第十一話 鬼
「友人の様子がおかしいんだよね」
そう鞠絵に相談をもちかけてきたのは、奇海堂の常連である町田さん。
彼は25歳。大学を卒業後就職した会社をつい最近辞め、今は「職探し」という名のお気楽暮らしをしている。「友人」とは高校生のころからの付き合いで、気心もしれた付き合いとのこと。お互い大学を卒業してからは生活環境もガラリとかわり、以前よりは会う頻度も減ったという。
「始めに気が付いたのはね、『生臭さ』なんだよ」
鞠絵が出したお茶を一口飲んで町田さんが言った。
「……『生臭さ』」
「そうなんだ。どうやらそれを感じているのは僕だけらしくってね」
町田さんはいわゆる「視える」タイプ。霊現象などに一般の人間よりは敏感だ。かといって祓うことはできず、あちこちでいろんなものを拾っては鞠絵のところに依頼にくる。
鞠絵にしてみれば、人が霊的なものを拾うことはごく当たり前の現象。ひとりふたり連れ歩いている人はよく「視る」し、祓う必要はさほどない。太陽にあたった生活をしていればいずれは消えていくものだ。
ところが「視える」タイプの人間だと話は変わってくる。四六時中感じる人か何かの気配。身体的なダメージはもとより精神的なダメージも大きい。
そういったことについて町田さんは以前「プライバシーを侵害されているような」と言った。その表現の少しの滑稽さに笑ってしまったのを鞠絵は覚えている。
さて。
「去年くらいからかなぁ。仕事での人間関係がうまくないって書いたメールが届いてね、そのうち飲みにいこうって話になって」
メールをもらってから数週間後、学生時代の仲間も誘って飲みにいったそうだ。
待ち合わせの場所にやってきた友人を見た瞬間、生臭さを感じたとのこと。雨に濡れた獣のような匂いと言ってもいい。明らかに不快な匂い。町田さんは少し戸惑ったそうだ。しかし他の友人たちはいつもの通りに挨拶をしている。それは遠慮をして言葉を飲み込んでいるというよりも、そもそもなにも感じていないといった風情だったという。
「それでね、飲みながら話していたんだけど、彼が仕事の愚痴を話し始めたらね、」
町田さんが言葉を区切る。
「なにか『視えた』、と」
「うん、彼の身体の周りに黒い靄みたいなのがまとわりついてて。あぁ、これかって思ったわけ」
町田さんの話を聞いた鞠絵は、なにか厄介そうな、下手に関わるのは危険なような、何とも言えない不安感を覚えた。
関わり方によっては誰かの命が捕られる。それは鞠絵自身も含んで。
「実はね、今日もふたりで飲みにいく約束をしててね。離れたところからでいいから、ちょっと『視て』ほしいなぁって」
もちろん奢ります、と彼は付け加えた。
それから数時間後。鞠絵はとある居酒屋のカウンター席にいた。
町田さんより少し遅れて店にはいったところ、運悪くふたりの姿が見えない席に案内された。
しかし。
強烈に感じる負の気配。店中が生臭さに包まれており、鞠絵は頼んだ食事に手を伸ばす気にもならなかった。このままでは危ない。そう感じた鞠絵は町田さんの携帯電話のショートメールに、だいたい分かったこと、具合が悪いので帰る旨のメッセージを送信した。手を付けられなかった食事を包んでもらい店をでると、うそのように気分が晴れた。
あれは……。
「鬼、ね」
翌日奇海堂にやってきた町田さんに鞠絵は答えた。
「鬼ですか……」
「あえて言うならそうなの。あなたのお友達、口で言っている以上に誰かのことを恨んでいるわ」
「それは、職場のひとってことだよね」
「まあ、話の流れからするとそうね」
友人が纏う負の気配。そこにいろんなものがまとわりついた結果、集団は塊となり、やがて鬼となった。
「祓え……ないかな」
と町田さん。
「無理。こういうと変だけど恨みが純粋すぎてね、精錬されきって『神』に近いものになってる。これは祓えるものじゃないわ」
「だよねぇ」
鞠絵の答えに町田さんは少し悲しげな顔をした。
それから半年後のこと。町田さんが再び店にやってきた。鞠絵と目が合うと少しだけ微笑んだが、どこか寂しげだ。その様子を見た鞠絵は、例の話がどうなったかをなんとなく察した。
「あいつね、うそのように元気になりました」
「えぇ」
思っていた通りの答え。
「まるで……」
そこで止まった町田さんの言葉の先を鞠絵は続けた。
「『人が変わった』みたいに」
「そう。会社は辞めたらしくてね。すっきりしたとかなんとか言ってたけど。もともとは大人しいやつだったのに、やたらエネルギッシュになったね」
元気を取り戻した「友人」は、そのエネルギッシュさでいろいろな人々と縁をむすび、なにやらビジネスも始めたらしい。町田さんも声をかけられたが、ギラギラとした目で語る友人に危うさを覚えて断ったそうだ。
友人を覆っていた黒い靄も、生臭い匂いも町田さんは感じなくなったという。そのことが示す答えに町田さん自身もきづいているようだ。
その様子をみた鞠絵はあえて結論を伝えるのをやめた。町田さんにとって残酷かもしれない事実を。
-鬼
それは最終的に友人の魂を喰らい、やがて体を乗っ取った。今の「友人」はもう町田さんの知るそれではない。自我を持った負の塊。「人」となったそれは、もう負の気配を漂わせてはいない。気配であったものは、彼の人格そのものになっている。性格がゆがんでしまった形の今となっては、霊的な視点で「視て」も意味をなさないのだ。今のところ怪しげなビジネスをやっているだけのようだが「彼」はこれからひたすらに暗い道を歩んでいくことだろう。自分以外の人間の暗い感情が今の彼の餌になっているのだから。
だまして、だまして、だまして。
その先に何が待っているかは察するに余りある。
「もう一度、飲みにいきたかったなぁ」
町田さんはそう言って目頭を押さえた。
奇海 -腐海 2- 遠野麻子 @Tonoasako
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