第10話
布団の中で、誰かの声に引っぱられた。
「歩夢ー! 起きてー!」
階段の下から、めっちゃ元気な声が響いてくる。
でも頭はまだぼんやりしてて、夢と現実がごちゃごちゃのまま。
(……まじで今寝たばっかなんだけど)
布団から這い出して、重い体を引きずりながら階段を下りる。
リビングのテレビはすでにつけっぱなしで、音だけ異様にうるさい。
画面には正月っぽい特番。
芸人たちがやけにハイテンションで、朝の空気にちょっと浮いてた。
こたつに座ってた結衣が、振り返る。
「お、起きたねー。お雑煮とお蕎麦、どっちがいい?」
「え、もう選ぶ流れ? まだ半分寝てるけど……」
あくびをこらえながら返すと、結衣は急に真顔になって姿勢を正した。
「では――ご注文は、どっち!?」
「うわ、どっちなんだい料理ショーかよ……」
ふらつく足でこたつに滑り込む。
テレビの中も、目の前の人も、朝から元気すぎる。
(……お雑煮か、お蕎麦か。どっちもありなんだよな、正月だし)
「なに迷ってんだ。正月は雑煮に決まってんだろ」
隣から雅の声が飛んできた。
「……決まってるなら聞かなくても。別にお雑煮で文句ないし」
(まあ。料理ショーやりたかっただけなんだよね)
歩夢は苦笑いしながら、指を3本立てる。
「お餅は3個でね」
「3個!? ……いや、そんなに食えねえだろ。俺なんか1個だぞ、1個」
餅の数で張り合ってくる大人、朝からしんどい。
「朝だけで3個全部食べるとは言ってない」
「……て、おい。やわらかいうちに食うもんだろ雑煮は」
ため息まじりに返す雅。
そのやりとりを聞いてた結衣が、のんびりと声をかけてくる。
「はーい、ご注文は雑煮ねー。じゃあ用意するから、ちょっと待っててー」
そう言いながら、こたつから立ち上がってキッチンへ向かう。
髪をふわっとかき上げたあと、いつもの手つきで準備を始めた。
鍋に火をかけると、すぐにいい匂いが立ちのぼってくる。
その横で、トースターに並べた餅が、じりじり焼き色をつけていく。
ぷくっとふくらんだ餅を、結衣は慣れた手つきで取り出すと、
熱々の出汁にそっと沈めた。
湯気の向こうで、焼き目のついた餅がぷかぷか浮かんでるのが見えた。
結衣は慣れた手つきで、お椀にそれを一つずつすくっていく。
「できたよー!」
運ばれてきたお椀から、湯気が立ちのぼる。
黄金色のスープにふんわり浮かぶお餅。
その上に三つ葉が乗り、彩りを添えていた。
雅が箸を持ち上げる。
なぜか、やたらかしこまった声で言い出した。
「それでは、如月家のお正月グルメ、開宴です!」
(いや、なんでそんな司会者テンション?)
歩夢も仕方なく箸を取る。
出汁の香りがふわっときて、ちょっとだけ顔がゆるんだ。
餅をすくって、出汁ごと口に運ぶ。
モチモチ、じんわり出汁の味。
雅と結衣が、妙にそろった声で叫んだ。
「「しいおいー!」」
歩夢は箸を置いて、半笑いで突っ込んだ。
「いつまでグルメ番組やるの!?」
リビングで、コーヒーを飲みながらダラっと座っていた。
テレビには、母校の駅伝チームが映ってる。
――まあ、この世界じゃ、まだ入ってすらないんだけど。
(応援しすぎると、ちょっとややこしいかな)
カップを置いたタイミングで、ふと浮かんだのが――
「そういえば、美咲……どうするつもりなんだろ」
初詣の帰り道、美咲が言い出してた、あの話。
あのときは軽く流したけど……冷静になると、ふつうに気になる。
――そのタイミングで、チャイムが鳴った。
「歩夢ー。来てるの、美咲ちゃんみたいよー」
結衣はインターホンをチラ見して、そのままキッチンに戻りながら玄関を指さした。
歩夢はコーヒーをテーブルに置いて、慌てて立ち上がる。
玄関を開けた瞬間、冬の冷たい空気が一気に流れ込んできた。
玄関の前には、美咲が立っていた。
マフラーの端をつまんで、ちょっとはにかんだ顔で、こっちに手を振ってくる。
(……んー? これはなんかありそうなはにかみ)
美咲が家まで来るなんて、それだけでまあまあレアなのに。
しかも、かあさん同士の用事じゃなくて自分宛てって――何事?
とりあえず普通に出迎えたつもりだったけど、
なんか、こっちまで動きがぎこちなくなった気がする。
「ちょうど電話しようと思ってたとこだったんだよ。美咲、あのあと大丈夫だった?」
玄関に立ってる美咲に声をかけると、
彼女はちょっと照れくさそうに、こめかみを指でくるくるなぞった。
「んー……なんか目が冴えちゃってさ。朝までテレビ見てた」
小さくあくびを噛み殺しながら、美咲は苦笑する。
「寝たの、初日の出見てから。で、起きたら……1日が終わってた」
「へえ……って、24時間以上寝てんじゃん! ……まあ、特に問題がなかったならよかった」
そう返しながら、美咲の顔を見直す。
改めて年始のあいさつってより、なんか……言いたいこと抱えてる感じ?
「……で、今日はどうしたの? めずらしいじゃん」
美咲は、前髪を指で軽く引っ張るようにしながら、少し切り出しにくそうに口を開く。
「……あゆちゃん、ネタノート書いてたじゃない?」
美咲は少し間をあけて、言いにくそうに続けた。
「それでね……あの中から、天外くんと大会でする漫才のネタ、貰っていい? だめかな?」
歩夢は、その問いにすぐには答えなかった。
ネタを「貰っていいか」と聞かれるのなんて、初めてだった。
そもそも、あのノートを他人と使うなんて、考えたこともない。
けど、それ以上に――
(……かくし芸大会で使うのか)
メモに残すだけならいいとして。
でも人前で披露するってなると、話はちょっと変わってくる。
あのノートには、未来の榎本天外のネタだけじゃなくて、歴代の漫才キングやコント師たちが生んだ名作の数々も書き出してある。
歩夢にとってというより、お笑いの世界にとってもそれは……ただのネタじゃない。
もちろん、そのうち世に出てくる作品なのは当たり前だと思ってた。
でも――この時代に、別の誰かがかくし芸大会で出すってなると、かなり……引っかかる。
(ええと……わけわからんことに、ならないか?)
指先が、ポケットの中でそわそわ動く。
誰にも気づかれないくらいの、小さな迷い。
(……あ、でも)
榎本天外のネタなら?
未来で天外が自分で作るネタなら、今ここで使うのも――
「あるべき未来に戻るだけ」って言えなくもない。……たぶん。
ちょっとだけ間をあけて、言葉を探す。
「……いいよ」
そのあっさりした返事に、美咲は目をパチパチさせた。
「……え?」
驚いたように瞬きして、ちょっと戸惑いながら口を開く。
「あ、ああ……ありがと、あゆちゃん」
「いいって。まあ、使うならちゃんとやってよ」
歩夢は軽く肩をすくめた。
それ以上の気持ちは、たぶん言わなくていい。
●●●
ドアを引いて、ふたりで玄関に入る。
美咲はリュックを持ち直しながら、
スニーカーを脱いで、揃えた。
歩夢は、口元だけ軽くゆるめる。
「おじゃまします」
「ああ、どうぞ」
そのまま二人で家にあがる。
美咲はスリッパに足を滑り込ませ、つま先でそろえる音が控えめに響いた。
廊下に出ると、キッチンのほうから結衣が顔をのぞかせる。
そして、片手を小さく振った。
「いらっしゃい、美咲ちゃん」
「こんにちはー!」
ぺこっと頭を下げる美咲を横目に、歩夢はそのまま階段の方へ歩き出す。
「じゃ、上行こっか」
「うん」
静かな家に、階段を上がる音がぱたぱたとやわらかく重なった。
階段を上がりきると、歩夢は自分の部屋のドアを押し開けた。
美咲はリュックを床に置くと、ちらちらと部屋を見まわしてから、
のんびりテレビの方へ歩いていく。
「……なにこれ、でっか」
ためらいもなくリモコンを手に取って、テレビをつけた。
画面には年始特番が流れ、芸人たちがわちゃわちゃしている。
小声で「あっ、はまちゃん」と笑って、テレビの前に座り込む。
(いやいや、まずネタ選びに来たんじゃなかったっけ……)
歩夢は机の上からノートを取って、
そのまま美咲の前にポンと置いた。
美咲は、ノートをちらりと見た。
けど、ページをめくる気配もない。
そっと指先で表紙を押して、戻すみたいに軽く触れただけ。
「えー、わかんないし、あゆちゃんが決めてよ」
肩をすくめるみたいにして、悪びれた様子もなく、さらっと言った。
(いやお前、地球で育ってないだろ)
思わずノートと美咲を交互に見て、無言になる。
……本気で言ってるっぽい。
なんかすごいもん見たみたいな気分で、
ゆっくりツッコミを入れる。
「いや、まず開こう?
そのために来たんだよね?」
「んー、わかってるってば」
美咲は、しぶしぶノートに手を伸ばして、めんどくさそうにページをめくりはじめた。
チラ見で適当に開いてます感ダダ漏れ。
しかも、こっちに隠す気ゼロ。
選ぶ気なんか、かけらもない。
歩夢は静かに目を伏せた。
(……どっちにしても、榎本天外のネタを選んで欲しかったし)
「学校物のネタとか、状況が分かりやすいし、やりやすいんじゃな……」
言い終わる前に、美咲の目がキラリと光る。
そして――、指さし。
「あゆちゃん天才!」
歩夢の言葉が、最後まで聞かれることはなかった。
無名配信者、過去にログインしました ムギノシモベ @tagonoura
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