第2話 前夜

この暗闇の中の部屋から、出られなくなって、もうどれくらいたつか

もう深夜の3時をまわっている、ベッドで丸まるように眠れず横たわっていた


ママが閉鎖病棟に行った時、世界は終わったと思ったし、解き放たれたと思った

もう僕の役目は終わったんだと

けれど、どうしてますます出られなくなっていったのか

横にはダニエルが安心して眠っている

この家に来た時に、ママが買ってくれた白ウサギ


自立しなくちゃいけない この家にもういてはいけない

自分を殺すしか道がないように見える

それでも頑張らなくちゃいけないと思うたび、凍るようなあいつの掌の感覚が身体中に広がってゆく

縛られるような無力感

「お前が良い子にしていれば、何もかもうまくいくんだ」

「お母さんはやっと、幸せになれたのだろう」

「言う通りにしていれば、少しすれば終わるから」

常に耳元で囁かれながら、身体に刻み付けらえれてきた

感じてはいけない 思い出してはいけない

あの日々が、夜々が長すぎたのだ

ダニエルを撫でている時だけ、身体の重さからも、あの感覚からも逃れられる


あの後、何も考えず、出ていってしまえばよかったのか

荷物はまだトランクの中にまとめてある

けれど、手に取ることが出来ないでいる

昨日の深夜、手当り次第に荷物をまとめていた背後で、あいつは突然声をかけてきた

いつからドアを開けて中に入っていたのだろう、あいつが小脇に抱えていたのは、ダニエルだった

いつもは目もくれもせず、餌の一つもあげたことのないダニエル!

抱きかかえて首の後ろを撫で、しかしダニエルは目を開いて身体を震わせていた


「どこかに出かけるのかい、お母さんのお見舞いかな」

毎夜、ママのことと引き換えだと言い、手を伸ばしてくる時のような猫なで声

「ダニエルを離せよ!」ダニエルはぴくぴくと小刻みに震えながら、恐怖のせいか目を見開いている

ウサギは恐怖に弱いが、ダニエルはとくに怯え症なんだ

「彼女はもう出られることはないよ、もうお前だけしかいないんだ。私たちも、もっと仲良くしなくてはな」

蛇が舌を出すように笑う

「…鞄を整理していただけだ、ママが出て行ってから、僕がずっと動けないでいることを知っているくせに。ダニエルを離してくれ、怯えているんだ」


あいつがポケットからキャンプ用の大振りのナイフを取り出し、抜き身でダニエルの背を撫でる

直後、抱えていた腕を離すと、すぐさまダニエルがこちらへ飛びついてきた

突然真顔になり、低くうなるように言い放つ「覚えておけ、お前が一人で生きられることはない、そう仕込んだのだ」

いつも終わった後に口どめをする時の、凍るような声だった


そう、自分には刻印されているのだ

自分を殺したら、この家から出られるのだろうか

狩猟用のナイフは、あいつの書斎の引き出しの中にある


(何かと引き換えに、何かを手に入れる)

(俺は何も変わっていない、汚い人間なんだ、自分のことしか考えてはいない)


ダニエルは、ベッドの横で変わらず眠っている

鞄を横目に見た

信じられないほど、静かで暗い夜だった

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