目も当てられない
「!」
右手の指先に掠める感触を覚え、舵を切って重心を低くすると、ラガーマンさながらの突進を見舞う。
「おぇ」
人とぶつかった確かな衝撃と、歪んだ口から吐かれる濁った声が、よりその存在を詳らかにする。俺はそれを地面に薙ぎ倒すと、馬乗りを思い描いて鎮座する。
小賢しい「力」の加護は、徐に失われていき、ぽつりぽつりとにわか雨を受けるように頬や肩、黒い髪に蠕動する喉仏が露わになりだす。点と点を繋ぐのに無理がない人体の様相が目の前に現れ始め、俺はその時を静かに待った。万感が胸に込み上げ、鏡の前では決して形作られない醜悪な笑みが口端を歪ませた。
だが程なくして、嬉々として膨らんだ横隔膜が針で突かれたように萎み、冷や水を浴びたのと変わらぬ冷たい汗が額から頬にかけていくつもの轍を作る。ひたすら疑問がこんこんと湧いて止まらず、複雑怪奇に胸中をかき混ぜられている。
「トラビス……?」
その名の為に。
手前勝手に抱いた親近感は、目眩となって俺を襲い、まばたきをする事はおろか、息を吸うのも忘れてチカチカと揺らぐ視界を味わう。
「すみません、すみません、すみません」
贖罪の言葉をトラビスが繰り返し訴えているが、その瞳の中に俺はいない。誰を見て、誰に詫びているのか。トラビスの襟首を掴み上げ、目と目を合わせようとすれば、トラビスは眼球を転がして頑なに意思の疎通を図ろうとしない。
「お前、」
血が頭に向かって集まり始め、舌の上に怒気が転がる。
「すみません」
壊れた人形のように軽々しく謝るトラビスに堪忍袋の尾が切れて、俺は拳を振り上げる。その時だった。
「バエル様。申し訳ありません」
トラビスが言い放った言葉は全身に作用し、さめじめとした感覚が瞬く間に支配する。月に別れを告げて赤く燃える太陽に比肩する、顔の紅潮は病理めいて触りがたい。そして、身体は痙攣を始め、馬乗りになって優位を主張するより不安が勝ち、俺は直ぐに立ち上がった。今まで抑えられていたのだろう。トラビスの身体は陸に打ち上げられた魚のように跳ね上がる。
「ト、トラビス……?」
この異世界に目の前の患者を正確な知識と技術でもって対応できる医療に明るい人物がいるとは到底思えない。つまり、こうなる。
「ゴボッ」
口から泡を吹き、充血した目玉は裏返ったまま帰って来ず、不制御に陥った身体の具合は二目と見られない。指の間から覗くように成り行きを静観していると、顔が風船のように膨張を始め、皮膚に走る亀裂から血が滲み出す。それは想像に難くない結末に向かっていき、「破裂」という取り返しのつかない事象までそう時間は掛からなかった。
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