1-4 マキナと魔術(1)

 「さて、魔術を扱うに際して──」

「ストーーップ!!」


 マキナは大声を反響させて、オビクの話を遮る。

 次いで、そのまま老体に詰め寄ると、その双肩を鷲掴みにして彼の体をぐわんぐわんと前後に揺さぶった。


「話を勝手に進めないで! あたしは! 魔術なんて! 使わないから! ね!」

「こ、これ、やめんか! 目が回るじゃろうに」

「回してんの!」

「お、落ち着かんか! 魔術を選んだのには、きちんとした理由わけがあるんじゃ!」


 オビクの言葉を受けて、マキナは怪訝ながらも彼を解放する。


「落ち着いたかの?」

「別に、最初からあたしは冷静だよ。そっちこそ、おかしくなっちゃったの? オビクも知ってるよね、あたしが魔術にトラウマがある事」

「もちろん、知っておる。かつて、お主は自らの魔術で右腕に深い傷を負った」

「だったら、なんで魔術なの? 剣でも槍でもいいじゃんか」

「阿呆抜かせ。武器を担いで、楽園層を闊歩かっぽする気でおるのか?」

「うっ!? それは……その……」

「我先に捕まりたいというのであれば、武器の扱い方を教えてやらんこともないがの~」

「ぐ、ぐぬぬぬぬ……」


 オビクの意地悪な笑みが返ってくると、マキナは歯を食いしばって唸り声を上げることしかできなかった。


「お主が魔術を忌避きひする気持ちも理解しておる。しかし、もう右腕には傷跡すら残っておらん。そろそろ過去に立ち向かい、克服する時ではないか?」

「そんな簡単に言うけど……あたしは……」


 魔術というのは習うものではなく、慣れるものというのがこの世の通説だ。

 幼少期から徐々に馴致じゅんちしていき、早ければ生まれて間もない頃から、遅くとも一〇歳になる頃には魔術が使えるようになっていることが普通である。

 だが、一六歳になるマキナは未だに魔術を扱うことができていなかった。


「お主が八才の時、初めて魔術を発現させた。しかし、自らが生み出した炎が右腕を呑み込み、焼き焦がしたと聞いておる」

「うん。あの時はホントに痛くて絶叫したのを覚えてる。あたしは途中で気絶して、目が覚めると火傷の痕一つない右腕のままだった。まるで、起こった事全部が夢だったみたいに」


 マキナは右腕に左手を添えると、庇うようにして己の体へと引き寄せる。

 そこに傷跡はなくとも、かつて味わった痛みは燃えかすのように記憶に残り続け、今もなお、ふとした拍子に彼女の右腕をうずかせていた。


「あの時言われたの、『今後、絶対に魔術は使うな』って。だから、あたしは『ああ、右腕が燃えたのは夢じゃなかったんだ』って気付けた」

「『魔術を使うな』か。誰と交わした約束か……予想は付くが、お主は今もそれを律儀に守り続けておるというわけか」

「それもあるけど、単純に怖いし。また燃えたりしたらだし」

「心配せんでもよい。今と昔では状況が異なる。お主は歳を重ね、多少なりとも考える頭を獲得した。それはつまり、魔術の暴走を抑えるだけの判断力を得たということじゃ」

「ふ~ん」

「信じておらんな?」

「うん」


 マキナは即答する。

 目の前で楽しそうに語る老人の口ぶり、そのすべてを疑わずにはいられなかった。

 一方、オビクは彼女のそのような感情も想定しているかのように、流暢りゅうちょうに話を続ける。


「わしもお主を傷つけたいわけではない。もし、ほんの少しでも危険だと判断したら、わしがお主を止めると約束する」

「……」

「マキナよ、この機を逃せば、一層魔術の習得は困難になってしまうぞ?」

「……は~、分かった。オビクもあたしのために、いろいろと考えてくれてるみたいだし。今日だけはその気遣いを信用してあげる」


 マキナは甘言かんげんに過ぎないと疑いつつも、心のどこかで同じ事を思っていた。

 いずれ、魔術と向き合わなければいけない時は必ず訪れる。ならば、これを機に、もう一度魔術と正面から向き合わなければならないと。

 だが、それはそれとして。


「ホントに、少しでも危ないと思ったら止めてね。絶対に」

「相分かった。わしも細心の注意をもって臨むとしよう」


 そう言うと、オビクの魔術の授業は始まるのであった。









 「それで、魔術の授業って何をするの? やっぱり、すぐに実践とか?」


 マキナが尋ねると、オビクはゆっくりと首を横に振る。


「実践に移る前に、お主には魔術とは何かを知ってもらう必要がある。特に、その仕組みについてをの」

「仕組み……魔術って自然と使えるようになるものじゃなかったっけ? 仕組みなんて、知る必要あるの?」

「普通であれば、それほど拘る事でもない。しかし、お主は普通ではない。思うに、お主の魔術が暴走した原因として、魔力量まりょくりょうが多い事が推測される」

「魔力量?」

「うむ。魔力量とは、一度に体内に留めておくことのできる魔力の総量のことを言う。魔力量が多ければ多いほど魔術の出力は上昇する。お主も知るように、魔術とは幼少期から馴致していくもの。これは、言い換えると、『体の成長に合わせて馴致されなければならない』ことを意味する。なぜだか理解わかるか?」

「さっぱり」


 堂々として、マキナは即答する。

 そこには微塵の一考もなかった。


「答えは、幼少期には魔力量も少なく、魔術の暴走を引き起こす恐れがなきに等しいから、じゃ。魔力量が『一度に体内に留めておける魔力の総量』であるのならば、それは体の成長に比例して増加していくということ。それゆえ、幼少期に馴致する時期を逸してしまうと、魔術が暴走するリスクを大いに孕んだまま、魔術を習得しなければならない状況に陥ってしまう」

「じゃあ、ダメじゃん。あたし、もう一六歳だよ?」

「先にも言うたが、お主が〝普通であれば〟そういうことになるの。しかし、お主は例外である可能性が高い。幼き頃から魔力量が多く、まだ小さな体が潜在的な能力に耐えられんかったのやもしれん。もしくは……」

「もしくは?」

「ただ単に、魔力コントロールが恐ろしく下手か」

「うっ」


 オビクの言葉に、マキナの表情は思わず引きってしまう。


「なら、結局ダメじゃんか」

「一つの可能性として挙げたまでじゃ。魔力量が多いのやもしれんし、魔力コントロールが下手なのやもしれん。あるいは、その両方か。いずれにせよ、始めてみんことには何も分からんということじゃな」


 そう言って、オビクは他人事のようにケタケタと笑う。

 マキナは冷ややかな視線を彼に向けると、人知れず呆れるのだった。

 

「さて、結論を述べるとしよう」

「どうぞ」

「これからお主が魔術を習得するために、最も避けねばならんリスクが魔術の暴走じゃ。そのためには、魔術の仕組みを理解し、その根源たる魔力の使い方を知らねばならん。よいな?」

「はーい」


 気の抜けた返事で応えると、いよいよ授業は本題へと突入する。

 徐に、オビクは足元に転がっていた石ころを手に取ると、それを石筆にして地面に図を描き始める。

 マキナも彼の隣にしゃがみ込むと、その作業が終わるのを黙って待っていた。


「──よし、こんなもんでよいかの」

魔力核まりょくかく……魔粒子まりゅうし……」


 オビクが地面に描いた図は、人体の略図だった。

 そして、描いた部位の近くには、それぞれ『魔力核』、『魔粒子』、『魔力』と文字が書き足されている。


「いくつか知っている事もあるやもしれんが、すべて順を追って説明する。まずは『魔力核』について」


 そう言って、オビクは人体図の心臓部、そこに小さく描かれたひし形の部位を指で指す。


「魔力核とは心臓近くに所在する器官であり、魔力の源たる魔粒子を生み出す器官じゃ。人間、魔獣問わず有する器官であり、第二の心臓とも言われておる」

「第二の心臓ってことは、傷ついたら死んじゃうってこと? 心臓みたいに」

「いや、魔力核は一変でも残存しておれば、時間をかけて再生する。しかし、魔力核が回復している間は、魔粒子の生成量も極端に減ってしまうため、魔術や魔法といった魔力を伴う一切の行為は困難になる」


 次に、オビクの指先が『魔粒子』の文字の上へと移動する。


「この魔力核から流れ出る無数の斑点、これが魔粒子じゃ。今し方少し触れたが、魔粒子とは、端的に言えば、魔力の素となる要素。これら無数の魔粒子が集まることによって、魔力と呼ばれるものになるのじゃ」

「えーっと、つまり魔粒子と魔力は同じものってこと?」

「厳密には異なるが、今はそのような認識でも構わん」

「はーい」


 マキナは説明された事を自分なりに頭の中で整理する。

 魔力核が魔粒子を生み出し、その魔粒子の集合体が魔力になる。そして、魔力を素にして魔術や魔法といったさまざまな魔力的行為を可能にする。

 しかし、肝心の魔力コントロールについての説明がされておらず、そう疑問を抱いた時には、すでに口を衝いて質問していた。


「それで、魔力をコントロールするのはどうすればいいの? 結局、それができないと、また昔みたいに魔術が暴走しちゃうんでしょ?」

「そう急くでない。まずは、お主の魔力コントロールの才がいかほどかを視る。一説によれば、魔力コントロールの才がある者は、魔粒子一つ一つの流れを感じ取れるらしいが、一般的には、感覚の領域で捉えられるのは魔力単位からとされておる。マキナよ、試しに目を瞑ってみよ」

「目? ……閉じたよ」

「では、その状態で魔力核の位置を感じ取ることはできるか?」

「魔力核の位置……」


 マキナは薄目を開けて、地面に描かれた人体の略図を見る。そして、再び目を閉じると、魔力核の位置を今一度意識する。

 しかし、特に何かを感じ取ることはなかった。


「ん~……分かんない」

「まあ、通常時であればそうなるじゃろうな。魔力核はより多くの魔粒子を意図的に生み出し、体内へと放出する際に、その位置を把握しやすくなる。そうじゃの~……胸部と腹部、その丁度境目辺りに力を込めるよう意識してみると良い。筋肉に力を込めるのではなく、大きく吸った息を吐き出さず、体内に留めておくような感覚じゃ」

「吸った息を吐き出さないで、体の中に留める……」


 言われるがままに、マキナは実行する。


(……ん?)


 最初はただ息苦しさだけがあった。しかし、徐々に胸の少し下辺りに違和感が生じると、それは液体のようなものがサラサラと流れ出る感覚へと変わっていく。


「──あっ、ここかな? 何かが体内に流れ出してる感じがする」

「うむ。その『何か』とは魔粒子の川じゃ。大量の魔粒子が魔力核から生成され、お主の体の内を満たしておる。そして、その感覚の始点、その場所こそがお主の魔力核の位置に相当する」

「これが、あたしの力……」


 湧き出る力の輪郭を捉え、マキナはゾッとして身震いする。

 やはり思い起こされるのは、初めて魔術を使った日の事だった。


「魔力核の位置は掴めた。ついでに、魔粒子が体の内へと溢れ出る感覚もの。次は、その力を体外へと放出する感覚を掴んでもらう」

「それって、今から魔術を使えってこと?」

「そのとおり。まず前提として、魔力の使い方は二つに大別される。一つは『体内で燃焼させる』、もう一つは『体外へと放出する』。前者は『魔力燃焼まりょくねんしょう』と呼ばれる行為で、後者はお主もよく知る『魔術』や『魔法』が代表的な例として挙げられる」

「魔力燃焼って言葉、初めて聞いたかも」

「まあ、そうじゃろうな。魔術や魔法はその行為を指して口にすることはあっても、魔力燃焼という行為をいちいち口に出すことは滅多にない。しかし、使用頻度で言えば、魔力燃焼の方が圧倒的に機会が多い」

「そうなの?」


 マキナは首を傾げて問うと、オビクが深く頷く。


「魔力燃焼を簡単に言い換えるなら、『身体能力の向上』じゃ。例えば、重い物を運ぶ際に腕に力を込めたり、速く走るという行為そのものであったり、高くジャンプするために地面を強く蹴ったりと、人は無意識的に魔力燃焼を発揮しているんじゃ」

「思ってたよりも身近にあるんだね、その魔力燃焼ってやつ」

「そう身近にある。しかし、これをより意識して使うとあれば、このように……」


 オビクは側に落ちていた拳ほどの石を拾い上げると、次の瞬間には細枝のような指でそれを握り潰していた。

マキナは目の前の出来事をすぐには理解できず、わずかな遅れをもって吃驚きっきょうする。


「えっ!? すっご!!」

「痛たたた。このように、魔力燃焼は意識の程度によって、石をも握り潰すことができるというわけじゃ」 

「大丈夫? オビクの方がダメージ受けてそうなんだけど……」


 見ると、オビクの右手の五指は小刻みに震えており、手のひらは赤らんでいた。


「老体には少々酷な行為だったか。本来、人間の肉体は魔力燃焼に耐え得るだけの強度を備えてはおらん。意識的な魔力燃焼は、己の肉体の強度を凌駕りょうがした力を発揮させる。要するに、諸刃の剣のようなものじゃ」

「なにそれ。じゃあ、魔力燃焼ができても意味ないじゃんか」

「人間には、の。しかし、魔獣のような強靭きょうじんな肉体を持つ存在であれば話は別じゃ。それに、人であっても、修練を積んだ者であれば魔力燃焼で肉体強度そのものを向上させ、それと同時に強化した筋力を振るうことができる。まあ、それでも限度はあるが……」

「へぇ~……オビク、ホントに大丈夫?」


 説明を続けるオビクの右手は、未だに回復する様子を見せていない。

 彼は何度もその指を折り曲げては、右手の機能が正常かどうかを確かめていた。


「少し寄り道にはなったが、今のが魔力を体内で扱う術じゃ。そして、お主が習得せねばならんのはじゃ」


 そう言うと、ボウッと。

 小さく震えるオビクの人差し指の先に、揺らめく小さな炎が輝いていた。

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