第2話 春と祭りと入学式(後編)
新入生は胸にコサージュを付け、入学式の会場へ向かう。指定された席にはいくつかの冊子が置かれており、表紙には「1-D」と記載されている。どうやらクラスごとに分かれているらしく、近くには二人の姿もあった。
開式から在校生の挨拶から始まり、滞りなく進んでいった。会場は初々しさで溢れ、緊張と期待が入り混じった雰囲気に肌をくすぐられる。周りの空気に引っ張られ、柄にもなくうずうずしっぱなしだった。最後の校長挨拶も終え、そろそろ閉式の時間。
「以上をもちまして、入学式を終了致します」
その瞬間、照明が暗転した。会場がどよめく間もなくステージライトが煌々と光り、軽音部のライブが前触れなく始まったのだ。先程までの静粛さが打ち消されるように、耳馴染みのあるリズムやメロディが会場を包む。その後もダンスやオーケストラなどが目まぐるしく行われ、式典にあるまじき大歓声で幕を閉じた。
「いやあ、凄かったね!」
辰巳は興奮が収まらず、全てのパフォーマンスに賞賛を送っている。こうなってしまっては、所構わず喋り倒すので中々面倒くさい。隣で適当に相槌を打っていると、次第に落ち着いてきたのか少しは会話が出来るようになった。
「それにしてもまさか三人そろって教室一緒なんて」
「まあ、バラバラになるよりはいいんじゃないか。話せる相手がいるだけで居心地って結構変わるからな、新しい環境なら尚更だ」
「お兄は別に一緒じゃなくていい」
相変わらずつんけんとしている。そんなに無下にしなくたっていいだろう。初対面と友好関係を築くのは難しいし、既にコミュニティを形成済みなら尚更だ。人見知りというのもあって、二人がいることに俺は正直ほっとしている。だが、里奈は既に友人の輪を広げていたようだ。抜かりない奴め。
HRが終わると、次第に教室から人気はなくなっていく。大半はお祭りめがけて一直線だが、中には残って会話に花を咲かせている者もいた。辰巳が他の友人と話し終わるのを待ちながら、配布物を鞄にしまう。
「こうちゃん!」
「はいよ」
辰巳からお声がかかり、振り返るとなんとも無邪気な顔をしている。さして規模も大きくはない、ただ屋台が並ぶだけの小さなお祭り。もし一人なら自宅へ直行していたに違いない。強いて挙げるなら枝垂桜が河川敷に沿って綺麗に並んでいることだろうか。これが中々なもので、初めて見たときは圧巻してしまったくらいだ。
「そんなに楽しみなら早くいこうぜ、回りたい露店もあるんだろ?」
「今日はとことん連れまわすからね!」
小走り気味に校門へと向かった。その後を追う様についていくと、体育館の裏手に里奈とその友人らしき人影が視界に移る。楽しげに何か話している様子だが、その声までは聞こえなかった。
稲穂通りに着くと、思った以上の賑わいを見せていた。ざっと半数は学生だが、家族連れや社会人など幅広い年齢層がごった返している。足を踏み入れると、ソースの焦げたいい匂いが食欲を刺激する。普段は人通りが少なく、飲み屋もないため、陽が落ちればほぼシャッター街になるような場所だ。
「何ぼーっとしてるのさ、早く回ろ!」
ラジカセで流れる囃子とゆらりと揺蕩う赤提灯、ずらりと通りを埋め尽くす屋台。時間を忘れて二人で何往復と歩く。気付けば茜色の空が段々と薄くなり、ぼんやりとした提灯の明かりがより映える。
「元々このお祭りは昔の豊作祈願の流れでできたものなんだって。今では形式上だけど、夜には神事があるんだ。ほら、あそこの高台にある神社で巫女が神楽鈴を鳴らしながら舞を踊るんだよ」
「ふーん、ん?」
指差す場所に視線をやると、石段を登っていく女子生徒が見える。辰巳が言うには、神事の巫女はうちの高校から選ばれるそうだ。地元との根強い関係を築いていくために、数年前から取り組まれているらしい。そこには、俺もよく知っている身内の影があった。
「里奈ちゃんもその一人だったみたいだね」
他の数人も体育館裏で里奈と一緒にいた生徒のようだ。身内に見られることを避け、今日の今日まで話さなかったのだろう。親にさえ言っていないあたり、彼女もまた思春期を謳歌している一人の少女である。鳥居前の宮司と一緒に奥へ入っていくと姿は見えなくなった。
「どうする、こっそり見ていく?」
「やめとく。もしバレたら後が怖いからな」
暫くすると、鈴の音が鳴り始める。ご神体として祀られている神鏡の周りを四人の巫女がくるりと舞い、道行く人の目を奪う。辰巳が言うには、素人とは思えないほど美しく洗練されたものだったらしい。
神事が終わる頃には祭りの灯も徐々に弱くなり、いつもの商店街へと戻っていく。日も完全に落ち、地面を照らす光源が無くなると、今までの喧騒は嘘のように宵闇の静寂に包まれた。二人でゆっくりと家の方向へ歩きながら、他愛のない話をする。
「普通に楽しかったな」
「次は花火大会にも行きたいね」
小さい頃に、綿あめ一つではしゃいでいた記憶が脳裏を突く。中学に上がり、周囲に流されることを覚えた頃、ぴたりとその祭りには行かなくなった。知人に気付かれることが何よりも恥ずかしかったから。
「二人とも待ってー!」
後ろからは、里奈が両手を塞いで駆けてくる。雑に袋を押し付けられ、それを受け取ると中身は茶色い食べ物ばかり。売れ残りを包んでくれたらしく、調子に乗って貰ってきたのだろう。顔にはお面まで付けて。
その恰好を見た二人は顔を合わせてふっと笑う。里奈は息を整え、朝と同様に横並びで帰路につく。細々とした街灯が燈る帰り道、話題は今日の出来事でいっぱいだ。話したいこと、聞きたいことが沢山できた。ただただ適当に過ごしていた日常は、今日を境に少しだけ輝かしいものになった気がする。
「辰巳は本当に粉ものばっかり食べてたよな」
「いいじゃん、好きなんだもん」
「たこ焼き一個持ってく?」
「うん!ありがとう!」
余韻が未だに残っている。冷めやらぬこの鼓動は、前までなかった感覚だ。幼い頃に感じた高揚とも異なる妙に落ち着かないこの気持ちは、言葉にするには難しい。きっと今日のことは、いずれどこかで繋がっていくのだろう。
それはそれで、楽しみだ。
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