Ch1-5

 滝石は「すいません」と前置きし、付け加えた。

「鑑識の話によれば、外のドアから耳紋じもんが検出されたそうです。ごくわずかですが」


 諸星が要約する。

「つまり、誰かがドアに耳をつけていた」

「ええ。位置からして、男性の可能性が高いそうです。ちなみに耳紋は右耳で、付着したのは最近のようです」


 腰に手を置き、諸星は思案顔になる。

「となると、誰かが部屋の中を盗み聞きしてたことになりますね」

「なぜかはわかりませんけど、そう考えるのが自然でしょう」

「もしかして、被害者が殺される瞬間も聞いてたんじゃ?」

「悲鳴を上げてたならともかく、窒息死ですからね。さすがに聞こえないのでは」

「ああ・・・そっか・・・・・・」


 ふたりが考え込んでいるさなか、千里はゴミ箱の中から、ある物を取り出していた。


 B4サイズの茶封筒が二枚に破られている。千里はふたつを合わせてみた。


 宛名は書かれていないが、郵便番号と住所が書かれていた。しかし、漢字を間違えたようだ。そのために捨てたらしい。


 まだ漠然とだが、どうも気になる千里であった。




 その日の夜、新宿中央署で合同捜査会議が行われた。


 数台のモニターに、被害者や現場の写真が映し出され、望月が会議を進めていた。


 綿矢は管理官であるにもかかわらず、姿を見せていない。


 そんななか、刑事たちが捜査状況を報告する。


 被疑者として挙がっているのは、被害者の同棲相手、岡田佑次おかだゆうじというフリーターの男だ。


 被害者の首と遺留品に付着していた指紋が、岡田の指紋と一致したのだ。


 いまだに本人とは連絡が取れておらず、捜査側は逃走したものと見ており、行方を追っている。


 なお、被害者宅の玄関先で耳を立てる男を、近所の住人が目撃していた。


 ちょうど被害者が死亡した時間帯で、耳紋の持ち主と思われるが、顔をはっきり見たわけではないという。


 そして、一連の事件についても言及されたが、手がかりと呼べるものはなく、膠着状態が続いたままであった。




 捜査会議が終了すると、小野寺が滝石のもとへやって来る。

「滝石。お前は緋波警視と組め」

「え?でも諸星さんがいるんじゃ」

「彼には俺が説得した。ちょっと手こずったけどな」

「しかし、なんで僕を?」

「合同捜査の場合、本部と所轄が二人一組で動くのが基本だろ」

「まあ、そうですけど」

「あいつは俺を殴りやがった。そんな乱暴な奴、捜査中になにしでかすかわからん」

「え!?殴られたんですか?」

「お前がブレーキ役になれ。諸星じゃ無理だ」

「構いませんけど、ほんとに僕でいいんですか?」

「ああ。本音じゃクレームつけて、捜査から外したいところだが、あいつは管理官が呼んだらしいからな。無下に扱えない。だから頼んだぞ」


 滝石は「了解しました」と応じ、うなずいた。




 千里はひとり、最後尾の端の席であしを組み、ノートパソコンに映る捜査資料を読み込んでいた。


 そこへ滝石が歩み寄り、微笑みかけた。

「改めまして、巡査部長の滝石です。小野寺課長から、あなたと組むよう命じられました。よろしくお願いします」


 千里は目も合わせず、「どうも」と無愛想に返す。


 そんな態度でも笑顔を保つ滝石は、自身のスマートフォンを示した。

「今後のために、番号交換しときましょう。ね?」


 千里は面倒そうに息を吐き、上着からスマートフォンを取り出す。


 滝石の柔和な笑みが深まった。




 同じ頃、署の外に駐車した覆面パトカーの前で、諸星は綿矢に連絡していた。

「警視正、あの人は異常です」

 ――異常とは?

「昼間だって、刑事課長を殴ったり、被疑者を殺そうとしたんですよ」

 ――それが今の彼女だ。面白くなってきたじゃないか。

「私は面白くありません。本当に警視で大丈夫なんですか」

 ――問題ない。引き続き、経過を報告しなさい。

「実はその・・・警視と組めなくなってしまいました。刑事課長に説き伏せられまして」

 ――そうか。まあ、想定の範囲内だ。彼女に何かあれば、すぐに知らせるように。

「わかりました」


 電話を切った諸星は、暗い天を仰いだ。




 翌日。郊外型の都営団地の歩道を、千里と滝石は歩いていた。


 岡田の学生時代の後輩で、今も親しくしている男、菱沼圭太ひしぬまけいたに聞き込むためである。




 公園に差し掛かったところで、泣き叫んで立っている女の子を見つけた、まだ三、四歳だろうか。


 滝石は駆け寄り、しゃがんで目線を合わせる。

「ん?どうした?迷子か?」


 女の子は涙を浮かべてうなずく。

「お父さんやお母さんは?」

「どっか行っちゃった・・・・・・」

「そうかそうか。わかった。おじちゃんが見つけてやる」


 滝石が女の子の頭をポンポンと叩く。


 その姿を見て、千里は冷たく言った。

「交番の巡査に頼めばいいでしょ。連絡する」


 スマートフォンを出そうとした千里を、滝石は止めた。

「待ってください。だって心配じゃないですか。放っておけませんよ」

「こっちは捜査で来てんだけど」

「わかってます。けど僕は警察官です。これも仕事です」

「仕事ねえ」

「こう見えて僕、本庁のキッズコーナーにいたんで、子どもには慣れてるんですよ」


 温かみのある笑顔を向け、滝石は女の子をなだめる。

「あー、はいはい。泣かないで。大丈夫だから」




 その様子に、千里の目が大きく開いた。


 妹の鈴乃は保育士だった。滝石の子どもをあやす姿が、鈴乃と重なる。


 亡き妹の面影が、追憶として蘇る。


 息が苦しい。胸が苦しい。思わず足が後ろへ下がる。


 千里の背後に鈴乃が立っている。そんな気配を感じて振り返るも、そこには誰もいない。


 深呼吸し、息を整え、どうにか落ち着こうとした。




 そのときだった。ひとりの女性が近づいてきた。不安な表情で辺りを見渡している。


 もしやと思った滝石は、女性を指差し、女の子に訊いた。

「お母さん?」

「うん・・・・・・」


 滝石は声を張り上げ、手を大きく振った。

「お母さん!」


 それに気づいた女性は、急いで走り寄る。

菜苗ななえ、ごめんね」


 滝石が警察手帳を示す。

「警察の方・・・ご面倒をおかけしました。買い物に行く途中ではぐれてしまって」


 母親が腰を折ると、滝石は厳しい顔になった。

「いけませんよ、目を離しちゃ。でも、よかったです」


 だが、その顔もすぐにほころんだ。




 歩き去っていく親子を、滝石が笑顔で見送る。


 その傍らで、千里は微笑を浮かべた。

「お人好しって言われない?」

「よく言われます」

「いつか損するわよ」

「でしょうね。だけど、警察官はそうあるべきです」

「あっそ。行きましょ」


 ふたりは再び歩みを進めた。

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