうやったってお前の求めるものは得られない』
魔王の願いは分からない。だけど常に笑みを浮かべていながら、誰にも何にも関心を払わない態度を取るナギは、いつもどこかつまらなそうで空虚な様子だった。
「……だって、ユーリは僕の所有物だから?」
僅かな沈黙のあと、ナギは呟くように告げる。
疑問符を浮かべた回答にユーリは思わず笑いが漏れた。まるで道に迷った子供のような、途方に暮れた様子はいつもの含みのある表情ではなく素の表情に見えたからだ。
「お前の物じゃないと何度も言っている。だから怒らなくていい」
自分のためにナギが怒ったことを意外に思ったし、何故そうしたのかナギ自身分かっていないようだった。ユーリとて仕組まれたことに何も思わないわけではない。
心のうちに燻っていた怒りが少しだけ和らいだ気がしたが、魔物をけしかけるのはやり過ぎだ。何度も説得を試みたもののナギは承知することなく、ユーリは諦めて牧場へ向かうことにした。
「ゴブリンが出たと言い張ったのはあいつらなんだから自業自得なのに…」
文句を言いながらも付いてくるナギだが、足止めされることはなく牧場へ到着する。戦闘が始まれば気づかれるだろうが、その前に顔を合わせて面倒に付き合うことはない。
幸い前日の見回りで死角になりそうな場所に心当たりがある。住居と納屋に目が届き、牧場を見渡せる木陰に潜んで待つことにした。
「ねえ、ユーリ」
月が上空に昇った頃、甘さを含んだ声で呼ばれ、後ろから抱きすくめられた途端に息苦しさを覚える。
「…っ、どういうつもりだ!」
濃い魔力の結界に包まれたのだと気づいた時には遅かった。険しい表情を浮かべるユーリに、同じく結界内にいるナギは笑みを深めて余裕の表情を浮かべている。
「最初から手助けしてやるつもりなの?腕に自信があるのだろうからまずはお手並み拝見といこう。心配しなくても10分後に結界を解いてあげるから、ね」
ゴブリン自体は手ごわい魔物ではない。自分の欲に忠実な性格で、知性は低いのに相手の弱点を把握するのが得意だが、背丈が低く力も強くないため攻撃力は劣る。
だがゴブリンが群れで行動しているのなら話は別だ。本能のままに行動し他の仲間が殺されようが気にせず襲い掛かってくる様は醜悪で、度重なる攻撃は退治する側の精神に負担がかかる。
そしてゴブリンは弱者に対しておぞましいほどに残酷だった。
ガラスが割れる耳障りな音がはっきりと聞こえる。乱暴な扉の開閉音、バタバタと走り回る足音、怒声と悲鳴に思わず目の前の結界を殴りつけるがびくともしない。
「ここから出せ!!」
「あと7分」
いつの間にか握られた砂時計から滑り落ちる砂はまだ僅かだ。幼い子供の泣き声に焦りが募る。
剣に聖力を纏わせ結界を一閃するイメージを浮かべて、鋭く踏み込んで振りかぶった。
「ぐっ……」
剣を落とすことはなかったが、固い大きな岩壁に阻まれたかのようにそれ以上深く切り込めない。
「壊せるなら壊してもいいけど無駄だから止めたほうがいいんじゃない?ほら、あと5分」
暗闇に慣れた視界に眩しい光が辺りを照らした。
それは聖女が行使する術の一つだったためセーラが無事な証拠でもあった。家の中では剣を振るうのに不利だからだろう。ゴブリンたちの目を眩ませた隙に、外に飛び出てきた人影が3つ。
セーラとジャン、そして依頼主が子供を抱えているのが見えたがその妻の姿が見えない。家の中から金切り声が断続的に聞こえてきて、それが唐突に途切れた。
「セーラ、結界を張るんだ」
「でもそんなに長く持たないわ。もしも囲まれて術が切れたら……」
夜目にもはっきりと青ざめて怯えたセーラの表情が見えた。
「数が多すぎる、一旦退こう」
ジャンの言葉に青ざめていた依頼人が血相を変えて詰め寄った。
「えっ、待ってくれ!話が違う!」
「死にたくなければ早く来るんだ!」
突き放すかのように走り出したセーラとジャンだったが、その背後に向けて大きな塊が飛んできた。
足を取られて転んだセーラを助け起こそうとしたジャンが息を呑む。そんなジャンの視線を辿ってセーラが足元に目を向ければ、それは変わり果てた容貌となった依頼人の妻の生首だった。
「きゃああああああ!」
「落ち着け、セーラ!」
甲高い悲鳴が上がり、ジャンが慌ててセーラの口を塞ぐが既に手遅れだ。悲鳴のせいで自分たちの場所をすべてのゴブリンに知らせる形になってしまった。
いち早く我に返ったのは依頼人で、子供を抱えると近くの納屋に逃げ込むと鍵をかけた。通常なら悪手だが、現段階の差し迫った脅威から身を護るには有効な手段だ。
暗闇にギラギラと光る目が浮かび上がり、我先にとジャンとセーラに襲い掛かる。
「くそっ!」
屋内に比べれば戦いやすいはずだが、次々と群がるゴブリンに焦りの色が浮かぶ。
「嫌っ、やめて!!」
障壁を展開するのが間に合わず、ゴブリンから髪の毛を摑まれ引き倒されたセーラに別のゴブリンが馬乗りになった。服が乱暴に引きちぎられて何を目的にした行為かは明白だ。
「セーラ!!」
邪魔なゴブリンを力任せに切り捨てんばかりの勢いだったが、肩の半ばという中途半端な位置で刀が止まる。既に手にしている長剣は血塗れで切れ味が落ちたため、それ以上刃を通すことができなくなっていた。慌てて引き抜こうとするが、その機会を見逃すゴブリンではない。
腕や足に噛みつくと大勢でジャンに群がっていく。
「あと10秒。ユーリはどっちを助けるの?」
生命の危機に瀕しているのはジャンのほうだが、だからといって犯されそうになっているセーラを見捨てたくはない。
「ナギ、私に血を使わせたくなければセーラを助けろ」
ナギの答えを待たず、ユーリは結界が解けると同時に詠唱しながら駆け出した。
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