永遠の眠り side-兄
眠ったら弟の体の中にいたなんて、誰が信じるだろう。突拍子もないし現実的に科学的にありえないと断言できることを、誰が敢えて信じるのだろう。それでも俺は今、弟の体の中にいる。
最初は嘘だと思った。夢だと思った。あれは俺が熱を出して学校を休んでいた日。やっと熱が引いてゆっくり眠りについたころ、目の前に広がったのは学校の景色だった。でもそれは俺の高校ではなく中学校だった。どうして中学校に戻ってきてしまったのだろうと輪郭のぼやけた脳で思いながらも順序よく授業が進められる。担任らしき人に苗字を呼ばれ返事をしようとした時。弟、ハルキの声がすぐ近くから聞こえた。というか自分の体から。ハルキは担任の質問に答えられなかった。それだけでハルキは当然のようにクラスメイトに後ろ指をさされていた。
五歳年の離れた弟は確かに最近は妙にしおれている。あまり話をしてくれなくなって本音をいうと寂しかった。
次の日、体調は良くなっていたけど念のためと言ってずる休みをして一日中寝てみた。やっぱりハルキのいる場所が映し出される。昨日だされた宿題はちゃんと今日提出だったし、帰ってきたハルキの膝に今日体育でクラスメイトに足を引っかけられ転んだ時の傷があったのをみて幻ではないことを確信した。
「学校たのしい?」前から何度かそうきいても苦笑いしてまぁまぁと煮え切らない言葉が返ってくるだけだった。その苦笑いの意味が今の俺にはもうわかってしまった。
ハルキは学校でいじめられていた。引っ込み思案だからいじめられたのか、いじめられたからそうなったのか本当のところはわからない。でも記憶の中のハルキは控えめで優しい子だった。どちらにせよ俺だけはハルキの味方でありたいと思った。
俺は世間からみれば成績優秀で容姿も整っていて人付き合いも良好でつまり優等生だった。だからオーバードーズで死んだ優等生が抱えてた闇とはなにかと大人たちは深刻に憶測を交わしていた。だが俺の心は至って健康だった。「学校でハブられているのか?」と聞いた時、ハルキはなりふり構わず必死に俺の手を掴んできた。ハルキの恐怖心や孤独心が流れてくるみたいだった。だから俺は、ハルキを一番傍で守るために効率的な眠りを手にしようとしただけだ。日中は俺も高校があって守れない。だからこの方法しかなかった。病んでいたわけでは決してない。死という眠りを手にしてしまっただけ……。
俺がハルキの中で声を出せるのは調査済みだった。慌ただしい葬式が終わって自分の死を理解した頃、ようやくハルキの名を呼んだ。
ハルキは、喜んだ。
俺たちは心の中でだけ話をした。授業中先生に質問を投げられても俺が答えを呟いて教えてあげた。反則じゃないの? とハルキは心配したが、この状況を誰が信じるというのか。それが狙いだったのだから。
この現実はふたりだけの秘密とし、俺らはふたりで人生を進んだ。生前の俺の年を越えたハルキに完璧なカンニングをさせてかつて希望していた大学に合格させた。ハルキ以上に喜んだのは何者でもない俺だった。俺はどんな大学生活を歩んでいたのだろうとふと考えたことはすぐに消し去る。人付き合いの仕方も様になったハルキは友人を多く持つようになった。
ある日、母親がハルキに言った。お兄ちゃんみたいに明るくなったと。確かにハルキはあの頃みたいに俯きがちではなくなった。俺は満足していた。でもハルキは思いもよらぬ事を危惧し始めていた。
ハルキは大学生になるとすこしずつ大人になった。身なりを気に出して彼女をつくった。現実世界で永遠の眠りを手に入れたかわりに、こっちの世界で永遠の覚醒を手にした俺は四六時中ハルキを、というかハルキの見ている景色を観察できてしまった。はじめはハルキが眠っている時間が暇だった。ハルキが目を開けない限り俺は外の風景が見られないから余計にたまらなくなった。その時ばかりは一生分の孤独を味わったような気にさえなった。でも今はその時間が休まるひとときになっていた。
ハルキは俺に体を、人生を乗っ取られるのではないかと危惧していた。
そうしてとうとうハルキは激怒した。俺がずっと起きているという事実を知ったから。彼女とのはじめての夜を俺が盗み見たから。俺はもうハルキにとって不要なのだと知った。死んでしまえと言われても憎悪は湧かなかった。オーバードーズ、致死量を超えた睡眠薬中毒死。本当は死ぬ予定ではなかった。ちょっと長く眠って守れたらと思った。こんな間抜け、優等生でもなんでもない。乗っ取るだなんてそんな、と思っていても心の何処かでは狙っていたのかもしれなかった。それでも、安堵したんだ。ハルキが俺なしでも自分で自分を守れるようになったこと、弱々しく俯いていた頃のハルキではなくなったこと。ハルキが俺を想って泣いてくれたこと。
俺はもうそれっきり、話しかけなくなった。言葉を発さなければいないも同然。どんなにハルキに名前を呼ばれても懇願されても俺は頑なにでていかなかった。
これでよかった。俺の終わりはハルキが永遠に眠った時。その時まで俺はもう一度眠ると決めた。
永遠に眠る とがわ @togawa_sora
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