第6話 恋慕


 俺、コンラッド・モースは、女神に出会った。これは運命だと思った。



 俺は学生時代からバイトしていた警備会社にそのまま就職した。

 体が大きい俺は力も強かったので重宝され、何年か真面目に働いて試験を受けて、要人警護部の所属に出世することができた。

 異動後の新しい担当職場は子爵令嬢が住む古いビルの警備だった。


「ビル警備、ですか。年配の方の仕事じゃないっすか?」


「ジム爺さんに任せる予定だったんだが、腰をやっちまってなあ。何とか狭窄症とかいう奴で、背骨の手術が必要なんだとさ。それにこの案件のビルは、住民がほとんどオーナーのお貴族様しかいないらしいから、要人警護部の仕事でもあるんだ」


 聞けば貴族令嬢が警護対象らしい。俺の他は年配の爺さんか、ゴリラみたいな女性の同僚ばかりのようだ。

 普通は俺に回ってくることが無い仕事だが、他に手が空いてる人員がいないらしい。

 後に、その幸運に俺は涙することになった。




「レイン・ペンドルトンよ。よろしく」


 その主たる警備対象の子爵令嬢は、美しかった。

 美しい、という形容ではとても足りない。

 詩人じゃない俺では、これ以上の言葉が出ないのがもどかしい。

 誰に対しても無表情で、返事も最低限、言葉少なで、だがそこがまた神秘的な、銀と紫に輝く少女。


 俺は、銀の令嬢、レイン・ペンドルトン子爵令嬢に、一目で恋に落ちた。

 まだ年齢は若く、来年、中等部に通う予定とのことだが、俺は26歳だからまだ大丈夫な範囲だし、愛があれば年齢差は些細な話だと思う。

 俺の故郷の田舎も人口が少ないから、このくらいの年の差婚の夫婦は普通に居たし。



 警備会社の受けた業務内容は『ビルの警備』だ。

 警備対象のビルは古びた商業ビルで、5階建て。5階と屋上の2階層、いわゆるペントハウスにはビルのオーナーにして雇用主のペンドルトン子爵令嬢が1人で住んでいる。


 土地の広さは約600㎡。外装と一部の内装のリフォームも行ったらしく綺麗で立派なビルだが、立地がかなりな郊外寄りで奥まっているため、驚くほど人気は無いらしい。

 地下1階が駐車場。ビルの出入り口は正面玄関と非常口、駐車場出入り口の3か所のみ。非常口は普段は閉鎖して施錠してあるため、実質2か所だ。駐車場出入り口のシャッターはリモコン式で、正面玄関はオートロック。鍵かリモコンが無いとビルには入れない。


 俺たちの仕事は1階に設けられた警備員室に詰め、出入り口3か所と各階の廊下、非常階段を映すカメラを監視し、定期的にビル全体を巡回することだ。

 また最重要の警備対象である子爵令嬢が出かける時はその護衛にも付く。

 その関係でこのビルの担当は、女性が半分を占めている。

 ビル管理業務を年配の警備員が担当し、令嬢の護衛を要人警護部の女性警備員が受け持つ仕組みだ。

 俺はどちらにも臨機応変にシフトに組み込まれる。若手の内にビル管理も要人警護も両方勉強しろってことらしい。


 昼番と夜番はローテーションで交代し、体の負担は少ないし、雇い主は美少女だし、雇い主の代理人の女性弁護士、マリア・スミスさんも、我が女神ほどではないが、かなりな美人だ。

 そのスミスさんもこのビルに住み込みで、4階の一角にあるかなり広いテナントを自身の部屋として借り、そこからご自分の事務所へ通い始めている。

 俺から見れば楽な上に目の保養になる、最高の仕事環境と言っていい。



 唯一、頭に来るのは、俺たち以外にも女神が護衛を雇ったことだ。

 そいつの名は、ケンタロウ・クサカベ。

 我が女神たる子爵令嬢がビルを買い取った時に、このビルの2階テナントにすでに入っていた個人経営の探偵だ。



 きっかけは、女神が現在入っているたった2つの店子であるテナントへ、挨拶に行きたいと言い出したことだ。

 挨拶に回った際に、俺と女性の同僚、スミスさんも一緒だった。


 1つ目のテナントは不在。

 個人の税理士事務所だが、スミスさん曰く、賃料が3か月未納らしく、もう業務を続けていない可能性がある―――ありていに言えば夜逃げした可能性があるとのことだった。


 2つ目のテナントのドアには素っ気ない文体で『KUSAKABE Detective Agency』の記載。

 東洋の複雑な文字が並行して書かれているので、チャイニーズかどこかの別の言語でも同じ内容が記載されているのかもしれない。


 スミスさんが部屋をノックすると、一拍おいて低いが聞き取りやすい返事が聞こえた。


「開いてます。どうぞ」


 俺がドアを開け、最初に室内に入る。

 ドアの正面には、古びた事務デスクと応接セットが置かれており、デスクの前に東洋人の男が立っていた。

 年のころは俺より少し上くらい、東洋人は若く見えるらしいから、ひょっとしたら30歳を過ぎているかもしれない。

 東洋人にしては背が高く、全体に地味な顔立ちで、張り出した眉骨と頬骨の奥にある細い鋭い目が印象的だ。

 ややひょろりとした頼りない体形だが、後にボクシングを嗜む年上の女性同僚は『あれはかなり鍛えて絞ってるわね』と評していた。


 俺の後ろからスミスさんが入って来て、名刺ケースを取り出す。


「初めまして。私はマリア・スミス、弁護士です。」


「初めまして。『草壁調査事務所』所長のケンタロウ・クサカベです。調査のご依頼ですか?」


 やや陰気な印象を受ける。

 声が低く、覇気が感じられない。


「いえ、このビルのオーナーが変わったのはご存じかしら?」


「通知書がポストに入っていましたね」


「オーナーになられたペンドルトン子爵令嬢が、テナントに挨拶がしたいと仰せです」


「それはまた………ご丁寧に」


 クサカベは細い目を見開いた。

 貴族令嬢がすることではないと驚いたのだろう。女神の優しさを感じられて誇らしい気持ちになる。


「こちらがこのビルの新しい所有者となったレイン・ペンドルトン子爵令嬢です」


 スミスさんがキビキビした態度で紹介し一歩引くと、入れ替わりに入って来た我が女神が、スカートを摘まんで探偵に丁重に礼をする。


「初めまして。レイン・ペンドルトンと申します。よろしくお願いいたしますわ。―――素敵なお声ですのね、クサカベ様」


 女神は花開くように笑いかける。

 ずっと無表情な女神が初めて見せた華やかなその笑顔に、その場の全員が息を飲む。

 まるで、長年探していた大切な人物に再開したかのような。

 故郷の厳しい冬の雪解けのような、歓喜に満ちた笑顔、のように見えた。

 同時に、艶やかな美しい笑顔を向けられる冴えない探偵に、俺は内心、激しく苛立つ。


「………恐縮です」


 クサカベは一瞬たじろいだように見えたが、やや不愛想にそれだけ返事する。

 女神は笑顔で一歩近づき、両手で大切に、包むようにクサカベの手を取った。

 俺は嫉妬で気が狂いそうになる。

 ―――なんで、そんな陰気な男に貴方が!


「私、探偵さんのお仕事にすごく興味があります。貴方とたくさんお話がしたいの。また、こちらに遊びに来たいわ」


 思わぬ令嬢の発言に、俺もスミスさんも女性の同僚もひどく驚いた。

 先ほどまではこんなふうに距離を縮めるような方にはとても見えなかったのに、この豹変ぶりはなんなのか?!


「………その、私は話すのがあまり得意ではありませんし、貴族のご令嬢に相応しいお話ができるとは思えませんが………」


 よし、いいぞ! お前は分際をよく分かってるじゃないか!

 だが、その返事に女神は顔を曇らせ、クサカベの手をぎゅっと握ってまた一歩詰め寄り、涙目で、上目遣いに顔を見上げる。


「………駄目、ですか?」


 クサカベは困惑してしばし、返事をためらっているようだったが、女神に引く気が無さそうなのを察したのか、ついに諦めるように答えた。


「………いえ、ご令嬢がよろしければ、いつでもおいで下さい」


 女神は、ぱあっ、と顔を輝かせ、満足そうに微笑んでいた。

 レイン嬢は、傍から見ても分かるほどに、浮かれて返っていった。


 ―――俺はクサカベに殴りかかるのを抑えるので精一杯だった。




 その後、女神は本当にあの事務所に足繁く通う様になり、なぜかアイツを護衛として雇うと言い出したらしい。

 訳が分からなかった。

 スミスさんもかなり苦言を呈したようだが、一切、折れず、強引に押し通したらしい。


 女神はほぼ毎日、クサカベの事務所へ通っている。

 そして、ビル内では護衛が付いてくるのも断るようになった。

 同僚たちは『貴族の悪い癖が出た』と、社に報告だけ上げて、何も言わずに受け入れた。元々何か言う権利があるわけでも無い。


 貴族の子女が、こうした『遊び』を好むのは聞き知っている。

 だが、俺の女神が、そんなふしだらな真似をするはずが無い。

 しかし、長い時間、クサカベの事務所で2人きりで過ごしているのは事実だ。

 俺も表面上、何も言わなかったが、内心はとても平静ではいられなかった。

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