言わなきゃいけないこと 10-1
〈 2月21日 〉
ところで、転機というものは突然訪れるものである。
転機とは、環境の変化によって訪れるもので。
だからそれは往々にして、自分の意思では気付けないものだ。
カタカタ、と千夜はキーボードを叩く。
手元の資料を見ながら、報告書をまとめていた。
「千夜。プチ会議するから第一会議室来れるか?」
投げられた言葉に顔をあげると、友人兼上司ちゃんである、井上が立っていた。
同年代でありつつも上司という、少しややこしい関係。
作業を止めて、見上げるような形で、向き合う。
「……ええと、何時からですか?」
「いつでも。まぁ俺からちょっと伝えることあるだけだから」
「……?」
「仕事上の連絡事項」
「わかりました。じゃあ今からでも?」
「おけ」
「パソコンとか資料とかなくても?」
「おけ」
じゃあ、と席を立って、二人そろって会議室へ移動する。
事務所と会議室はそう離れているわけでもないので、世間話をして間を取り持つ必要もなく、到着。
第一会議室はそこそこ広めの部屋だが、特に使用予定もなかったらしく、がらんとしている。
千夜は空いている椅子に適当に腰掛け、メモとペンを取りだして、待機する。
「……」
「お前最近あの子とどうなの?」
「……あの子、とは」
「魚類っぽい子」
「井上さん……魚類っぽいって言い方はちょっと……。というか、仕事の話じゃないんですか」
「同級生なんだからため口でいいだろ。ここ今二人なんだからさぁ……。で、あと、別にその魚ちゃんも別に無関係じゃないっちゃ無関係じゃないんだよな。だから聞いてんだけど」
「……まぁいいけど。よくはないが。まぁよしとする」
「で?」
えー、と千夜は露骨に嫌そうな顔をした。
眉間にしわをよせて、唇を曲げ、不満そうな表情を形作る。
「いや嘘じゃなく結構マジで仕事に無関係じゃないんだよなこれが」
「井上が嘘つかないっていうの信用ならなさ具合が凄まじいんだよな……」
「信じろって」
「……まぁ別に、そこまで隠すようなことでもないからいいけど」
他人に好かれているか嫌われているか、あるいはどうでもいいと思われているか。
そのあたりの感情というのは、ある程度類推が可能だ。
単純に考えると、好意的な言動をされているなら、好かれていて。敵意的な言動をされているなら、嫌われている。
もちろん反感を抱かれていても、面と向かって「嫌い」だなんて言う人は少ないだろうし、そういうところが感情を類推するにあたって難しいところではあるのだが。
だけど、それでも。
嫌いな相手にチョコレートなんて贈らない。
あんな表情をしない。甘い声で話さない。
どういう感情を向けられているのかは、多少は、わかっているつもりだった。
「たぶん好かれてるとは思うんだけど、そろそろどうしていいかわかんないんだよな……」
「あ? ん? 別れる予定でもあんの?」
「……あー。いやあのときはそんな流れの会話してた気もするけど、別に付き合ってないよ。なんかまぁ……ちょっと縁があって最近よく遊んでるんだけど……うん……」
「遊ぶって……。千夜お前、いつから女を弄ぶような男に……」
「殴っていい?」
「じゃあなんだよ。ただの女友達じゃねえの?」
「うーん……」
ただの女友達、というには関係性が特殊。
けれどただの知り合い、というには距離が近すぎる。
とはいえ、ついこの間、少女自身は「知り合い? ですかね?」などと言ってはいたのだが、それはそれ。
シチュエーション的に、照れ隠しというのもあっただろうし、今まさに彼が言葉に困っているように、少女にとってもそうなのだろう。
「実はあの子未成年なんだよね」
「えっまじ援交じゃん」
「殴っていい?」
「やべーな衝撃の事実だ。通報していいか?」
「馬鹿」
はー、と大きなため息。
「……まぁ実際、色んな問題がありすぎて、どうしていいかもうよくわからないんだよね」
「問題って、例えば?」
「いやまぁ未成年。年齢差」
「それ以外は?」
「……あ、とは……」
プチ家出状態、であることとか。
それにまつわることに、いくらかの問題はあるような気はしていたが、ただそれは千夜には直接の関係のないことだった。
彼が本質的には関与できない問題。彼ができるのは、少女を精神的に安定させることだけで。だからそれは、彼らの周囲を取り巻く問題ではあっても、彼らの関係性に影響を及ぼす問題では、ない。
「……なんだろう」
「特にないのかよ草」
「いやないことはないんだけど」
「ふうん?」
「……いやまぁ、この話もういいでしょ」
はぁ、とため息を一つ。
「で、仕事上の連絡事項って、結局なに?」
「あぁそれは────」
友人兼上司が放った、一言。
それを聞いた千夜は、ピタ、と見事に固まった。
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