信頼財と名前——「ゆっくり茶番劇」騒動について④

 17年前に巻き起こったネット文化上での大事件を経て、私たちは今何を見ているのだろう。今、ゆっくり実況は同じことを繰り返しているのかといえばおそらく部分的にはそうだ。だがしかし、異なる点も無数にあるように思える。その違いの一つに、相手が「企業」か「個人」かという点があるだろう。はやり「法人」相手であった17年前の騒動と比べ、今回の騒動は個人が対象になっている。もちろん、今回の騒動の背景に株式会社があることは少なからず見ることができる。本人のTwitterアカウントを除くと、どうやら個人で展開しているものではなく、組織単位での動きがあるようにも思えて仕方がない。とはいえ、YouTuber個人名の方が前景化しているのは明らかであり、この点はあくまで「エイベックス」という法人に対しユーザーが攻撃していた17年前と比べ、大きな違いであるだろう。


 しかしながら、現在進行形で進んでいるネットコミュニティの攻撃的姿勢はあるいは、17年前と比較して大きく変化もしていないようにも見える。当時、2ちゃんねるユーザーは株式会社エイベックスに対し、サーバー攻撃や匿名掲示板上での誹謗中傷を繰り返し、あるいは爆破予告や殺害予告にまで問題は及んでいった。その様相は今日、同じように展開されつつあるのかもしれない。むろん、だからと言って私が今回の騒動において商標登録をした側の人間を擁護することもしなければ、信頼材への冒涜というこれまでのネット文化史から見て明らかに許されないことをしていると考えている。だが、今回の相手は法人か個人かのどちらであるかを判断しなければならないのであれば、おそらく「法人」というよりも「個人」であると判断している人の方が多いのではないだろうか。


 17年前、2ちゃんねるをはじめとして国内ネット文化はまだまだアンダーグラウンドな文化であり、ユーザーたちはそれが社会的な地位も得ていないからこそ、自由な発言も許されていた。しかしながら、スマートフォンが登場してから多くのユーザーがネット文化に参画することを可能にし、それは決してアンダーグラウンドなものではなくなってしまった。そうした中で、ネット上でのある種の攻撃はかつてと比べて、格段と繊細な問題と化しているはずだ。そうしたなか、17年前に社会的問題と化してしまいながらも抵抗したかつての2ちゃんねるの様相がTwitterをはじめとしたSNS上で実現可能なのか、あるいはそれを「本当にしてもよいのか」という倫理的問題がおそらく問われているのではないだろうか。繰り返すが、今回の問題は前回と比べ、格段と繊細になった情報空間上で、法人よりも格段に繊細な対応をとる必要性があるだろう個人を相手にしている——実際に、特許関係のデータを調査することによって、個人名さえも表面化している現状がすでにできている。


 私たちはSNS上で、誹謗中傷を苦とした著名人の自殺という悲劇を何度も見てきた。それを踏まえ、私たちが17年前から何を学習したのかという再確認を、まさに今問われているのではないだろうか。ドイツの宰相オットー・フォン・ビスマルクの名言に「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ(=愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。 私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む)」というのがあるが、私たちはかつて起こった経験と時代の変化から、しっかりと学習し深化していく必要があるのかもしれない。

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