この異世界は

「コン、コン」


 来訪者の礼節に即した扉を叩く音が、暗夜の礫となって飛んできた。俺達の首を締めんと画策する「バエル」魔の手が、確実にそこまで迫ってきているという、強迫観念に襲われた。


「コン、コン」


 猜疑心に手引きされる取り越し苦労ならば、喜んで受け入れて杞憂を楽しむつもりだ。俺とベレトは、目も合わせず、言葉を交わす事すらしないまま足並みを揃えている。


「コンコン」


 まるで列を成した公衆便所の憂いを連想させる執拗な扉を叩く音は、焦燥が滲み、反応を頂くまで手を止めぬ勢いがあった。


「……どうする?」


 俺はなるべく声を潜めてベレトに訊いた。


「仕方あるまい」


 諦念を感じさせる語気でベレトは扉に向かって手をかざす。目で捉えられないが、風を巻いて動くそれは、扉を壊すだけの力強さを有しており、濁流が押し寄せるかのような不穏な音と共に扉は木屑となった。その先では、廊下の壁にもたれる人間が一人、覗く。


「……」


 起爆装置の点火を嫌った足の運びで徐に俺達は機能不全に陥ったと見られる人間のもとへにじり寄った。バエルに遣わされた者が一人だけとは限らない。慎重に物事を運ぶ事は決して過大な憂慮にならず、気もそぞろに辺りを見回すような小胆さも、まごつく歩調の正当性を担保する。


「触れるなよ」


 ベレトは何が起きてもおかしくないと、俺の狭窄な視野を広げた。


「どうしたものか」


 腰を下ろし、一寸先で虚脱した人間と視線を合わせながら、今後の機運を図りかねていると突然、部屋の扉が閉じた。それは風や地震などのなるべくしてなった開閉ではない。意図を多分に含んだ扉の閉まり方で、廊下へと拐かされたのだ。何かが起きている。そう身構えた直後、左右に開けた廊下が折り畳まれるようにして道は閉ざされ出す。


「ベレト!」


 藁にもすがる思いでベレトを呼んだものの、俺達はやむなく鳥籠さながらの四角い空間に囚われる。


「……」


 手も足も出ないといった具合に聞き耳を立てるベレトの様子から、俺も騒ぎ立てるのを止め、事態の行方を静観した。すると間も無くして、四方の壁が折り紙のように倒れていき、蝋燭灯とは比べ物にならない松明の灯りが目前の景色を明朗にした。


「ベレトにレラジェ。ようこそ、我が城へ」


 王座と呼んで相応しい椅子の装飾は、そこに座る者の位を表し、俺達の名前を平然と呼ぶ目の前の相手こそ、「バエル」という脅威そのものであった。ただし、無為に言語の垣根を超えてきた今までとは打って変わり、舌使いや発声に付き纏う不安が一切なかった。鏡の前で繰り返し見てきて、慣れ親しんだ蒙古襞や鼻の低さなど、アジア人特有の顔貌に起因した、卑近なる感情が介在し、けたいの知れない相手との顔合わせを必要以上に恐れなかった。


「ところでお二方、つかぬことを訊くが力を貸してくれないか?」


 だからこそ、助力を求める姿勢にそれほど忌避感がなく、思わず耳を傾けてしまう。そして、バエルは続けて言う注進は、今置かれている異世界の状況を端的に言い表した。


「この世界を救う為に」

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