第24話 臨時ベビーシッター
朝一番、店のドアに『本日臨時休業 お菓子の販売のみあります』の張り紙をする。
昨晩のうちにいくつか焼き菓子の準備はできたので、わざわざ買いに来てくれた人のためにそれだけは売るつもりだ。
「たぶん明日には何かしら反応があると思うけど、それまではごめんね」
「私は大丈夫ですよ」
ルクスさんはハーブの世話に行き、その間に私は三人分の朝ごはんの準備を始める。
支度が終わる頃になっても、ルクスさんが外から戻る頃になっても、エリックが起きてくる気配はなかった。
「あれ、まだ起きてきてない?」
「はい」
「悪いけど、起こしに行ってもらってもいいかな。僕よりスズの方がいいと思うんだ」
ルクスさんは年上とはいえ、実子ではないから、弟と接しにくいんだろうな……。
私は気持ちを汲んで、代わりに二階へ上がる。
ルクスさんの部屋に入るのは、この世界で目覚めた時以来だ。
少し躊躇いを覚えながらも、丸くなって眠る小さな男の子に声をかける。
「エリック様、朝ですよ」
すると、彼は身じろぎして、「ママ……」と呟いた。
目元にはうっすら涙の跡がある。
家ではママって呼んでるのかな。まだお母さんが恋しい年頃だよね。
私はベッドに腰掛け、さらさらのブラウンヘアーを撫でる。
「お寝坊さんですね」
「……ん」
エリックは私のスカートをきゅっと握り、ゆっくり瞼を開いた。
「朝ごはんを作ったんですけど、食べませんか?」
「……食べる〜、部屋まで持ってきて」
「一緒に下まで降りましょう。お兄さんが待っていますよ」
「ん……」
寝ぼけたエリックは、私の言うことに素直に従って、よたよた階段を下りる。
普段は強がっているだけで、こちらが彼の本性なのかもしれない。
「おはよう」
「おはよう……」
先にテーブルについていたルクスさんが挨拶をすると、エリックも戸惑い気味に返す。
「何かしたいことある? 遠くには行けないけど、今日はエリックのしたいことをしよう」
「仕事はどうするの」
「休みにしたよ」
その言葉を聞いたエリックは、年相応の嬉しそうな顔をした。
「それなら兄上、スズを貸してくれ」
「スズは物じゃないから貸せないなぁ」
「じゃあどうすればいい」
むっとする弟にルクスさんは言う。
「僕と遊んでくださいって、スズにお願いしてごらん」
プライドの高い子には難しいんじゃないかな。
私がそう思う一方で、エリックはきゅっとパジャマの裾を掴んで俯いてから、意を決したように私を見上げる。
「……っ。僕と遊んでください!」
ああ、子どもって可愛いな。
私は腰を屈め、視線を合わせて微笑む。
「エリック様、もちろんです」
「エリックでいい。スズには特別許可してあげる」
「じゃあエリック、何して遊びますか?」
「コマ! 僕、持ってきてるんだ」
何がきっかけかは分からないけど、少しは心を開いてもらえたらしい。
エリックは大人ぶることを忘れ、流行りの玩具について楽しそうに話す。
「遊ぶ前にお風呂だからな」
「えー、めんどくさ」
「ここのは魔法のシャワー付きだから楽しいよ」
「それ家にもあるよ。最近出た魔道具でしょ?」
ルクスさんとエリックも、なんだかんだ兄弟らしい会話をしている。
「まずは朝ごはんを食べちゃいましょう」
エリックに席に座るよう促してから、自分も隣に座る。
今日の朝ごはんは、蜂蜜をかけて食べるパンケーキだ。
いつもより手間はかかったけど、きっと喜んでくれるだろう。
◇◇◇
「スズ! こっち! 湖がある!!」
「待ってください、エリック」
子どもはどうして、こんなにも元気なんだろう。
コマで遊んでいたかと思ったら、すぐに飽きてチャンバラごっこを始めるし、森を探検し始めたら今度は突然走り出して、追いかけっこの始まりだ。
目を離すわけにはいかないので、私は草が生い茂る獣道を懸命に走る。
「スズはどんくさいなぁ」
エリックは後ろを振り返り、小馬鹿にしたように笑う。
「その通りなので、もう少し、お手柔らかに、お願いします……!」
私の体育の成績は万年【3】だ。運動能力だけだったら【2】以下のところを、授業態度と筆記テストでどうにかカバーしていた。
アラサーだからなんてことは関係なく、私は昔からどんくさいのだ。
「わっ、すごい。魚がいる!」
エリックは話を聞かず、前方の湖に気を取られているようだった。
「エリック! 水辺は危ないですよ!」
そう叫んだ次の瞬間――警告した私の方が、地面を這う蔦に足を引っかけ、すっ転ぶ。
「きゃっ」
ズサっと手からいった。
いたたたた……。
ゆっくり体を起こすと、擦りむいた腕と膝から血がにじんでいる。
派手に転んだわりに、この程度の怪我で済んで良かった。
それよりも、今は息切れの方が苦しくてたまらない。
ぜぇぜぇと肩で呼吸をしながら地面にへたり込んでいると、様子を見に戻ってきてくれたエリックが、さっと青ざめる。
「スズ、転んだの?」
「あはは……危ないのは私の方でしたね」
「どうしよう、いっぱい血が出てる……」
「このくらい平気ですよ」
私がいつまでも動かないせいで、大怪我をしているように見えたのかもしれない。
不安にさせないよう、なんとか呼吸を整え立ち上がり、頭をぽんぽん撫であげた。
すると、エリックは落ち着くどころか、ボロボロ涙を流して泣き始める。
「ごめんなさい」
少し横柄で我儘なところはあるけれど、こういう時にきちんと謝れるあたり、根はいい子なんだろうなと思う。
「びっくりさせちゃいましたね。運動が苦手なので、次からは配慮してもらえると嬉しいです」
エリックは手で涙を拭うと、「ん」と小さく返事をする。
「お魚さん、見に行きましょうか」
「もう帰る」
さっきまで、元気にはしゃぎ回っていたのに、急にしゅんとしてしまった。
私はしゃっくりが止まらないエリックの手を引いて、来た道を戻る。
急に慣れない運動をしたことと、転んだせいで、体のあちこちが痛む。
毎日子育てをしてる人たちに、私は尊敬の念を抱いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます