四章 ラハタとセティヌ 第一話

ラジテ村のケヤク――彼はこの村の生まれではない。ケヤクがこの村に来たのは齢四つの頃である。生まれはこの国の最北、氷竜国との国境近くの村。父の顔は知らない。最も古い記憶は冬の夜、母に手を引かれて走った記憶である。


深夜と思しき頃、眠っていたケヤクは母に叩き起こされた。何事かを叫びながら、ケヤクを起こした母は、彼の手を引いて家を飛び出した。狼狽した様子の母を見て、子供ながらに只事ではないと察した。


家を出ると、夜闇の中、ちらちらと何かが舞っている。一瞬、雪かと思ったが、すぐに違うと気がついた。辺りは熱く、見回したケヤクの目には熱を放出して燃える家々が映った。ちらちらと宙を舞う火の粉。誰かの叫び声が聞こえ、そちらを見ると火の雨が降り注いだ。


火の雨を降らせていたのは、鷲馬ヒッポグリフに乗った兵士たちだった。無数の火矢が降り注ぐ中、ケヤクは母に手を引かれ、走った。悲鳴と恐怖に支配され、狂ったように逃げ惑う人々。


人が叫び、倒れ、燃える。響く悲鳴が男の声か、女の声かも分からない。ケヤクは恐怖し、母に手を引かれるまま、ただ走った。どこまで走ったのか、どのように逃げたのかは覚えていない。幼い自分が恐怖を感じながら、ただ走った事だけ覚えている。


 かろうじて命を拾い上げた二人は何週間か、それとも何か月か――母子二人で国を彷徨い、暖かくなった頃にセシリア山脈の山間にあるこの村に流れ着いた。小さな村だった。ケヤクと同年代の子供達も少なかった。それは前竜が斃れてから既に何年も経過していたという事もあっただろう。


竜のいない国に生まれた子供の多くは大人になる前に命を落とす。幼子にとってはわずかな戎気も毒であり、医者もいない小村ではそれが子供の命を奪う。何人も産んで、ようやく一人が大人になる。そういう具合でケヤクと年が近い子供たちは少なかったが、しかし、それでも友達は出来た。


 ケヤクの初めての友達は女の子だった。名はサーシェ。ただのサーシェ。彼女はケヤクより三つ年上の、近所に住む女の子だった。優しく、よく笑う。淡い金髪が印象的な女の子。


流れ者だったケヤク達母子は、男手がなかったこともあり、本来、農奴に貸し与えられるはずの小作地は与えられなかった。代わりに他の家の畑を手伝いに行く許可を与えられ、ケヤク達母子はそれによって生計を立てていた。


サーシェの家に手伝いに行く日は楽しかった。まだよく勝手が分からぬケヤクに色々と教えてくれ、仕事のない日はサーシェが一緒に遊んでくれた。サーシェの両親も彼女同様優しく、時折くれる菓子は贅沢なものではなかったが、とてもおいしかった。


この村に来たばかりの頃は、時々、火矢に追われる夢を見ていたケヤクも、この村で暮らすうちにいつしかその夢を見なくなった。彼女の傍にいると安心でき、ケヤクはやがて笑う事を覚えた。


 そのうち他にも友達ができた。小さくて引っ込み思案なシャミル、乱暴なジナン、ジナンの妹のカナ――ケヤクだけではなく、子供たちはみんなサーシェを慕っていた。


ケヤク達は少し年上のサーシェを取り合うように遊んだり、時にはけんかをして過ごした。初めて出来た友達と遊ぶことはとても楽しかった。みんな友達だったが、それでもケヤクにとってサーシェは特別で、それは他のみんなにとってもそうだった。サーシェが笑うとみんな笑顔になったし、サーシェに褒められるととても誇らしく、自分が特別な存在になったような気がしたものだった。




あれが来たのはケヤクが十の夏だった。この村に来て既に五年が経ち、ケヤクももう村の一員となっていた。


その日、二人は村の外れのひまわり畑にいた。真夏の日差しが強い日で、彼女はひまわりで作った花かんむりをケヤクにかぶせ、太陽みたいだと笑った。ケヤクはみんなと違う自分の髪があまり好きではなかったが、サーシェはよくその髪を褒めてくれた。サーシェに褒められるのなら、この髪も悪くない。


遊んでいた時、ふと彼女が何かに気づいた。いつもと空気が違う、村の様子が気になると言った彼女はケヤクを連れて、村に戻った。


あれはそこにいた。黒い鎧を纏い、黒鷲に跨った騎士。やつは彼女を一目見て、指を差した。これだ――と。


その雰囲気に不穏なものを感じ、ケヤクは慌ててサーシェを庇うように立ったが、手勢の一人がケヤクの腹をを蹴り飛ばした。大きく飛ばされ、遠のく意識の中でケヤクは見た。抵抗する彼女の両親を造作もなく斬り捨て、泣き叫ぶサーシェを馬に括り付けて、騎士は言った。


「喜べ、良い服を着せてやろう」


そう言って、奴らは去っていった。


無力だった。自分はやつの手勢の一人に、ただの一発、蹴飛ばされただけで起き上がれなかった。斬られたサーシェの父母とは違う。子供ごとき斬る必要もないと見下され、笑われ、彼女が連れ去られていくのを這いつくばって、見ているしかなかった。


黒鷲の騎士。あれは貴族だ、諦めるしかないのだ、と村人たちは項垂れて言った。自分達とは身分が違う。国を守る貴族達のやる事に自分達が口を出してはならない、黙って従う事が正しいのだと彼らは言った。


ケヤクは生まれて初めて、本物の怒りを知った。自分からサーシェを奪う権利など、貴族にも王にもあるはずがない――理不尽に項垂れ、ただやり過ごす事が正しいわけもない――身分など誰が決めたのだ――自分が生まれる前に誰かが勝手に決めた事に従う理由がどこにあるのだ――どうして! どうして! どうして!


十の夏、唐突に訪れた別離だった。

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