第三章 火と水の地へ

第15話 鬼哭

「ダイジョウヴ?」


 うしろから、冷たくかたい手が肩に触れた。皮膚ひふがメキメキと、冷たく硬い石に変わる。


「きゃ」


 エヴァはあわてて手をふりはらった。森を背後に、長い金髪の女が、ニィっと笑みをはりつけ立っている。

 前方に逃げようとすると、なにか大きな、硬いかたまりにぶつかった。

 見上げる。エヴァの背丈せたけより少し大きな岩。てっぺんに、目だけをギョロリと動かし、こちらをみおろす男の顔がある。


「えヴァ・オしラ」

「シェルブさん……」


 青白い、シェルブの顔。肉質のはだの下、首を境に、体がゴツゴツした岩に変わっている。

 シェルブは顔をゆがめ、うめきながら、切れ目なく血の涙を流していた。生あたたかい液体が、べちゃりとエヴァのほおに垂れる。


「アノとキ、ドウしテ助ケナてクレナかッタ?」

「ごめんなさい。みんなで死ぬわけにいかなかったから……」


 シェルブの岩のかげから、金髪の女たちがわらわらとあらわれて、エヴァを取り囲んだ。


「ダイジョウヴヴ?」


 いく本もの白い手が伸ばされる。

 耳をつかまれた。


「ひっ」


 怖くてぶんぶん頭を振ると、石になった耳がパリンと割れた。そこに激痛が走り、手で抑える。指にねちゃっと、血がからまった。


「オマえモ石ニナれバいイ」


 岩からぬっと石の腕が伸びた。金髪の女たちも、わらわらとエヴァに手を伸ばす。

 片耳を失くしたエヴァは、女たちを押しのけ、木々のあいだを走って逃げた。涙がこぼれる。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 背後からわらわらとおいかけてくる、何本もの手が、エヴァに触れようと迫ってくる。


「はっ、は、は、はっ……」


 過呼吸のように、息が勝手に荒くなった。


(いや。いや。死にたくない)


 背後からにゅっと伸ばされた手に、両のわきの下から体をつかまえられた。悲鳴をあげようにも、ぞっとして声がでない。


「ざまあみろ」


 耳元で女のささやきがした。

 眼球をうしろに動かし、見あげる。女がにんまりしている。栗色の髪の、年若い娘。その顔は、

(わたし……?)

 エヴァとうりふたつ。娘は、にくにくしげにエヴァをみおろした。


「ベルカナに手を出しただろ。殺す」


 エヴァの体が、メキメキと石のように硬くなっていく。

 


 

「いやあ!」


 ガバッと起きあがった。

 荒く呼吸をすると、薬草のにおいがした。

 においにとまどい、ゆっくりまわりを見渡すと、壁ぎわのベッドの中にいた。

 白い壁。並んだ棚や机。薬箱。

 そばの簡易ベッドには、銀髪の小さな妹のルナと、弟のソレイユが一緒に眠っている。双子なので、顔がそっくりだ。

 エヴァのベッドと簡易ベッドのあいだの床には、ラパ、カイ、シエルが眠っていた。ラパは片耳に包帯を巻いている。

 向こうの壁では、ノアが寄りかかってしゃがみ、寝ている。


「みんな」


 ノアが目を覚ました。エヴァを見てはっとする。


「起きたか。調子はどうだ?」

「ここは?」

「城の医務室だ。帰ってきたんだよ」


 簡易ベッドのルナとソレイユが、「んん……」ともぞもぞ動きながら、目を覚ました。澄んだ銀眼ぎんがんで、起きあがったエヴァを見ると、あっとおどろき、ベッドから降りた。


「お姉さま! 起きたのね」


 小さなルナとソレイユは、エヴァのベッドにのぼろうとした。とどかず、床の上のラパ、カイ、シエルを思いきり踏む。


「ぎゃふん」

「ふわ」

「うぐ」


 三人は三者三様にうめきごえをあげた。

 小さな双子は一生懸命エヴァに手をのばし、ベッドにのぼろうとぴょんぴょんはねた。


「目をさまさないから心配したの」


 ラパが踏み台にされながらわめいた。


「大人をふむな!」


 体の上でとびはねられ、うっ、うっ、とうめきながら、シエルはとまどった。


「うっ。うっ。ラパさん、皇族の方にそんな言葉……、うっ。うー……」


「いいなあ。子どもの足マッサージ。むかしよく弟と妹にやってもらった。……ぐう」


 首をもたげた半目のカイは、こてんと眠った。

 エヴァはルナとソレイユを抱きあげる。ふたりのやわらかい体をぎゅっとハグし、まんまるのほっぺに何度もキスした。涙がにじむ。


「よかった。また会えた」




 大きな布がかけられた死体が、並んだ台の上に寝かされている。

 台の列のあいだに、ノアはたたずむ。

 ここは教会の死体置き場。レンガの壁や床は冷たく、暗い。

 黒いキャソックの、柔和にゅうわ中肉ちゅうにく中背ちゅうぜいの神父が手をくみ、壁ぎわの大きな十字架じゅうじかに祈っていた。みずからも首に十字架のロザリオをかけている。


「神よ。あなたのひざもとでこの者らをおゆるしください」


 ノアも手を合わせて祈ると、神父がふりかえった。


「サー・ノア、この者らは一体どんな罪を?」

「城の衛兵えいへいです。罪人というわけではありません」

「しかしむごい死に方をしています。太いくいのようなものが体を貫通している」

「……」


 ノアはいまわしい現場を思いだす。



 城の廊下の、大理石の床や壁や天井じゅうに、べったり残った血のあとを、衛兵や召使いたちが根気強く清掃していた。

 おどろいて立ちつくしていると、衛兵に報告された。


「サー・ノアが戦場に行かれた日の朝、衛兵が数人、廊下で惨殺ざんさつされていました。まだ血が完全にとれず……」

「一体だれがどうやって」

「ダエグのスパイがロン殿下の女にまぎれていたようで」

「婦人がこれを?」

「ええ。ひとりだけ生き残りがいましたが、やったのは耳の長い、金髪の女だったとか」

「耳の長い、金髪……」

「きっと超人的な殺しの訓練を受けているのでしょうね」


 ノアにはおぼえがあった。超人的な殺しの能力を持つ、耳の長い、金髪の男。執拗しつようにエヴァをさらおうとしていた。

 


 ノアはたずねる。


「クリス神父、浅学せんがくなわたしのためにご教授いただけませんか?」


 神父はおだやかにほほえんだ。


「わたしの知っていることなら、なんでも答えましょう。神学を学ぶうち、よけいな知識を多々身につけました」

「ありがとうございます。知りたいのはある名の者のことです」



 起きあがったエヴァが、医務室で言っていた。


「ダエグ王の名は『ベルカナ』ではないの?」

「ああ。ゲルマノ・ダエグだよ」

「そう。ゲルマノ……。全然違うわ」


 エヴァはあごに手を当てた。


「『ベルカナ』とは?」

「じつは、あのウィルとかいう生き物が……」



「『ベルカナ』についてご存じでしょうか?」


 神父の目が、とたんにけわしくなった。


「その名をどこで?」

「国境で。多くの魔物まものがいました。それがウィルだとかベルカナだとかいう。文献をあさっても記録がなく……」

「サー・ノア。二度とその名をオシラで吐くな」

「……?」

「早死にするぞ」


 低い声と、ノアをにらみつける、獣のようなギラリとした目。

 背筋がぞっと冷え、ノアはそれ以上なにも聞けなかった。



 

 城の整えられた緑の庭、エイベルの横で、騎士きし装束しょうぞくをまとったエヴァは、ロングソードを顔の前でかかげてみせた。首にはキラキラした紺青こんじょうのペンダントがかかっている。

 小さなルナとソレイユが、キラキラ目を輝かせ、エヴァをみあげている。


「そのあと森の化け物は追いかけて来たの。捕まったら石にされるわ」

「それでどうしたの?」

「わたしがロングソードでぜーんぶけちらした」

「お姉さますごーい」


 二人はおおよろこびだった。

 エイベルがコソッと、「元気そうでなにより」

 エヴァは笑顔で、「わたしはいつでも元気よ」

「もう少し落ち込んでいるものかと思ったが」

「どうして?」


 努めて笑顔を作って言った。いまにも泣きだしたいのをこらえて。


 

 医務室でふたりきりになったとき、ノアと話した。


「だめだ。シェルブは助けにいけないし、いかせない」

「そんな。どうして?」

「第一に、国境は非常に危険だ。きみも思い知ったろう。オシラ人の立ち入りは禁止した」

「でも、私とエイベルさんなら……」

「第二に、彼のいる位置が不明確だ。あのときはあせっていたから地図に記録していない」

「戦のあった場所の周辺をしらみつぶしにでも探せばいいじゃない」

「第三に、彼は生きていない可能性が高い。あれから時間も断ちすぎた」

「それは……」


 うなだれた。

 そのことだけには、どうしても反論できない。


「死者をむだに探しまわり、あのおばけに囲まれるようなことがあってはいけない。どうかあきらめてくれ」



 明るい庭で、おおはしゃぎしているルナとソレイユの笑顔を見ると、少し救われた気持ちになる。

 エイベルがボソボソと続けた。


「わしに自慢げに話していたペンダントのことは言わないのか?」

「ヒーローは正体を隠しておくものよ」

(キュアライダーみたいに)



 変身したテレビの中の彼女は、ヒーローのつとめとして、ちょくちょく一般人を助けていた。変身解除後、にくったらしいことに、そいつらは彼女に石をなげつけるのだ。


『よくも息子の腕を切ったな!』


 彼女の愛馬あいばが、よくたずねていた。


『いいのかい? おまえさんことを言わなくて』

『いいの。ヒーローは正体を隠しておくものよ」



「しぶくって感情移入しちゃったわ」


 苦しいのをごまかしたいのもあって、あえてはしゃいだ。エイベルも、ルナもソレイユも、きょとんとする。

 そこへ、カイが近くを通った。


「いけない。昼飯ゆっくり食べすぎた」

「あらカイ。どうしたの?」

「いまから表彰式じゃない。今回の戦の」

「え?」

伍長ごちょうはいかないの?」

「聞いてないんだけど……」

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