蒼い春と書いて。

蕙蘭

初学年編

第1話 春と祭りと入学式(前編)

四月某日。

昨夜セットした目覚まし時計が部屋中に鳴り響く。甲高い金属音に頭を揺さぶられ、布団の中から腕だけを伸ばしてそれを止めた。時間を確認したがやけに早い。まあいいや、もう少し寝ていよう。


「お兄、二度寝は許さないからね」


「…お前、まだ七時だろ」


ノックもせず不躾にドアを開け、ズカズカと入ってきたもう一つの目覚まし時計は既に真新しい制服に身を包んでいた。紺一色、スカートのプリーツが膝上ジャストでひらひらと舞い踊る。我が家の妹は早朝から浮足立っているようで、やたら気合が入っていることが分かる。


「ていうか、目覚ましの設定弄ったな」


「どうせ入学式まで時間があるからって遅く設定したんでしょ。初日から遅刻とか絶対あり得ないから!」


今起きたところで、どうせまた眠気に襲われるだけだ。そもそも、入学式自体は十時半からだし、家からは然程遠くもない。急かされる必要性なんて一切ないし、もう少しゆっくり出来るだろう。再度二度寝を試みたが、勢いよく布団をはがされてしまった。


どうもあいつはしっかりしすぎている。自分だけなら構わないが、そのストイックさはこちらに要求しないでほしい。今日から高校生になるという、人生の中でもそこそこ大きな分岐点に舞い上がることは分からないでもないが。


「おはよう幸太郎」


「おはよう、珈琲ある?」


一階のリビングには俺以外がもう朝食をすませているようだ。テーブルに用意されたトーストと目玉焼きをのそのそと食べ始め、珈琲を待つ。


「今日の入学式、出席できなくて悪いな」


「ううん、大丈夫だよ。それに私ももう高校生だからね」


さも自分が大人だとでもいう様に胸を張って答えた。そんな姿が子供っぽいことだと本人が自覚していない辺り、両親は里奈を見ながらふっと笑う。ただ、高校生ともなると大人に一歩近づいたという感覚は、ほんの僅かだが芽生えるのは分かる気がする。そんなやり取りを小耳に挟みながら珈琲ぐっと飲み干す。


「里奈はしっかり者ね。頼もしいわ」


「私はお兄みたいに怠け者じゃないからね」


なんとも心外な話だ。それと、俺はマイペースなだけで決して怠けているわけではない。自由気ままでありたいし、自分に正直でありたいだけだ。そう反論を試みると、こちらに蔑んだ視線を向けてくる。お兄ちゃん泣くぞ。


そんなこんなで他愛ない朝の団欒をしている間に、時刻は八時を回った。食べ終わった食器をシンクへ持っていき、とぼとぼと自室へ戻る。寝巻のジャージでぼーっとスマホを眺めていると里奈に着替えを促された。まだ余裕はあるだろうに。


「今日は辰巳君と早めに出るって言ってなかった?」


「あ、忘れてた」


朝に二回も妹の残念そうな顔を見ることになるとは思わなかった。結果、約束を破らずに済んだということにすればいいだろう。服装は中学と同じ学ランで、変に着飾ったり気張る必要はない。慣れているものは楽でいい。


鞄を肩に掛け、玄関に向かうと奴はいた。涼やかな微笑みでお出迎えするこの男は加苅辰巳。男とも女とも区別がつかない容姿、声も甲高く、よく性別を間違えられては男子生徒には揶揄われていた。


中学二年からクラスが一緒になり、同じ班で話すようになってから、それなりに付き合いも増えた。互いの家が近かったこともあり、自然と家族ぐるみの付き合いが多くなって今に至る。


「おはよう幸ちゃん。今日のこと忘れて今準備してたんでしょ」


何たる推測力。辰巳はたまにぎょっとするような勘の鋭さを発揮する。関係値が高くなるほど何を考えているかくらいは分かるようになるが、関りを持ち始めたあたりからズバズバ言い当てられるようになった。不思議だ。


「まだ九時前なんですけど」


「今日はあれがあるから早く出ようって言ったでしょ」


「わかったから」


辰巳の言うあれというのは、あけぼの祭という地元の小規模なお祭りだ。心から楽しみだったのだろう、瞳をキラキラとさせている。あまりにも顔を近づけてくるものだから、反射的に軽く押し返した。玄関を開けて外に出ると、二人も後ろに続く。無下にするような真似はしたくないから、大人しく付き合おう。


「「いってきます」」


「楽しんで来いよー」


「車には気を付けてね」


いつも歩く道が、今日はやたらと彩られた様な気がする。これも新しい環境とやらを、少しは感覚的に感じ取っているのかもしれない。なにより、中学より距離が近いため無駄に歩かなくて済む。夏は特にひどかった。


高校へ行く道のりの倍は歩くため、正直それが嫌で仮病を使ったこともしばしば。親にはバレていたようだけど、里奈にはちゃんと心配されてしまったので、この手を使うのはあの時限りにしようと誓った。我ながらいい兄である。まあ、後に母親からお叱りをうけたのだが。


「お兄は入学式の後どうするの?」


「ん、そうだな。辰巳が祭りを回る予定なんだろ。それについていこうかな」


「ふーん、そっか。じゃあ私も友達と一緒に回ろうかな」


今年は偶然にも高校の入学式と日程が被り、昼過ぎから祭りが活発になる。周りにいる同じ制服を着た奴らも、耳を傾ければ今日の祭りの話ばかりが聞こえてくる。辰巳は催し物が好きで、彼もまたその一人だった。


「よし、幸ちゃん。寄り道してこっか」


高校への道のりから少しズレると稲穂通りという商店街に出る。辺り一帯が通行止めになっていて、出店予定のテントがずらりと並んでいた。辰巳がワクワクしながら露店のマッピングをしている中、もう片方もウズウズしている様子だった。


「あんまり長くなるようなら先に行くぞ」


里奈もまた年端のいかぬ少女だ。たとえ、出店準備中であってもこういう賑わいの雰囲気に当てられて心躍るのも分からなくはない。色々見て回っているが、祭りの楽しみを取っておくのもまた醍醐味というやつではないだろうか。浮足立つ二人に先に行くことを伝えると、後ろから追って付いてくる。


「入学式より楽しみになってきたね。早く終わらないかなあ」


「辰巳君って本当イベント好きだよね」


「里奈も大概だと思うけど」


高校に近づくにつれて桜並木が顔を出す。軟風が頬を伝い、暖かな陽気が制服に纏う。これから歩むであろうこの先、少しの不安と楽しみを含んだ三人は校門をくぐり抜ける。今この瞬間から、俺たちの高校生活が始まりを告げた。

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