四章 ラハタとセティヌ 第八話
ひと月近く経って歩けるようになった頃、ケヤクは領主の屋敷に呼ばれた。久しぶりに出歩いた村には既に雪はなく、まだ大気は冷たかったが、その陽光は暖かかった。
執事に屋敷の一室に通されると、そこにはいつぞや見た、あの片足の老人が待っていた。
「ラハタをやったという子供はお前か?」
「……はい」
ケヤクは初めて話す領主に対して、やや警戒しながら答えた。
「あれは大人でも一人で狩れる者は限られる。本当にお前がやったのか?」
ケヤクは少しむっとしたが、我慢して答えた。
「はい」
「なぜ、一人で魔獣狩りなどした?」
ケヤクは言葉に詰まった。よくよく考えれば、あれは突発的な思い付きだったし、あの時味わった恐怖を思えば、あれはやはり子供の思い上がりに過ぎなかったと、理解していた。
「大人たちに腹が立って……」
言いながら、その子供っぽい理由に恥ずかしくなった。
「腹が立って?」
「……何もできない大人に腹が立って……自分は臆病者じゃないと証明したくて……」
セティヌは無表情のまま、口元に手を当て、さらに聞いた。
「それで? 算段どおりに運んだのか?」
「いや……、おれの弓は役に立ちませんでした」
「それで?」
「走って逃げたけど、追いつかれて……。仕方なく持っていた鉈で戦ったんです」
セティヌが椅子の背もたれに体重をかけて、椅子がぎしり、と軋んだ。
「戦った……か」
セティヌは呟くように言うと沈黙し、ケヤクはどうすればいいか分からず、次の言葉を待った。
「……あのラハタには村中が手を焼いていた。近くの街から兵団を呼ぼうと思っていたが、子供のお前が討った」
ケヤクはこれにどう答えていいか分からず、沈黙を続けた。
「狩ったのではなく、戦ったとお前は言ったな。傷を見せてみろ」
ケヤクは当惑したが、包帯をほどき、まだ肉がもどっていないその左足を見せた。セティヌはその傷をじっと見て、言った。
「……正面からラハタの牙を受けたのだな? わずかの差でそれを躱し、鉈でやつを殺した」
ケヤクは頷いた。
「ラハタの毛皮は分厚い。よほどの弓でなければ、その皮を突きとおす事は出来ぬ。お前は弓を諦め、ラハタと正面から対峙した――」
ケヤクはまたも頷いた。確かにあの弓は何の役にも立たなかった。
「ラハタは装備と人手さえかければ狩るのは難しくはない。しかし、子供が一対一で戦って生き延びるとは幸運だったと言えよう」
ケヤクは唇を噛んで俯いた。言われた通り、幸運だったのだ。それは自分が一番よく分かっている。
「何を悔しがっている? お前は先ほど、証明したかったと言っただろう。お前は敵と戦い、勝利し、間違いなく証明したのだ。褒美をやる」
「は? ……褒美?」
「何がいい?」
ケヤクの頭には、たった一つが思い浮かんだ。
「友達が……さらわれました。返してください……」
「友達? 誰だ? ラハタにか?」
「サーシェが……おれの大切な友達が黒い鎧の騎士にさらわれました! 返してください!」
「黒い鎧……」
セティヌは呟き、黙った。ケヤクは涙が出そうになるのを堪えて、セティヌをじっと見つめた。
「……考えてやろう」
しばらくして、セティヌから再度の呼び出しがあった。
「お前、それとお前の母にこの屋敷での奉公を命ずる」
何を言っているか分からず、ケヤクは訊き返した。
「……どういう事ですか?」
「言った通りだ。この屋敷で働け。お前の母には家事手伝いをしてもらう。お前はサナハンの指示に従って動け」
「サナハン……?」
「執事だ。あれの命令に従えばよい」
ケヤクはまだよく飲み込めず、返答に困った。
「お前の母は前の領主から畑を借り受けられず、難儀していると聞いた。仕事を与えると言っているのだ」
仕事を与える? そういった事はこの間は何も話していない。
「……約束が違うのではありませんか?」
「約束?」
「仕事が欲しいなどと言った覚えはありません! 友達を取り返してほしいと言ったんです!」
セティヌはわざとらしくため息をついた。
「農奴の子供は礼儀を知らぬな」
「約束を破る相手に礼儀が必要ありますか?」
ケヤクがそう応えると、セティヌはケヤクの背後の扉を閉めるよう指で合図した。ケヤクが苛立ちながらも従うと、セティヌは向き直った。
「まず、わしは約束などしておらぬ。考えておく、と言ったはずだ」
「考えた結果、そんな事より仕事をくれてやろうと思ったわけですか?」
ケヤクが挑発するように言うと、セティヌはうんざりしたように、またもため息をついた。
「お前の事は村人から聞いた。お前は賢いが、礼儀知らずで生意気だそうだな? 少なくとも半分は事実だとみえる」
嫌味なじじいだ、とケヤクは思った。何を関係ない事を――とも。
セティヌはさらに続けた。
「もう半分も事実ならば、お前は歳のわりに賢いのだろう。本来、これは子供に聞かせる必要のない事だが、ラハタを討った褒美をやると言った手前もある。お前が聞きたいなら、教えてやってもいい」
ケヤクはよく分からなかったが、頷いた。
セティヌは何かを測るようにケヤクの目を見て、やがて口を開いた。
「お前の友人とやらの事は調べた」
「それで?」
「何も分からぬ」
「はあ?」
「お前が言っていた黒い騎士の事はすぐに分かった。サシアン・ホスロという貴族だ。昨年、この州の辺境伯に就任した。ただ、お前の友――サーシェといったか? その娘の事は分からぬ」
「何も……ですか?」
セティヌは頷いた。
「この村にいた事、ホスロらしき者に攫われた事。つまりお前が知っている事以外、何もだ。もっとも、やつには以前から噂はあった。戦の度に戦場近くの村を襲っては人を攫っているという話は聞いた事がある。人狩りホスロという名を聞いた事はないか?」
ケヤクは首を振った。
「ない、か。まあ、普通、子供の耳には入れまいとするだろう。少なくとも、そういう噂のある男だ。攫った者をどうするのか、なぜ、戦場から離れたこの村に現れたのかは分からん。が、気に入った獲物は必ず傷をつけずに捕らえていく。お前の友人ももしかしたら生きているかもしれぬ」
「絶対に生きています! そいつから取り戻してください!」
「無理だ」
「なぜ!? 伯爵様なんでしょう!?」
セティヌは無感動な目でケヤクを見て言った。
「辺境伯は上位の伯位だ。相手が辺境伯とあらば、それこそ王でもなければ、命じる権限はない」
「なら、王様に頼んでください! 貴族だからって何をしても許される事などないはずです!」
セティヌは首を振った。
「今の王は話しても無駄だ。ただの傀儡に過ぎん。そもそもお前は一介の農奴の子だろう。貴族に逆らおうなどというのが間違いだ」
「でも! でも! ……じゃあ、どうすれば……」
自分の目に涙が溜まるのをケヤクは感じた。こらえながら、必死に考えるが、何も浮かばない。
セティヌはそんなケヤクを見ながら、またも測るような目をした。
「もし、お前がどうしても取り返したければ、自分で取り返す他はない」
「……自分で?」
「お前が自らラハタを討ったように、自分の手で行うのだ。それをやり遂げるだけの勇気と才がお前にあればだが」
ケヤクは俯いた。
「相手はこの州を統べる貴族で、今のお前はただの子供だ。力も、時間も要る。一人でもかなわぬ。お前に従う仲間がいる。準備が整うまでには何年もかかるだろう。それでも、やると言うのなら、力は貸そう。ただし、わしの指示には従ってもらうぞ。捕まれば、打ち首だ。わしや、お前を助けた者達も。生死の分からぬその娘のために、お前は全てを懸けられるか?」
ケヤクは顔を上げ、その琥珀色の目でセティヌを見据え、頷いた。
「懸けます。全てを」
セティヌはそれを見て薄く笑った。
「――よくぞ言った」
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