2-5

 夕食を食ったあと、レイル先生が病室へ案内すると声をかけてきた。


 椅子から立ち上がる俺に、「相部屋でごめんね」と先生は言った。


 先生が言うには、今は患者が少なく、風車が倒壊しなければ、二人部屋を一人で使えるはずだったらしい。


「構いません」


 と、俺は答えた。今日一日ですっかり敬語になっていた。


 俺が壊したのだから、文句など言えるわけがなかった。兵舎も相部屋だったから別にそんなこと気にもしないけど、気を遣わせるのが嫌だった。


 魔鉱油ランプの淡い灯りを頼りに、食堂から南に続く廊下を先生と一緒に歩いていく。


 ようやく、この病院の全体像がつかめてきた。


 その全体を南北に伸びた廊下が貫き、先のホールを中心として建物は北側と南側とに分かれている。北側には診察室や厨房、レイル先生の部屋などがあって、俺が拘束されていたあの部屋はその突き当たりだ。南側には二人部屋の病室が六つ、一列に並んでいるが、奥の三つが風車の倒壊に巻き込まれ使えなくなったらしい。


 俺たちはすぐにその一番手前の病室へとたどり着く。


 マルゴの部屋だ。もともとこの廊下の一番奥の部屋にいた彼女は、俺のせいでここに移らされていた。本来、六つの病室は手前三つが男部屋、奥三つが女部屋だったらしく、俺は改めて罪悪感を覚えた。


 次いで、二番目の部屋だ。その扉の前には廊下の真ん中まで大量の本が積まれている。見ての通り、ここはパイロンの部屋である。先生曰く、中はもっと本だらけで、もう一つのベッド上まで占領しているそうで、実質彼の個室であった。


 というわけで、その隣が俺の部屋だった。


「左のベッドがタンタルくん。右のベッドがジクロロメタン卿ね。じゃあまた明日」


 それだけ言うと、先生はそそくさと立ち去った。


 ジクロロメタン卿?


 大層な名前を怪しく感じつつランプ片手に中に入ると、部屋は予想よりも広かった。奥の壁には黒ずんだカーテンのかかった大きな窓があり、その窓を背にちょっとした棚や机、そしてベッドが二つ、左右対称に並んでいる。


 その右のベッドに、名前から想像されるイメージとは異なる人物が座っていた。


 そこにいたのは俺よりもっと若い少年だった。


 少年? いや、体つきからして間違いなく少年だろう。


 背丈が低く肉付きは薄い。要するに華奢な体である。ダボダボな服を着て、その袖や裾から覗く手足もまた白くて細い。緑色の髪が腰まで伸びて、ここが男部屋でなければ、少女だと勘違いしてもおかしくなかった。


「ど、どうも」


 俺は頭を下げたが、少年はベッドの縁に腰掛けたまま答えなかった。彼の手には、白い粒状のものがたくさん入ったガラス瓶が握られていて、彼は俺のことなど気づいていないかのように横を向いたまま、その瓶から白い粒を一つ取り出し、口の中へと放り込んだ。


 垂れきった長い髪のせいで表情が読めず、尋常でない雰囲気に飲まれそうになるが、相部屋の相手なのだから仕方ない。俺は、「俺はタンタル、戦闘狂だ。……よろしく」と手短に自己紹介し、そいつと向かい合うように左のベッドに腰掛けた。


 少年は変わらず黙っていた。返事のかわりにまたも白い粒――これは薬、錠剤だ――をもう一つつまんで小さな口へと放り込む。


 正面からでも彼の顔はよく見えなかった。ちゃんと前が見えているのだろうか、顔全体に鮮やかな緑色の髪が垂れ下がり、覆われてしまっている。それでも、彼は瓶から一錠ずつ薬を取り出し、器用に髪の隙間へと投げ入れ続ける。


 気持ち悪いな、と俺は思った。


 その髪色の華やかさに反し、枝毛だらけで伸ばしっぱなしの髪型がまるでマッチしていなかった。加えて、爪もまた不自然だった。髪と同じく少年の手の爪は長く伸び、先端が犬や猫みたく摩耗していたが、薄いピンク色をしたその表面は艷やかだった。手指の肌もみずみずしくハリがあって、なぜこんなにアンバランスなのか?


「うーん。ま、いっか……」


 考えたとて答えが出るわけもなく、マジでここは変なやつばっかだな、そう思いながら俺は自分のランプを吹き消した。


 なんだかとても疲れていた。


 今日一日、色々なことがあったせいか頭が重く体がだるく、さっさと寝ようと、俺はベッドに倒れ込んだ。


 ベッドはびっくりするほど柔らかかった。


 こんなに柔らかいマットレスは初めてだった。それはあまりにもふわふわ過ぎて、どういう寝相を取ったものかわからなかった。


 仰向けだと体が沈みすぎる感じがするし、横向けというのもなんか違う。たぶん良いベッドなんだろうけど、俺の体には兵舎の寝床の、地面と変わらぬあの硬い感触が嫌というほど染み付いていた。


 これなら拘束されていたベッドのほうがまだマシだ。


 今にも眠れそうな感じなのに、あと一歩で眠れない変な状態のまま、右に左に上に下にと、俺は苦戦する。


 それは寝込みを襲われる可能性がある戦場ともまた違う居心地の悪さで、色々と試した挙げ句、結局仰向けになってぎゅっとまぶたを閉じるがいなや、


「お前は戦闘狂なのか?」


 唐突に少年が声をかけてきたので、俺はぎょっとした。


 のっぺりと平坦な声だった。声音自体は見た目通り若いのだが、抑揚がなく枯れていて、死にかけの老人が話しているみたいだった。


「あぁ」


 俺は驚きを悟られないようそう答え、目を開けた。


 ゆっくり上半身を起こし顔を向けると、少年もまた顎を引いて俺を見た。緑の髪が流れ、彼の顔が明らかになった。


 きれいだ。


 それを見た俺は、素直にそう思った。


 顔立ちは儚げなようでいて、しなやかでもあった。細い眉に小さな唇、目鼻の位置はそこ以外考えられないくらい完璧だった。健康的な桃色をした頬のラインに無駄がなく、肌は滑らかで透き通るかのようだった。


 しかし、その表情もまたちぐはぐだった。


 口は半開きだし、乾ききった緑色の目は感情を宿していないように見えた。それはのっぺりとした無表情で、若々しい顔の作りとは正反対だった。


 こいつはヤバい、と俺の勘がささやいたところで、少年が言った。


「そうか」


 彼は瓶を脇に置くと、音もなくすっと立ち上がった。


 彼のベッドからの灯りで、その輪郭が後光のように見えた。けれど天使のような顔には深い陰が落ち、ただでさえ読めぬ表情がよりいっそう隠されてしまっている。


 陰の中で薄い唇が小さく動く。


「頼む」


 視線をそらせぬ俺に、少年は続ける。


「私を殺してくれ」

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「戦闘狂」という名の病気を治療する病院で 与田 八百 @yota800

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