第六話
(1)睡蓮の花
事態が動いたのは七月第一週目の土曜日だった。
沫波家のリビングで次の襲撃場所を検討していたらスマートフォンの通知が鳴った。見出しを読んだ香助は、慌ててテレビのリモコンを掴んだ。
「香助、これは……」
映し出されていたのは上空からの映像だ。生い茂る緑に囲まれた広場と石畳、そして水色の屋根が見て取れる。広場では作業服を着た男たちが行ったり来たりしていた。
美月と諫武が殺し合った、あの神社だ。
テロップには『仲津町の神社で人の骨の一部を発見』とあった。
『7月3日、仲津町内にある神社の敷地内で人の骨の一部と見られるものが発見されたことが警察への取材で分かりました。警察は鑑定を進めるとともに現場周辺を詳しく調べています。
人の骨の一部とみられるものが見つかったのは仲津駅から1キロほど離れた神社の敷地内で、本殿の裏手にある林の中から埋没した状態で発見されたとのことです。また、現場周辺では女性のものと思しき衣類が埋められた状態で見つかっており警察は人骨との関連を調べています。仲津町周辺では今年に入ってから行方不明事件が頻発しており――』
血の気が引いた。
見つかってしまったのだ。あの日、美月と二人で埋めたものが。
美月は、遺体を溶かして喰べることができる。肉であれ、骨であれ、溶解させて啜ることができる。だから遺体は残らない。だが最初は違った。三人目までは、もっと雑に喰べていた。ゆえに現場には、細かな肉片・骨片が散乱していた。加えて戦闘に巻き込んで飛散したものもある。拾えるものは拾ったが回収し切れなかった破片が残っていたのだろう。そして服と装飾品。これらも美月は喰べることができない。従って食事場所の近くに埋めるようにしている。それらが発見されてしまったのだ。
(でも、何でだ?)
穴は深めに掘っていたし、肉片がこびり付いていたわけでもなかった。獣に掘り返される心配はないだろうと見込んでいたが……。
「香助、これは危険な事態なのか?」
声は緊張を孕んでいた。一旦「いや」と返してから、額を小突いた。
「今すぐ何かあるってわけじゃない。君の血が諫武の制服に散っている可能性はあるけど、検出されたところで前科があるわけでもないし……」
そう、自分たちに繋がるものは何もない。こんな事態も想定内だ。
だが、どうして見つかったのか? その不可解だけが喉に刺さっている。
「美月、産卵までどのぐらいかかる」
「……そうだな」
彼女は、こめかみに指を押し当てた。
「既に胚は発生している。正確に測れるわけではないが……凡そ一か月。それだけあれば充分だ。充分に成熟する」
「なら問題ない。たったひと月で俺たちに辿り着けるはずがない」
そう断言したが根拠があるわけではなかった。遺留品を見つけられた理由が分からないのだから足が付かないという理由もない。不安の芽は、生える場所に事欠かない。
たとえば警察犬。あの忠実な獣たちが被害者の所持品から埋没場所を探知したのかも知れない。だとすれば、毛髪などの遺留物から追跡を受ける可能性もないとは言えない。あるいは目撃証言――埋める作業を見られでもしていたら手錠を架けられるまで猶予はないだろう。
いや、そもそも、
(俺が葛城と会ってるじゃないか。それがきっかけなのだとしたら……)
吐き気が込み上げてきた。
最悪の想像は嫌らしく肺腑を締め上げてくる。呼吸を乱すまいと努めたがどこまで成功しているかも判らない。脚の力は床へ逃げ、情けなくもへたり込みそうになる。丁度ソファでもあれば良いが実際は無様に尻を付くだけだろう。
唇が頼りなく震えた。
「香助」
そのとき、手首に触れるものがあった。
滑らかで、ひんやりとした心地良さ。その感触は手探りで彼の肌を伝い、怯える指先にそっと絡んだ。
驚いて振り向くと、美月の黒い瞳があった。
凪いだ、夜の海のような瞳。
包み込まれた己の姿を眺め入るうちに、次第に心は落ち着きを取り戻していく。胸に手を当て心中で繰り返した。
問題ない。自分たちに繋がるものは何もない。こんな事態は想定内だ。
「大丈夫。予定通り海へ向かう準備をしよう」
硝子戸の外を見やる。主を失い、名も知らぬ雑草に支配された、かつての庭園。
片隅に置かれた鉢の水面で、睡蓮が鮮やかな花を咲かせていた。
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