特定のフェチ持ちをダメにする広告塔(生)作戦

「えっ、あ、うそ!? お、お兄さん……すごい(イイカラダ)ですね」

「そんな事ありませんよ、でもありがとうございます。お互い、今日はとても暑くて大変ですよね」


 元々半分くらい下ろしていた上着のジッパーをさらに下ろすと、はだけた肉体から熱気が逃げていき薄くかいた汗の粒子がきらめいた。

 正直何をしてるんだ感が半端ないのだが、この恥ずかしさを決して表に出さないよう我慢しながら俺は応対を続けていく。

 「キャッ!」とか「いい筋肉……」という言葉を気にしたら負けだ。


「どうぞお手にとってみてください。例えば、コレなんてどうでしょう?」

「え”っ、これって……キミが?」

「いえ、描いたのは横にいるこの子です。僕は絵心がないものですから、少しでも手伝えたらなって」


 出来る限り爽やか青年をイメージしながら話す俺の姿よ。もしコレを水泳部のやつらに見られようものなら全力で記憶を飛ばしにかかるだろう。殴打で。


「リ、リアル細マッチョフェスキターーーーー!! すいません、ちょっと拝んでもいいですか?!」

「俺なんかで良ければ」


「ふああああああ!? ありがたやありがたや!! これは推せますっていうか推すしかないです! あの、もしこの後コスプレ広場に行くなら是非写真をお願いしたいんですが!!!」

「えと、行くかはわからないんですが。もしタイミングよく見かけた時は声をかけてもらえると――」


「わかりました絶対声かけますね! はぁーありがてぇー、貴重なエネルギー摂取できる~~~。あ、この本1冊ください!!!」

「ありがとうございます!」


 俺なりに全力全開の笑顔をすると、

「ファ!!?」

 目の前の人が心臓を押さえながらドサッと崩れ落ちた。

 

「だ、大丈夫ですか!」

「だ……大丈夫です、心配いりません、ちょっとその肉体美と笑顔でオーバードーズしちゃっただけですから」


 どこにも大丈夫な要素は無さそうだが、そう言われては俺からできることは何もないわけで。


「えっと、それじゃあこの本を一冊で――」

「やっぱり全部1冊ずつください!! 冊数分だけのスマイルもお願いします!!!」


 某ハンバーガー店のような注文を受けつつ本を手渡して、大変満足気な女性が通路を進むのを見送る。


「さすが先輩、よっこの筋肉レディ殺し!!」


 隣で待機していた愛奈はとても嬉しそうで大変結構なのだが、心中複雑である。正直今何が起きていたのかを理解できていないのだから当然なのだが。


「なあ、本当にアレでいいのか……? なんかやり方が不誠実じゃ」

「何言ってるんですか!! お客さんはパイセンの近年稀に見る素晴らしい筋肉と笑顔を摂取できてうれしい! コッチは本がたくさん売れて嬉しい!! 見事な等価交換でしョ!!!」

「……いや、でもな? 果たしてこれで売れるのが正しいのかというと――」 

「いいですか、博武先輩」


 ポン。

 愛奈が俺の肩を叩く。


「偉い人はこう言いました。『愛のこもった同人誌を売るための努力を惜しんではならぬ』と」

「ほう」

「あと『在庫を減らす手段は、犯罪でなければいいのだ』とも」


 ぶっちゃけすぎてるクソ発言に涙が出そうだ。

 

「あ、あのすみません。そこのぐだおさん、本を読ませてもらってもいいですか?」

(輝くスマイルで)「もちろんですよっ」

「キャーーーーーー♪♪♪ すみません、お布施替わりにそこのBL本3冊ください友達に布教します!!」

「ありがとうございますッッッ」


『ねぇねぇ、なんかあっちで黄色い悲鳴が』

『えっ!? あっちの島で推すしかない肉体の持ち主(♂)がBL本売ってるってマジ!!』

『みたいみたい! 早くいこっ』


 気づけばいつの間にかサークル前にはちょっとした列ができている。理由はわからないが全員女性で、応対相手に俺を選んでくる。ここにきて一気に忙しくなったため、愛奈に本の補充とお釣り管理を任せて俺はひたすらお客さんの相手をするハメになった。


「せんぱいすごーーーい! なんて最高の広告塔なんでしょうカ、その調子でずっとお願いしますネ♡」

「おい後輩よ。後でちょっと大事な話があるから、逃げるなよ?」

「怒った先輩もカッコイイですよ♡ あ、ほら次の人きますよ」


 それからしばらく、俺は謎のエネルギーをふりまくマシーンとなったのだった。


◇◇◇


「つ……つかれ、た」

「やーほんとお疲れ様でッス! 先輩の大活躍によって完売も見えてきましたよ、マジ感謝♪」


 ようやくパイプ椅子に座って休むことを許されたので、渇いた喉に一気にスポドリを流し込む。ああー、生き返ったぁ!


「もう……今日はさっきみたいのはやらないぞ」

「ういうい♪ 大丈夫です、先輩は安心して休んでください」


 あ、でも――と愛奈が何やら含みを持たせる間をとった。


「このあと少しの間だけ行きたい場所があるので、そこにあたしが出かけてる間はココを見てもらってていいですか?」

「ん? ああ、それぐらいなら別に」


「あともしかすると、そろそろもう一人の知り合いがですね――」


 愛奈がそう言いかけた時、テーブルの前に誰かがきた。


「よっ。すまん、予想以上に到着が遅れてしまった」

「あ! 師匠!! おつかれさまデス♪」


 愛奈が師匠と呼んだ人物を、椅子に座ったまま見上げる。

 女性にしては高身長で、最初はその顔が逆光によってうまく見えなかった。


 だが、すぐにそれが誰かがわかった俺はパイプイスをこかす勢いで立ち上がってしまった。


九錠くじょう先生!!?」

「げっ」


 お互いに何故お前がココに見たいな状態であったが、相手の方がよっぽど苦虫をかみつぶしたような顔をしているだろう。


「鳶瑞お前……いつから水泳から離れて同人の道を歩きはじめたんだ?」


 あなたこそ、いつから医療の道から同人界隈に足を踏み入れたのか。

 俺の身体の故障に対して「しばらく泳ぐな」と診断した本人を前にして――あふれでる疑問の数々は止まることがなかった。



「…………」

「…………」


 いま、テーブルの内側では二人の男女が並んで座っている。

 中性的な顔と身体を持つショートボブの女性にして、俺がお世話になっている医者である九錠先生と、俺だ。


 両者共に無言の気まずい空気が漂い始めたのはいつからか。多分愛奈が「少し行きたい場所があるからココよっろしくー☆」とウインクしながら出かけて行った直後からだろう。


 何か言わねば……何かをッ。

 そうは思うものの、まさか俺が散々お世話になったお医者様とこんなところでバッタリ会うとは予想外も予想外。なんて声をかければいいのか見当もつかない。少なくとも俺が知ってる九錠先生ネタである『よく男と間違われた時期があってから髪をショートからボブに伸ばした』は何の役にも立たん。


 そもそもお互いに目が合った瞬間の第一声が「げっ」だしな。九錠先生もさぞ驚いたのだろう。しかし! ココは年長者である先生の方からなんとかしてほしい、この微妙な空気ってヤツを!


 その念が届いたのか、はたまた偶然か。


「鳶瑞……その、身体の調子はどうだ?」


 大きなため息を吐いたあと、意を決したように九条先生から話しかけてきてくれた。


「え、あっ。だ、大分良いですよ! 以前言われたとおり、大人しくしてたんで」

「それはなによりだ。結果的にお前の意志を尊重できなかったがな」


「ッ!? よ、止して下さいよ。九錠先生が止めてなかったらヤバかったんでしょ? 下手したら二度と泳げなくなるところで――」

「もっと早く気がついていればなんとかなったし、キミを快く大会に送りだせただろう。正直悔いが残るよ……水泳部がどういう気持ちで臨んでいたかを知ってるからね」


「先生……そこまで俺達のことをッ」

「付け加えるなら、同人イベントという沼に前途有望な若者を沈めるハメにもならなかったかもしれない。私個人としては大歓迎だが」


 今の物言いによって完全に俺の涙はひっこんだわ。

 別に九錠先生のせいでココにいるわけではないが、話の展開次第によってはそうも思えなくなるかもしれん。


「言っておきますが、俺はただの手伝いですよ」

「わかっている。愛奈のエロボディに釣られたなんて素直に言えないよな」

「違います」


「なら、自身の肉体美に気づいてコスプレとの相乗効果でも試しにきたのかな?」

「それもちがっ――」

「何を言っている。さっきまで見事なぐらいに一部の女性をホイホイしてたではないか。正直私もキミの身体を見なれてなかったら危なかったぞ?」

「ぐっ!?」


 実際やってただけに反論しづらい。

 さらに身体を見なれてるとかいう言い草も、なまじ嘘じゃないだけに否定できないのだ。でもこの場でそんな事を言いだすのはよくない。また周りがざわざわしてしまうじゃないか。


(ひそひそ)『え、二股?』

(ざわざわ)『最近の若い子の魔力補給って基本3Pなのかしら?』

「違います! 違いますからね!?」

 

 必死に否定するが、誰も信じる気配はない。つうか、顔を向けた瞬間に視線を逸らされるのでどうしようもなかった。


「堪能してるな、青少年」

「どう考えても堪能してないでしょう!? つうか、そもそもなんで九錠先生がこんなところにいるんですか! 愛奈とも知り合いみたいでしたよね!?」


「ああ、私は愛奈の従姉 兼 創作の師匠になる」

「九錠先生とアイツってそんなに近しい関係だったんですか」


 まったく知らなかった。

 ……その割には身体つきが全然違うな。


「なぁ鳶瑞。いま、どこを見ながら愛奈と私を比べたか当ててあげようか? 正解したら問答無用で一発殴る」

「すいません結構です許してつかあさい!」

「ふんっ! 悪かったね、どうせ私は豊満とは程遠いスレンダーさ。大体あんな歩くエロさの塊みたいなのが存在する方がウルトラレアだってのッ」


 ぶちぶちと毒を吐く先生。

 この話題はデンジャーゾーンのようなので、二度と振らないようにしなければなるまい。


「え、えっと、愛奈とは長い付き合いなんですか?」

「少なくとも何年単位だね。キミの方はどうなのさ?」 

「こないだ初めて会ったばかりですよ。一ヶ月も経ってません」

「本気で言ってる?」

「嘘つく理由がどこにあります?」


 そんな会話の後に先生がしばし考える素振りを見せる。

 何か俺はおかしなことでも言ったのだろうか。


「……随分気に入られてるのだね。どんな技を使った?」

「何も使ってないですよ。プール監視員の仕事をしてる時にあいつの方から絡んできたんです。あ、いや、絡んできたというか溺れてるところを助けたと言った方がいいですかね」

「うっわ、予想以上に甘酸っぱいのがきたわぁ。なにその青春ボーイミーツガール的な? 砂糖死ぬほど吐いてあげるから、さっさと爆発しろみたいな?」


 いや、意味がわからんて。


「俺もよくわからないですよ。あいつが重度の筋肉フェチなのと、俺の身体がドストライクらしいんですが」


「ちょいちょい、人んちの可愛い従妹と『肉体関係になりました♪』なんてカミングアウトはだな」

「そんな発言誰もしてないですよね!?」


「なら遊び? 鳶瑞くん、キミがそんなヤリ●ン野郎だなんてショックだ。今度治療と称してこっそりあれのこれのEDにしてやろうか」

「誤解に誤解を重ねて医者の道を踏み外さんでください」

「もちろんジョークさ。でもそうさねぇ、愛奈がキミを気にいってるのは誤解じゃないみたいだけど」


「そうなんですか? 都合よくお願いをしてもらってるだけだと思いますが」

「お願いだろうがなんだろうが、気に入らない人間に秘密を明かしたりなんかしないよ」


 秘密? なんだ秘密って。

 愛奈は俺に、あるいは俺以外に何かを隠していたというのか。


「……どうやら本当にわかってないようだね」


 そう前置きして、九錠先生は後輩ギャルの秘密を明かしはじめた。


「あの子はね、基本的に創作活動をしてるなんて誰にも言わないの。学校の先輩なんて論外」

「えっ」

「別段珍しい話じゃない。創作――とりわけ同人をやろうって人はあえて周りに伝えようなんてしない。面倒事になりやすいから」

「い、いやいや! あの愛奈がですか? 初対面の年上でも小学生の子供相手でも上手くやれるアイツが? 誰とでも仲良くできそうなイメージしかないですよ」

「誰とでも仲良くできちゃうからって、誰にでもなんでも明かすわけじゃないでしょうが」


 ――言われてみればそのとおりではある。

 ただ、それならば何故。


「なんで俺はここに連れてこられたんですか。連れてきた時点で秘密じゃなくなりますよ」

「だーから私が不思議がってんでしょうが。てっきり深い仲とか、鳶瑞も同人活動を始めた同志とかだと思ったのに。ああ前者はまだわからないけど」

「多分、俺達の関係を表わすなら“知り合い”ですよ」

「ずいぶんと人と気前が良い知り合いね。遅刻した師匠の代わりを務めるぐらいに」


「遅刻したんですか?」

「急用が入ってね。ほんとは車で愛奈を迎えに行って、サークルの手伝いをするつもりだった。これでも師匠だ、弟子の様子も気になる」

「つまり九錠先生にも七味筋肉ばりのあだ名があると」

「あんな趣味嗜好全開のペンネームと一緒にしない。私のは至ってフツー」


「なんて名前なんです?」

「ナインせん。これでもそれなりに知られてる方だ」


 なんでそんな名前なのかはピンと来ないが、少なくとも七味筋肉と同種ではないようだ。……いや、実は俺が知らないだけで隠語が混ざってる可能性もあるけど。


「まーいいけどね。それより、さすがにこの時間は道行く人も少ないこと少ないこと。これじゃ二人いてもあまり意味はない」

「意外と時間ギリギリになって人が来るとかそういうのは?」

「ほぼ無い。掘り出し物がないか隅から隅まで巡る人はいるけど――ああ、そうだ鳶瑞。せっかくだからキミも見て回ってくれば?」

「は?」


「せっかく即売会にきたんだから、好みの本のひとつやふたつ探してみたらどーなのよって話。それとも興味がない?」

「いや、興味はありますよ。初めて来た場所ですし、今までに体験したことのない世界ですしね。ただ店番があります」

「私がいるから。それに、ついでにお願いしたいこともあるし」

「お願い、ですか?」


 一体九畳先生からどんなお願いがあるのか。

 まさかドギツイBL本とやら(※少し前に愛奈から教えられた)を買ってこいとかそういうお使いではなかろうか。


 だが、そんな思考はすぐに妄想で終わった。

 何やらマップを広げた九錠先生が赤ペンでキュッキュッと印をつけていき、書き終わったそれを俺に手渡してくる。


「その印をつけたところに行ってきてくれる? きっと、意外なものが見れるよ」



 そもそも会場内がどうなってるのかよく知らない俺にとって、九錠先生が渡してくれたマップは重要な指標となる。だが、その印の場所に行く意味はまったく読み取れない。

 どこか釈然としないまま。けれどせっかくの機会なので、俺は留守番を九錠先生に頼んで地図を頼りに会場内を進むことにしたのだ。



 その後、目的地に到着した時。

 まっさきに気づいたのは、


「あれ……愛奈、か?」


 何やら緊張の面持ちでテーブルにつき、知らない誰かと話しているコスプレ愛奈の姿。

 そこら一帯にはこう記されていた。


《出張マンガ編集部》と。





 

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