第30話 後日談 小さな革命

朝の教室に入ると、例によって空気が重かった。

教室の片隅――誰も座らないその席に、葛城夜魅はいつも通り腰を下ろす。


(……今日も、誰も話しかけてこないだろうな。)


あれ以来、クラスメイトたちは露骨に距離を取っていた。

ときにはヒソヒソ声で何かを言われ、すれ違いざまに笑われることもある。


「男に媚びたからだよね」「怖いって、アイツ……」「厨二病、痛すぎ」


(わかってる……私が“浮いてる”のは、自分のせい)


だけど、今の夜魅は、少しだけ違っていた。


仮面の下に、自分の言葉を持つようになった。

カフェ・アンリミテッドでの時間が、それを教えてくれた。


(――自分で、変えなきゃ)


その小さな決意を胸に、夜魅は立ち上がった。





昼休み、教卓にあがった。


夜魅は、わざわざ人の集まる場所に足を踏み入れた。


周囲がざわつく。


「……え、何?」


「なんであいつ、こんなとこに……」


注目を浴びている。それは恐怖だった。


けれど、足は止まらない。


そして――彼女は、かつていじめの発端となった女子グループの中心に声をかけた。


「……話がある。」


「……は?」


一番声の大きな女子が眉をひそめる。


「今さら何? なんか言い訳?」



「そう。」

夜魅は、震える手を抑えながらも、まっすぐ彼女を見据えた。

「でも何が悪いの?」


女子たちは、無言になる。



「私は……怖かっただけ。」


「は?」


「“男に話しかけた”だけで、変な目で見られるのが当たり前の、この学校の空気が。私のことを裏切り者みたいに扱う、その視線が……ずっと、怖かった。」


「何、急に……?」


「でも、それを言葉にしなかったのは、私の弱さ。だから今、ちゃんと話してる。」


沈黙が教室を包んだ。


その中で、夜魅は続けた。


「私は、仮面をかぶってる。怖いから、自分を守るために。でも、その中にある“私”を、もう隠さない。」


目を伏せず、堂々とそう言った。


誰かが小さく「……えらい」と呟いた気がした。


中心の女子は戸惑った表情を浮かべていたが、やがて視線を逸らした。


「……別に、私たちが何かしたってわけじゃないし。」


「そう。誰も責めない。ただ、私はもう逃げない。それだけ。」


夜魅は、それだけ言って、静かに背を向けた。


騒がしくもならず、無視されるでもなく。

ただ、誰も何も言えなかった。


でも――その沈黙が、何よりの変化だった。





その日の放課後。


下駄箱の前で、同じクラスの女子が声をかけてきた。


「……あの、さ。今日、すごかったね。」


「え……?」


「葛城さんの言ってたこと、ちょっとわかるかもって思った。」


女子は、恥ずかしそうに髪を触りながら続ける。


「うちもさ、男の子にちょっと話しかけたら変な空気になったことあって……。でも今日の話、聞いてて……なんか、救われた。」


「……そう、なんだ。」


「その、また話してもいい?」


夜魅は驚いて、目を瞬かせる。


(……こんな風に、誰かが“話したい”って思ってくれるなんて)


「……我の時間は選ばれし者のみに許されるが……特例を認めよう……」


「ふふっ、やっぱ変だね。でも、そういうの……嫌いじゃないよ。」


笑い声が、まっすぐ夜魅の胸に届いた。


(“嫌いじゃない”って……言われた)


心が、じんわりと温かくなる。


家に帰る途中。


夜魅は、ふと立ち止まり、空を見上げた。


雲の合間から、光が差し込んでいる。


(あの人が言ってた通りだった……)


仮面のままでいい。でも、仮面の下で泣く自分を、見てあげていい――


「ありがと、カフェの人……」


誰にも聞こえないように、そっと呟く。


もう、自分を隠すだけの日々じゃない。

小さな声でも、伝えようと思えばきっと届く。


今日、世界がほんの少しだけ優しくなった。


そして夜魅自身も、仮面の下で、確かに笑っていた。

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