思い出の答え合わせ

尾長律季

第1話 羽休め

「そろそろ始めますか、大鷹おおたかさん」


 先生は、ケーキを頬張る私に優しくそう言うと、ノートを広げてこちらに視線を送ってくる。


「あっ、すいません。ここのケーキ美味しくて、つい……」


「大丈夫です。うーん、もしかして、仕事の話は嫌ですか?」


 心配そうな顔をして聞いてくる先生を見ると、どこか懐かしい彼を思い出させる。少しぼーっとしてしまう。


「ん?」


「あの、いや、えーっと大丈夫です。あっでも、大丈……いや、だいじょばないかも」


「ふふっ、何それ」


 笑った顔も然り。やっぱり、先生は彼に似ている。


「じゃあ、仕事の話はまた今度にして、気晴らしに恋愛の話でもします?」


「恋愛ですか。私、今誰とも付き合っていませんよ」


「では、過去の恋愛話。……中学の時の話とか」


「中学ですか……」


「あっ……。相談のジャンルは仕事なのに、恋愛話は嫌ですよね。別の話に——」


「私」


「え?」


「私は、なんていうか、中学の時、先生に似ている人を好きになったことがあるんです」


「僕に似ているんですか」


「はい。……話す練習だと思って、その時の話をします」


「わかりました。でも、無理はしないでくださいね。嫌になったら、途中でも話すのをやめて大丈夫です」


「了解です」


 真剣な顔をして私を見るその視線が、あの時と同じだった。思わず俯いてしまう。先生のカウンセリングを受けて、相手の目を見ながら話せるようにはなってきたのに、この話は難易度が高い。


「ちゅっ、中学の時、付き合っていた人がいたんです。その人は、小学生の頃からずっと気になっていた相手で……」


「片想いが、両想いになったんですね」


「はい。私から告白をして、付き合うことになって、それはもう、めちゃくちゃ嬉しかった。嬉しかったんです。……それは、本当で」


「大丈夫です。伝わってますよ」


 どこか寂しさを感じている、そんな表情をする先生を思わず見てしまった。


「す、すいません。なんか、あの、えーっと。やっぱり、やめた方がいいでしょうか、この話」


「僕に気を遣っているんですか?……これは、大鷹さんのためのカウンセリングですし、練習だと思って、ゆっくり、自分のペースで話してみてください」


 返事はしたものの、声が出せなくなってしまった。頭の中ではたくさん話しているのに。言葉が届かない。


「……ごめんなさい」


 カフェの店内に流れるジャズの音量に負ける小さな声は、先生に届かず。私はまた俯き、お辞儀をしてカフェを出てしまった。



 先生の声が聞こえた気がする。何を言ったんだろう。きっと、私が傷つかない言葉だろうな。カフェの支払いが注文時で良かった。いや、もしかしたら、先生はそういうことも考えてお店を選んでいるのかも。後払いだと、こういう時、黙って帰れなくて、座っていることしかできないから。

 仕事が辛いっていう感情だけ伝えて、先生を困らせているのはわかってる。次は、さっきの続きを話そう。いや、書こうかな。原稿があれば話せるかもしれない。


「原稿か……」


 ごめんなさいだらけのトーク画面を開き、「ごめんなさい。次は話せるようにします。またお願いします。」と打って送信した。後回しにすると面倒になるから、帰ったらすぐに書き始めよう。やることが見つかって、早歩きになる。

 


 公園のベンチで寝ている若者の横を通って、少し笑ってしまった。他人のことを考える余裕なんてないけれど、あの若者は楽しく生きる術を持っている気がする。


「よし」


 気合いを入れすぎないように頑張ろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る