2 『時間は止まらない』


「――というわけで、我々はゲオルタワー周辺に住む人間、もしくはあの日にゲオルタワー近くに居た者は時間を止められる可能性が非常に高いという結論に達することができたので――」

 ゼロ先輩がホワイトボードを使って今までのおさらいを説明している。

 机の上にはお菓子の袋が散乱していた。 

ゼロ先輩が作戦説明会にはお菓子だろと言って買ってきたものだ。

 ルージュはお菓子を食べながらゼロ先輩の話に耳を傾けている。 

ナナミは無表情でホワイトボードに耳を傾けていた。

僕は……。

 僕はよく分からない。 なんだか、さっきから不安が消えない。

 よくは分からない。 


怖い?


いいや、それとも悲しい? いいや。

 

なんだろう。 この感覚。 


胸騒ぎ……そう。 胸騒ぎだ。 

ずっと心の中で危険信号が鳴り響いてる。


何に対しての?


 原因を探ってみるが、よく分からない。 これ以上この話をしたくない。 メデューサの話も、ゲオルタワーの話も聞きたくない。

ただ、これ以上この件に関わったらいけないという……警告のようなものを感じる。


誰からの警告? 


分からない。 もしかしたら自分自身かもしれない。

それはまるで底の知れない深淵の中にひたすら入っていくかのような……そんな感覚。

その先に何かが居るのか、居ないのか、分からないからとても怖い、というような不安定な感情。 でも感じるんだ。

絶対に解き明かしてはいけない何かが、この先に居る。 


僕を待っている? それともそれはただそこにある?


「リュウジ」

 思考の迷宮に陥りかけた時、僕の名を呼んだのはナナミだった。 

僕は現実世界に帰ってくる。

「顔色、悪いよ」

ナナミは感情のない表情で僕に言った。

「リュウジ君……どうした? 確かにさっきからぼーっとしてるネ」

ゼロ先輩は僕の隣に来ると、頭に手を置いた。

「まだ具合悪いのか? しょうがない、私がなでなでしてあげるヨー。 ナデナデ」

「休んだらどうだ?」

ルージュがお菓子を食べながら言う。

「リュウジ立てる? こっち来て」

 ナナミが図書館の奥の方に僕を案内する。 

僕は席を立ちあがり、黙ってナナミに付いていくことにした。 

後ろからゼロ先輩の心配する声が聞こえるが、今の僕の耳にはあまり入って来ない。


しばらく歩くと、ナナミはその扉を開けた。

「ここって……」

「地下室だよ。 ウチのお父さん変わっててね。 本来の用途としては書物の保管室なんだけど、設計当初は核シェルターとして作ったんだって」

「へえ、凄いなぁ」

「こっち来て」

 ナナミは地下室へと続く階段を下っていった。 僕もそれに続く。


 しばらく降りると固そうな扉が目の前に現れる。 

ナナミはその重そうな扉を開ける。

 

中は少し広めの空間が広がっていた。 

本棚の山だった。 一階の図書室なんかより遥かに本の数が多い。 しかも一目見ても年代物と思われる本ばかりだった。

「お父さんの秘蔵の蔵書がここには沢山あるんだ。 ほら、こっちだよ」

 ナナミは部屋の中にある扉を開けた。 

扉の中には簡易ベッドや冷蔵庫、ラジオ、テレビなどが設置され、ちょっとした生活空間となっていた。 緊急時も過ごせそうだ。

「もしもの時はこの地下で過ごせるんだよ。 保存食もあるし。 私も子供の頃よくここで遊んでた」

「あの、ナナミ……どうしてここに? あ――」

 ナナミは僕をベッドまで引っ張ってくると寝かした。

「ほら寝て? この地下室には誰も居ない。 一人だけの空間。 今日までよく頑張ったね。 でも今から君は一人だよ。 一人だけの空間で、誰にも邪魔されない。 この世界は、あなただけのもの」

「ナナミ?」

「なんて、子供の頃よく空想に浸ったもんだよ。 でもね、そんな風に考えてると、段々頭もスッキリしてくるんだ。 だから今はここでしばらく寝てるといいよ。 作戦会議、私がリュウジの分まで聞いといてあげるから」

「あ、ありがとう」


「怖いんでしょ? メデューサが」

「え?」

 ナナミの表情からは質問に対する意図は伝わってこない。

「わかるよ。 今では、ハスミ姐の気持ちもよくわかる」

「ハスミ姐さん?」

「ハスミ姐も怖かったんだと思う。 そして悲しかったんだと思う。 でもね……」

 ナナミは目を細めて、少し怒りの表情になる。 初めて見せた感情だった。

「私には何故だかとても……それが羨ましいんだ……!」

 声は切なく、悲しそうなのに、その表情は憎悪しか伝わってこない。

「リュウジにはできれば、ずっとここに居てほしいな」

 ナナミは今度はとても優しい口調でそう言った。

「ナナミ、僕もそうしたい。 でも出来ないんだ」

 ……あれ? 今するりと言葉が出てきたが、なぜ僕はそんなことを言ったのだろうか。

「そうだね。 仕方ないよね」

 ナナミは悲しそうな顔で微笑む。 なぜそんな顔をする?

「じゃあ、私上に行くから。 来たくなったらいつでも戻っておいで」

「あ、ちょっと!」

ナナミは電気を常夜灯にしていくと、部屋から出て上へ行ってしまった。

 

僕は仕方なくベッドに深々と体を預ける。 なんか、久々にこうして寝たな。

 体全身を脱力させる。 気持ちと体が一体になっていく感覚と、この世界と一体化していく感覚。 それはとても心地良い感覚だった。 

きっと疲れてるんだ。

 

眠気が襲ってくるのに、そう時間は掛からなかった。



……暗闇の中、声が聞こえる。 それはどこかで聞いた声だった。

 この声……ハスミ姐さん?


「電気に乗った残留思念たちは……街を……自由に……でも地縛霊のような……」

 言葉の断片しか耳に入って来ない。 僕はよく耳を研ぎ澄まして聞いてみる。


「当時街に居たと思われる人の数は三十万一千十六人。 内、死者数二十九万二千九十六人。 行方不明者数は二千五百二十六人……」

 この声も聞いたことがある。 佐竹か?


「街は電波障害で通じない。 通信はゲオルギウスが全て遮断しているから、まずはゲオルギウスのAiを完全停止……シャットダウンさせるんだ。 もしそれでも通信が回復しなければ携行している信号弾を使え」

 これは誰の声だ? 分からない。


「どうしてもあの街に行くの?」

 ゼロ先輩?


「あなた、死ぬつもりでしょ?」

 死ぬ? 僕が?


「もう十分苦しんだ。 もうあの街とあなたには何の関係もない! 誰かに任せて、あなたが行く必要はないの!」

「しかし私でなければ! この地獄は終わらせられない……!」

 この声は……ルージュ?


「ただいま」


「彼女には今ゲオルギウス自己消去プログラムの作成を急ピッチで作成してもらってる」


「呪われた街……」


「ゲオルギウスの亡霊たち……まだあの灼熱の中に居るのか?」


「タイムリミットは一月一日の日の出までだ。 それまでに破壊できなければ――」


「やつらに見つかるな! 取り囲まれるぞ!」


「今ゲオルギウスの全制御権はAiが握っている」


「つまり……架空のテロ襲撃プログラムを作ったってことか!?」


「ゼロ……せんぱい……」


「亡霊が出てきたら?」


「直接見たらダメ。 精神に直接入りこまれて廃人になる」


「もう誰もあの街へ近づかん」



「私が……私しか終わらせられないんだ」


「なら、私も行く」


「これ……アイカメラ?」


「あの街は異界だ……あんな恐ろしい光景……もう見たくない……あぁ……あぁああ」


「おかえり」


それぞれの有象無象の声たちが僕の耳に入ってくる。


そして、暗闇からぱっと視界が広がった。

 

辺りは暗い。 

周りは荒廃した住宅や朽ちかけた家屋など建ち並んでいた。 

ひび割れたアスファルトの上を歩く僕……いや、僕じゃない誰かの視点を僕が見ているのだ。 これは誰の視点だろうか。

 やがてその視点の主が右へ向くともう一人……すぐ隣にフードを被った女が一緒に歩いていた。

 

メデューサ?


 視点の主はさらに奥の方を凝視した。 奥で何か黒いモヤのような存在が蠢いている。

 僕にはそれが何か分かってきていた。 黒いモヤはやがて人の形になり、徐々に視点の主へと近づいていく。 主の呼吸が段々荒くなっていく。

 その異形の存在はゆっくりと近づいてきて、主の目と鼻の先まで迫ってきていた。

 

ハア……ハア……。


 呼吸がさらに荒くなる。 鼓動も早くなっていく。 恐ろしい、シーン。


「うっ!?」


目が、覚めた……?

視界にさっきまでの天井があった。

暑い……。 汗だくだ。 本当にひどい夢だった。 

今まで見た中で一番の悪夢ベスト一位だろう。

僕は起き上がろうとしたが……ん?

足から、何かが僕の上半身へ向けて這い上ってくる。 なんだ……これ?

質量のあるそれはどんどん這ってきて……僕の視界にそれは現れた。

 最初、それは夢で見たような異形の存在だと思っていた。 でも違った。

 そいつの顔は……。


「ぜ、ゼロ……先輩?」


 ゼロ先輩? だった。 ゼロ先輩はいつも髪をポニーテールに縛っているのに、目の前に居るゼロ先輩は髪を下ろしていた。


「やっと会えたね……リュウジ」

「え?」

 ゼロ先輩の垂れた髪が、僕の頬を優しく打つ。


「ゼロ先輩……服が……」

 彼女は服を着ていなかった。 待ってくれ、これ、どういう状況?

「ねえ、リュウジ?」

ゼロ先輩は僕の耳元に口を近づける。 吐息が耳に当たってこそばゆい。

「私のこと、好き?」

「な、何を……」

「ねえ、好き?」

 この状況で、答えなんて決まってる。

「好き、です」

「そっか……」

 いや、おかしい……おかしいぞ。 

確かにゼロ先輩は大胆な性格だが、こんなにも大胆な行動に出る人でもない。 

ていうか絶対おかしいだろ!? この目の前の女……本当にゼロ先輩なのか? まさか悪霊が化けてるのか!?

 

僕はさっきルージュから言われた言葉を思い出した。

(もしまたそいつが出てきて、やっと会えたとか、会いたかったと言われても決して肯定するな。 お前の探している人は僕じゃないよと教えてやれ)

 

ゼロ先輩もどきは僕の頬に触る。

 つ、冷た!? 手はまるで氷のように冷たい……! やっぱ……こいつ幽霊!?

「あ、あの!」

「……なに?」

「君の、探している人は、ぼ、僕じゃないと思う」

「……」

「君は……誰を探してるの? 僕はその人じゃないから、役には立てないんだ。 ごめんね」

僕がそう言うと、目の前のゼロ先輩もどきは悲しそうな顔になると、すぅっと元来た下の方へとフェードアウトしていった。 僕の意識もそこで一旦闇に落ちる……。


 その一瞬後、僕は夢を見た。 夢の中で、僕はずっとあの女と重なっていた。

長い時間、そうしていたように思う。


「リュウジ君?」


 頬を誰かにぺちぺちされて、僕の意識は覚醒する!


「うわぁ!?」


 反射的にベッドから飛び起きた!

「うあわ!」

目の前にゼロ先輩が居た。 その後ろにはナナミやルージュも。

「ゼロ先輩……どうして?」

「いや、ずいぶんうなされてたから心配になって! なんか変な夢――」

 ゼロ先輩はそこで言葉を遮ると、僕の下半身を凝視した。

「え?」

僕も自分の下半身を見てみる。


「あ」

 けっこうな息子に成長していた。


「こ! これは、違うんです!」

僕は股間を思い切り両手で押さえつける。

「お、おいリュウジ君! 君一体どんなハレンチな夢を見ていたのだネ!?」

「いや、ゼロ先輩が裸になってて、僕の目の前で――」


 バチンッ!


 ああ、これはまた……強烈な。 僕はベッドに仰向けに倒れた。


「ゼロ先! 落ち着いて! ね!? ほらリュウジも男の子だからッ!」

 ナナミがゼロ先輩をなだめながら部屋の外へと引きずっていく。 

ルージュと部屋の中で二人きりになった。

「やっちまったなリュウジ」

「はあ……」

「会ったのか?」

「え?」

僕は顔をあげてルージュを見る。 

仮面をつけているのでどんな表情かは分からないが、とても真剣な表情をしているように思えた。

「なんて言った? そいつに」

「……あんたに言われたように言った」

「そうか……」

 それを聞くと、ルージュは何も言わずに外へ出て行った。



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