吐露
出張編集部の人――おそらくプロの編集者と愛奈が話し込んでいる様子を少しだけ見守っていると、愛奈がゆっくり席をたった。
そのまま目だけで追っていると、シャッター横にある出入り口から外へ出ていく。後をつけてみると、すれ違う人の多さにわずかだけ彼女の姿を見失ってしまった。
「しまったッ」
外に出てみればソコは建物の外周であり、トラックが楽々通れそうな広いコンクリ地面はこれまた多くの人でごった返している。とはいえ屋内よりずっと広いのでちゃんと注意していれば人とぶつかる事もない程度の余裕はあり、周囲を見回してみれば敷地内と外を隔てる柵の近く、縁石に座っている愛奈は割とすぐに発見できたのである。
普段役に立った記憶のない自身の背の高さと、アイツのお気に入りキャラコスプレ姿に少し感謝しながらこっそり近づいていく。もっと堂々と近づければよかったのだが、相手は思いっきり気落ちしている女子なのだ。もし見られたくないモノを見てしまったのだとすれば、声をかけずに去った方が得策だろう。愛奈だって、落ち込んでる自分を誰かに見られたくないはずだ。
同人活動とやらを基本秘密にしていると九錠先生に聞いたばかりなので、余計にそう思ってしまう。
――だが、
「こんなところでどうした、大丈夫か」
「……博武先輩?」
さすがに顔色の悪さに気づいてしまえば、何を優先すべきかは明白だ。
「どうしたんですか、こんなところで……サークルスペースは?」
「『キミがいても意味ないし、せっかくだからその辺でも回ってこい』って、九錠先生に追い出されてな。それでブラブラしてたら見覚えのある恰好を見つけた」
「あれで師匠も勝手ですからねェ。留守番を任せるのはいいですけど、あたしが連れてきた先輩を勝手にどけちゃうのはいかがなものか――――うっ」
愛奈が口元を手で押さえはじめたので、すぐに駆け寄って持参していたハンドタオルを手渡す。その顔色はあまり良くない。
異常な夏の暑さにくわえて会場の熱気も加味すれば熱中症の可能性もある。俺はゆっくり愛奈を日陰まで移動させてから、近場で売ってた冷たいドリンク――運よくあった凍ってるタイプ――のペットボトルを買ってきて愛奈の脇の下にあてた。
「ちべた! え、突然の冷却セクハラですか!?」
「バカ、ちゃんとした対処法だ。少しは気分がマシにならないか? もし足りないなら新しいのを買ってきて、今度は足の付け根に当てるぞ」
「そして、あたしの股間に挟んだクールドリンクを飲みごろにして一杯やるって寸法ですネ。いやん先輩ったら♡ 発想がキモ♡」
その理屈だとお前自身がキモい事になるんだが?
「そんだけ人をからかう余裕があるなら大丈夫だろうけどな、念の為このまま少し休んどけ。ほんとにキツいなら医者のトコに連れてってやるから」
「お姫様抱っこで?」
「それで安静できるなら幾らでもしてやるよ」
俺の冗談と本気が半々な返しに、愛奈が「ちぇー、まったく照れてくれないですネ」と呟いてからぷいっと顔をそらす。だが、すぐにその表情がにへ~っと緩み、俺が渡した凍ったパックの飲み物を頬に当てはじめた。
「ふへへ、やだもう先輩ってば。冷やさなきゃいけないんだから、顔を熱くさせないでくださいよぉ。その男らしさに胸がキュンときちゃったじゃないですかァ」
「男らしさとかじゃなくて、心配してるなら誰だってやる事だ」
「あ、ダメ、濡れちゃいそう♡」
「汗でだよな!?」
二人だけってわけでもないのに、モジモジしながらの際どい発言は心臓に悪い。
既にサークル周囲の人達からは俺は奇異の目で見られているというのに。
「もちろん先輩(が買ってきたドリンク)のせいでス。責任とって拭いて欲しいですね~、た・に・ま♪」
「よーしわかった、いますぐタオルを貸せ。目に着いた範囲全部の汗をゼロになるまでぬぐってやる」
「怒っちゃやーだ♡ あ、でも背中とか手が届かないのでやってもらいたいです」
「……ここで?」
「マントをめくって下から入れれば見えやしませんて。ほらほら、お姫様抱っこよりずっと目立たないですよ? スニーキングミッションです」
一体何に潜入させるつもりか知らないが、調子の悪いヤツからのお願いだ。無下に断ることもないし、ささっと終わらせれば問題ないだろう。
そう判断した俺は戻ってきたタオルを掌に広げて、愛奈の着ているコスプレのマントをめくって服の下から手をゆっくりとじっとり湿度の高い服と肌の間に差し入れた。
冷静にやってるつもりだが、間接的にとはいえ異性の身体に触れる行為だ。正直色々と踏ん張っている。
「はぁ~~、いいですねぇスッキリしてきます」
「けっこう汗ばんでるな。吐き気はないのか?」
「今のところは。先輩に色々してもらって気分も段々回復してきましたし」
それに、と愛奈が一息いれてから言葉を続ける。
「きっと寝不足がたたってるんですよ。ちょっと原稿作業や準備で無理しすぎちゃったんですね」
「……そこまで無理してやらないとイケないのか」
「むむっ、先輩にだけは言われたくない台詞のトップ5には入りますよソレ」
自分の失言に気づく。
愛奈はそれ以上追求してこないが、確かに俺には言われたくないだろう。
水泳のしすぎで身体を壊しかけた張本人なのだから。
「……すまん。そうだよな、無理してやりたい事は幾らでもあるものな」
「そうなんですよさすが先輩、わかってるぅ☆ ただまぁ、結果が伴わないのが仕方ないとはいえ地味に効いてきますね……」
「何か嫌なことでもあったか?」
「…………えっと、もしかしなくても出張編集部にいるの見てました?」
「偶然な」
「ほんとかな~……? 堂々とストーカー行為なんて、先輩ってばあたしを大好きすぎません?」
「ちょっと九畳先生に言われたんだよ。あそこに行けば愛奈がいるだろうからって」
「師匠もアレでお節介さんなんだから~。後そのネタでからかっちゃおッ♪」
うっしっしと悪戯小僧のように笑う愛奈だが、やはり体調は芳しくなく、すぐにローテンションになってしまう。これまでほぼハイテンションのコイツしか見てない俺としてはそれだけで心配してしまうところだが……。
「愛奈は……漫画家になりたいのか?」
「ん~……それに答えるのもやぶさかではないんですが、ひとつお願いしてもいいですか」
「なんだ」
「そのしなやかで強靭な足を枕にさせてくださイ」
了承をえるまえに、愛奈がごろんと横になって俺の腿に頭を乗せる。
長い金色の髪がたなびき、ふんわりとイイ匂いがした。
「……こういうのは女がするものじゃないのか」
あと、顔の向き。なんで上じゃなくて俺の腹側に向けてるのか。
「男の人にして欲しい時だってありますシ。はー、もうなんてハードめな枕なんでしょうか。一言で言えば……最高です!」
「きっとそう言うのはお前だけだよ……」
俺の腹(服ごし)に顔押しつけてハスハスすんのもな。
筋肉フェチ節に遠慮はないのかっ。
「あー、癒される~。この心地よさは大量のモフモフ動物に囲まれてる時に匹敵します」
「わからん……その感覚がわからん」
「大丈夫、後で先輩にもしてあげますから♡」
俺はマッチョフェチに精通してないので、多分無駄だろう。
つか男にやってもらうのが純粋にイヤだ。
「――正直に言ってしまえば、なりたいかわかりません」
「ん?」
「さっきの質問の答えです。絵を描くのは好き、漫画も好き、楽しい同人活動も。でもプロになりたいのかってなれば……」
――どうなんでしょうね。
そう呟いた愛奈の声色には、曖昧さに満ちた迷いの色が感じとれて、
しばらくの間、俺はその感情に耳を傾けることになった。
愛奈が回復してからサークルスペースに戻ると、撤収を始めるのに割とちょうどよい時間になっていたようだ。
「思ったより遅かったね。私に出来るわかる範囲で撤収の準備は進めてあるから、あとは愛奈達で荷物整理して」
帰還してすぐ九錠先生はそう告げると、特にどこかへ行くわけでもなく最後まで撤収を手伝ってくれた。いつでも仕舞える最低限の部数だけテーブル上におき、あとはのんびりとイベント終了の合図を待つ。
愛奈の体調を考えて「少し早めに撤収しないのか?」と訊いてはみたが、
「せっかく来たんだから最後までちゃんと居たいでス!」
一番ココに来たかった本人がそういうのであれば、その意志を汲んでやりたいものである。それ以上何も言わず、俺はサポートに徹することにした。
そうしていると遂に――、
『これにて今回のイベントは終了となります! みなさま、この度のご参加をまことにありがとうございました!!』
イベント開始時と同じように放送が流れ、即売会終了の宣言がなされる。
放送が言い出したわけでもなく、周りにいる参加者――おそらく今の時間帯になっても残っている全ての人達が手を叩き始めたのだろう。中々耳にしないレベルの盛大な拍手で会場が包まれていく。
「おつかれさまでしたー♪」
とても楽しそうに愛奈が拍手をするのに合わせて、俺も手を叩く。
どこか不思議な一体感を味わいながら、こうして俺の初同人イベント(売り子)は幕を閉じていった。
◇◇◇
「とまぁ、こんな感じで綺麗に終わったら後は普通の服に着替えて帰るだけだと思ったんですよね」
「……予想が外れてるとこアレだが、キミにはまだまだやってもらう事があるから帰られると私も困る」
「いやもう、よくよく考えればおかしいと思うべきでしたが。まあお願いを引き受けたのは俺なので」
半ば俺自身が勘違いしていたが、今回の初体験をするにあたって愛奈が俺に頼んだのは「売り子で手伝ってください」ではないのだ。
正確には『来週の土日、せんばいのカラダ使わせてください!!』である。
これはつまり“二日間の間、お前(の身体)を好きにさせろ」とも取れるわけで……。
「Zzzzz♡」
先生が運転している軽自動車。
その後部座席に座っている俺の隣で気持ちよさそうに寝ている愛奈が、あのお願いによってどこまで考えてたのかは知らないが、こんな状態では確かめようもない。もう完全に俺にもたれかかってるし……なんなら寝ていてもなお俺の腕や足に触ってくるしで筋肉フェチとやらもここまで来ると感心するぞほんと。
「念のため忠告しておくが、私の車の中で盛らないでくれよ?」
「その発言がなければミリ単位の想像すらしませんでしたけどね」
「神に誓って言えるか? 自慢じゃないが、そこで幸せそうに寝こけてヨダレ垂らしてる従妹にすり寄られて平常心を保てるヤツを私は知らない」
「どんな目で従妹を見てんだ!?」
「女の私でも非常にそそられる可愛い従妹だよ。可能なら好きなだけ私の望むままに着せ替え人形にしてやりたい。今日着てたコスも似合っていただろ? アレは私の知り合いにいる重度のコスプレマニアが愛奈のために用意したもので――」
「愛があるのは十分伝わりました……」
おかしい、俺の知ってる九錠先生はいつもクールで的確な判断をするカッコイイお医者様だったはずなんだが。運転しながら従妹への愛情(※重くて濃い)を語る目の前の女性はまったくそんな感じがしない。これじゃただの従姉馬鹿だ。
「言っておくが私はノンケだぞ」
「は? のん……なんですって?」
「いや、知らないならいい。あのタベネコ氏と同列に扱いさえしなければな」
「よくわからないんですが、タベネコさんがディスられてます?」
「あんな天然サークルクラッシャーは危険人物以外の何者でもない。まったく、あいつに愛奈を知られたのは今考えてもミスだった」
タベネコさん。あなたどんだけ要注意されてるんですか……。
「ま、これからは鳶瑞くんが盾になるからいいか。――もうすぐ目的地に到着するが、その前にコンビニにでも寄るとしよう」
寄るのは大賛成なんだが、その前の聞き捨てならない台詞はとてもじゃないけど流せないんですが!
◇◇◇
そんなこんなで到着した場所は“ホテル”だった。
お城の形をしてるとかカプセル的なものではなく、十何階建てはありそうな立派なホテルである。入口に入った瞬間から各所にその豪華さが垣間見え、明らかに俺のような学生が気軽に泊まれるような場所ではない。
……さらに言うなら、
「おい愛奈、いい加減起きろ」
「Zzzzz♡」
「あきらめろ鳶瑞くん。愛奈は最高に良質な睡眠状態なんだ」
「いや、そうは言いますけどねッ」
まさか車を降りてからこっち、コイツを抱きかかえたまんまでホテル内に入るとか目立つどころの騒ぎじゃないですって。ああ、さっきからロビーにいる人達の視線が痛――いや、なんか生暖かいな。
「安心しなさい。この時期このホテルの利用者は大概が同類だ」
「……人類が何か?」
「ああ、そうだよ。漫画を愛し、二次創作の薄い本を求めて集まる猛者たちさ。面構えが違う」
「わかんねぇっす……」
「そこはほら、キミがまだまだパンピー寄りだからだ」
深いな、こっちの世界。
「それとも何か? 愛奈が重いからという情けない理由で、彼女をカートにでも乗せて部屋まで運ぶかい? 寝ている彼女になんて辱めを受けさせるんだキミは」
「男に抱きかかえられてる今よりマシでは?」
あと車椅子ぐらいあるのではないか。これだけのホテルなのだから。
「いいじゃないかお姫様みたいで。いつの時代も女の子の憧れだ、その鍛えた肉体で可能な限り王子様らしく務めてくれ」
好き勝手言う先生だが、俺からすると今の愛奈はお姫様というより木にしがみついてるコアラかナマケモノなのだ。どちらも嫌いではないが、そもそもがそういう話じゃない。
異性に抱えられてる今の方が、よっぽど女子としての辱めにならないかである。
「ちゃっちゃと受付を済ませてくるから、荷物と一緒にその辺で待っててくれ」
「え、いや、ちょ!? さすがにそれは――」
スタスタと受付カウンターに行ってしまう九錠先生。
その間、俺は近くの壁際(※備え付けソファーが空いてなかった)にそのまま待機。当然愛奈を抱っこしたままで。
必死に気配を殺そうとしているが、どうやっても感じてしまう。
突き刺さるような視線。注目されている空気。他人事だから言える無責任な声が!
『……リア充アピールかしら?』
『罰ゲームでしょ!』
『いや、筋トレじゃないかな』
『ばっかだなー、あれはどう考えてもパコパコする前の羞恥プレごふぅ!?』
『バカはお前じゃ!!』
こんなに興味津々に見られるなんて今日だけで何度目だ。
あと、なんか興味の行きどころが偏ってるというか、一般的じゃないというか……。
「これが同人界隈、か」
「変にキメてるトコになんだが、部屋行くぞ?」
「ぬな!? お、驚かせないでくださいよ先生!」
「羞恥プレイにふけってる方が悪い。あーあー、こんなヤツに愛奈を任せるのは不安だなぁ」
「代わります?」
「キミ……愛奈の代わりに私を抱きかかえて何をする気だ」
そっちじゃねえって。
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