第9話 お酒の失敗

「自分に存在意義があるのか、不安になるんです」

 

 アルコールのせいか、感情をコントロールすることができない。

 少し前まで、美味しいものを食べて楽しい気持ちだったのに、今度は涙が出そうになる。

 

「すみません……お酒を飲みすぎました」

「お水をもらおうか。それで、良かったら続きを話して」

 

 何かに打ち込んでいる時は大丈夫。

 でも、夜一人になった時、ふと自分はこの世に必要とされない人間ではないかと思って消えてしまいたくなる――。

 

 出会ったばかりの人にする話ではないと頭の片隅で思いながらも、私はルクスさんの優しさに甘えてとりとめなく話す。

 

 おばあちゃんがいなくなってから、どんどん気持ちが塞ぎ込んでいったこと。


 公の場では笑顔で振舞えるのに、家に帰ってからは夕飯ひとつ作れなくて、何で自分は普通のことすらできないのかと、酷い自己嫌悪に苛まれたこと。


 そして、池で溺れてこの世界に来たのは、そんなある日の出来事だったこと――。

 

「上手く言えないんですけど、そんな感じです。暗い話でごめんなさい」

 

 気持ち悪くて、目が回る。

 

 私はコップ一杯お水を飲んだ。


 それでも酔いは覚めなくて、ぼんやり机に伏せていると、ルクスさんは私を抱えて運ぼうとしてくれる。

 

「ごめんね、触るよ」

「また、シャロンさんに怒られますよ……」

「大丈夫。たぶん怒られない」

 

 ワイン一杯で潰れてお姫様抱っこされるなんて、きっと今頃注目の的だろう。


 けれど、そんなことも気にならないくらい意識は朧だった。

 

 外に出ると、いつの間にかあたりは真っ暗で、冷たい夜風のおかげで少しだけ気持ち悪さがましになる。

 

「スズの気持ち、少し分かる気がする」

 

 夜道を少し歩いたところで、ルクスさんは呟いた。

 

「僕も必要とされる人間になりたいと思って頑張ったけど、結局上手くいかなかったから」

 

 騎士団や養子縁組のことだろうか。


 シャロンさんは「考えなしに物事を決める」と言っていたけど、きっとルクスさんも色々悩んで、たどり着いた結果が今なのだろう。

 

「疲れてそこから逃げ出して、今はなんとなくその日暮らしをしてるって感じかな。だからスズもあまり気負わないで。しっかり休んで、お店のことは少しずつ考えよう」

 

 そうだ。少し休もう。

 私は逞しい腕に身を委ねて目を閉じる。

 

「……ありがとうございます。ルクスさんは私にとって必要な人です」

「じゃあスズも、僕にとって必要だ」

 

 

◇◇◇

 

 

 溜め息。それから、威圧的な口調と態度。

 

「竹中さんさぁ……おばあさまのことで大変なのは分かるけど、会社としてはちゃんと給料に見合った成果を出してくれないと困るわけよ」

 

 どうしてそれを、皆のいるオフィスフロアで言うのだろう。


 こんな部長でも、上には愛想が良くて社長のお気に入りだから、憐みの視線を向ける人はいても助けてはくれない。

 

「期末の繁忙期だっていうのに、後輩に仕事任せて帰ったんでしょ? ミワちゃん可哀そうに。やり方が分からないって、泣きながら残業してたよ」

 

 普段接待ゴルフと会食三昧で席にいない部長に、どうして部下の成果が分かるんですか? 担当業務も把握していないですよね?

 

 私はきっちり自分の仕事を終えて、いつも押し付けられている仕事を本来の担当者に戻しただけですよ?

 

 やり方ならもう、半年は付きっ切りで教えたはずですけど。

 

 言いたいこと、どす黒い感情をすべて吞み込んで、私は乾いた唇で「はい、申し訳ありません。以後気を付けます」と謝罪する。

 

 最悪だ。でもきっと、先輩だけは分かってくれる――。

 

「……夢、か……」

 

 入社三年目、会社員人生の中で一番の黒歴史になった頃の夢だ。


 部長はパワハラで左遷された。先輩も転職して結婚した。

 どうして今更、こんな夢を見るのだろう。


「会社! 遅刻する!!」


 ハッと飛び起きた拍子に、私はベッドから落ちた。


「痛っ」


 打ちつけた箇所よりも、頭がガンガンと痛む。


 そうだ私、異世界に来て、街でお酒を飲んで、そのまま酔い潰れたんだった……!


 三十過ぎて、お酒で失敗するなんて。

 しかも勝手に情緒不安定になって、ルクスさんに大迷惑をかけた気がする。


 少しずつ記憶を取り戻した私は、ルクスさんに謝罪しようと恐る恐る部屋を出る。


 記憶にないが、ルクスさんに家まで連れ帰ってもらったらしい。


 ルクスさんの部屋をノックしても反応はなく、一階に下りても人影がない。


 庭かな?


 外に出ると、ルクスさんは庭で水やりをしていた。

 

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