暗礁
部屋の蝋燭灯に火をつけ、黒いローブを椅子の背中に預ける。異世界に似つかわしくない格好でベッドの上を転がった。齷齪と動き回り汗をかいた覚えはない。それでも、身体の節々は妙な疲労を訴え、眠ることを唆してくる。肩を回し、足を揉んだ。が、疲労の霜は振り払えず、身体の深部に根付いたものだと気付かされる。
異世界に来てからというもの、目の前のことに度々、喜怒哀楽を振り分け、それを発露させてきた。以前の俺なら、斜に構えて無感動を装い、退屈な表情をぶら下げていた。慣れない激しい気分の乱高下は、精神的な負荷となり、埃を払うように身体の疲労と向き合ったところで晴れやかな気分にならなかったのは至極当然であった。問題は内部にあったのだから。
泥のように眠るには些か物足りない、出不精が患いがちな不透明な疲れから、やおら目蓋を閉じる。少しして、ぐるぐると目が回るような感覚に浸かり始め、俺は致し方なく薄目を開ける。すると、低いはずの天井が、酸素を取り込んだ肺さながらに膨れて離れていく。ただ、蠕動する臓器とは違って、離れた天井は帰ってくることがなく、硬いベッドに沈み込む蟻地獄の様相と相まって、遠近感は狂いに狂った。
「……」
常軌を逸した様々な事柄に関して、心にもない態度や言葉を繕い、誇大した人物像を投影し異世界に順応してきたつもりはない。無理がない生来の資質を打ち出してきたつもりでいたが、緩慢とした意識を見計らって、知らず知らずのうちに蓄積したストレスが感覚の狂いを生んだ。
睡魔は一向に寄って来ず、暗澹たる村の風景が頭にこべり付いて離れない。俺はこの霧がかった感覚を霧散させようと上体を一気呵成に起こし、ベッドから離れた。とりとめもなく横になるのは思い詰める要因となり、朝方まで寝苦しさに苦心する姿が目に浮かぶ。
「行ってみるか」
行方不明者を世界の終焉を悟った人間が、風来坊のように出て行ったという粗野な解釈をこじ付けた村人の意見を鵜呑みにして巡回を終わらせた俺は、居ても立っても居られずに城を飛び出した。雲の裏手に身を潜める月の所在によって、壁のような分厚い暗がりが辺りに蔓延る。風一つない安閑とした花曇りの空は、月明かりをいつまでも落とす気がないようだ。
俺は右手に炎を灯し、浮き上がる。地面と空との距離感が掴めず、アイを連れて空中を歩いた時よりも、長く上昇をした。海の底に向かって落ちているかのような不安が息を詰まらせ、想定した高さに至る前に、暗礁に乗り上げる。無鉄砲に身体の向きを変えれば、村の方向を見失い、にべもない暗闇の中で迷子になる。俺は、天気を占う下駄を放るように一歩目を踏み出した。火の玉を片手に歩くフライングヒューマノイドの影法師が夜の帳に浮かんでいることだろう。
「……」
物音一つない異世界の夜は、広いはずの空に浮かぶ俺に圧迫感を与える。目指す先がハッキリと捉えられた昼間の有り難みと、街頭によって照らされる町の明るさが恋しい。蹴り出す地面を逸した歩幅はその頼りなさ故に、大股を広げる気概が生まれず、氷上のペンギン顔負けの遅々とした歩みで空を進んだ。俺は何度も地上に降りて村を通り過ぎていないかを確かめながら、暗中模索を繰り返す。そしてそう遠くない内に、記憶に新しい村の出入り口に降り立った。
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