第195話 命の価値、雌伏の刻

 上杉輝虎に袖にされた足利義秋。今も酷くご立腹である。その怒りの矛先というものは、存外に近くの人間にぶつけられるもので。


 朝倉景鏡が俺のもとに来る。俺は夜通し走っており、上杉輝虎が帰ってからというもの、泥のように眠っている最中であった。その眠っている最中にどのような話し合いがもたれていたのか、それは知る由もない。


「伊豆守様、ゆっくりとお休みになられましたか?」

「ああ、其方の持て成しでなんとか疲れが抜けたわ」


 景鏡に温泉に豪華な食事、そして寝所を世話になり、なんとか疲れを取った。もちろん真田昌幸も一緒だ。俺だけが美味しい思いをするのは気が引ける。あれは昌幸の補助があっての成果だ。


「して、如何された?」

「その……実は公方様が『豆州を呼べっ! こうなっては豆州に上洛を先導させるっ!』と仰っておりまして」

「おぉう」


 もう上洛の成否など考えていない。いや、京にのぼるという姿勢を見せるのが重要だと考えて……いるわけがないか。頭に血が上ってそう述べているに過ぎない。


 ただ、俺も上杉輝虎から変な刺激を貰ってしまった。さて、もし我らが三好とがっぷり四つでぶつかった場合、勝機はあるだろうか。


 国力は三好の方が上だが、三好は周囲から反感を買っている。我らは毛利と和睦しているので、戦線は三村家親のみだ。そこと二正面になる。現実的に考えても難しいな。


 勝ち目がないとは言わないが、戦う損害と勝った場合の利益の釣り合いが取れない。つまり、戦うべきではないと判断するのが真っ当と言える。止めだ、止め。俺は上杉輝虎になれない。身の程を弁えろ。


 いつかは毛利元就、武田信玄、上杉輝虎に肩を並べたい。そう思っては居るものの、もう一つ踏み込むことが出来ない。覚悟が足りていないのだろうか。命を賭けてでも成し遂げたいという覚悟が。


 命を賭ける場所と刻というものがある。それを弁えるのが大事なのだと彼らからは教わった。その時が来たら俺は自身の命を賭けられるだろうか。


「勝ち目がない。何とか止めなければな。源五郎、何か良い案はないか?」


 横に控えている源五郎が頭を捻る。どうやらまだ本調子ではないようだ。それもそうか。あれだけの強行軍を行ったばかりなのだ。頭がぼーっとしても致し方ないというもの。


 史実だと足利義秋が明智光秀の仲介を経て織田信長のもとに向かうんだったよな。やはり信長に義秋を担いでもらうしかない。しかし、美濃攻略に手古摺っている。史実でもこんなに手古摺っていただろうか。


「まずはこちらに。公方様がお待ちですぞ」

「あいわかった。源五郎、供をせい」

「ははっ」


 移動の最中、真田昌幸に小声であれこれ確認する。人に話すことで自分の考えを明確化する狙いもある。昌幸が納得すれば義秋も納得するだろう。


「やはり織田殿に上洛をお願いする他ない」

「しかし、美濃を攻略出来なければ上洛など夢のまた夢にございますぞ」

「浅井新九郎と義祖父の信玄公を動かす。さすれば美濃一色氏は持たんだろう。しかし、一色治部大輔龍興。凡愚かと思うておったが、中々どうして粘りおる。流石は道三の孫よ」


 ルイス・フロイスが龍興について、「非常に有能で思慮深い」と称した意味が今ならわかる。父の跡をしっかと継ぐことが出来たようだ。凡愚に描かれるのは信長を際立てせるためかもしれない。


「ふむ。それならば能うでしょう。しかし、浅井新九郎も信玄公も動きますかな?」

「浅井新九郎は動くだろう。織田殿の義弟だ。動かないわけがない。そこに公方の命も加わるのだ。新九郎は動く。問題は信玄公よ。ここは煽てて乗り切る」

「成程。公方様を煽て、『公方様の命ならば信玄公も動きましょう』と述べるのですな。そして刻を稼ぐと」

「そうだ。信玄公が動かなくとも織田殿が優勢になれば織田殿の上洛に現実味が帯びる。それが狙いだ」


 もちろん俺も惜しみない援助をさせてもらう。そうだな、ならば俺はお得意の本願寺作戦に出るとしよう。一色龍興はキリスト教に傾倒している。となれば困るのは本願寺だ。


 伊勢長島から美濃に一行門徒を向けてもらう。織田、浅井、そして本願寺から攻め込まれたら一堪りもないはず。いくら龍興が有能だとしても防ぎきることはできないだろう。言わば美濃包囲網だ。


「どう思う?」

「本願寺を動かしますか。御屋形様は本願寺を気にされますな」

「本願寺を気にしているのではない。宗教というものを気にしているのだ。妄信的な門徒や信者の覚悟を舐めてはいけない」


 いつの時代でも同じだ。政治と宗教、そして贔屓のスポーツチームの話はご法度であると。だから宗教に気を配る。安土宗論のように同じ仏教でも争いが起きるのだ。他宗教にその矛先が向くことを想像するだけでも恐ろしい。


「しかし、南蛮の武具や道具は有用なものが多くございます。そちらは如何なさるお積もりで?」

「宗教と商いは別だ。向こうも金銀が欲しくて日ノ本に来ている。そして我らは金銀を多く所持している。それだけで食いつくものは多くいるものだ」


 日ノ本に来日している意味が布教か金稼ぎかの違いである。それを一緒くたに見ているのだ。それでは本質を見失ってしまう。


「ご慧眼、恐れ入りまする」

「なに。源五郎より宗教というものを恐れているだけだ」


 自嘲した笑みを浮かべる。そう、臆病なだけなのだ。この世界ではあっけなく人は命を失う。それは俺も例外ではない。最後に生き残った者が勝つのだ。おれはそれを学んでいる。歴史という教科書で。


 最後に立っているために今は力を貯めているのだと自分に言い聞かせる。だから命を賭けるような真似をしない。今は後ろ指を指されても生き抜くことが大事なのだ。


 武士らしくない。そう言われても銭を貯め、来るべき時に備える。その時というのは浅井の首を上げる時だ。そのために、浅井に疲弊してもらおう。


「こちらにございます」


 足利義秋の前に通される。真田昌幸が俺の後ろに控えて頭を下げた。俺も低頭し、名乗りを上げる。空気がぴりついている。どうやら義秋はたいそう不機嫌なようだ。


「豆州、其方に三好討伐を命じるっ!」

「恐れながら申し上げまする。私如きでは三好には勝てませぬ。それでも戦えと仰るのならば戦いましょう。ただ、私が負ければ将軍位は平島公方のものとなりますぞ」


 そう言うと義秋が怯む姿を見せた。そう。負ければ将軍位は奪われてしまうのだ。おいそれと戦を仕掛けることもままならない。悲観する公方が言葉を零す。


「ではどうせよと言うのか」

「織田殿を頼られませ」

「織田は頼りにならぬ! 一色に良いように負け、嘲笑われていたではないか!」

「勝敗は兵家の常にございます。そこから這い上がれるかどうかが肝要に。そして織田殿は這い上がられた。織田殿はまた一つ、強くなられましたぞ」


 義秋が俺の言葉に耳を傾ける。どうやら織田に興味を示しだしたようだ。ここで先程まで昌幸と練っていた考えを話す。目配せをし、事前に景鏡に伝えていた通り地図を用意してもらった。


「織田殿が美濃を奪う。これが大前提でございます。もし、公方様の将軍位即位を早めたいのであれば、浅井新九郎殿、武田信玄公に美濃を攻めるよう命じるべきでございます。さすれば、織田殿はこのことを恩義に感じ、公方様の上洛にひと肌もふた肌も脱ぎましょう」


 義秋が感心したように頷く。しかし、これに異を唱える者がいた。三淵藤英だ。彼はそう簡単に行くとは思っていないようであった。


「信玄公が動くでしょうか。信玄公は海を求め、南下を進めておりまする。北の上杉と和議も成らず、そのような余裕はないでしょう」

「何を仰いますか。公方様が命じれば、信玄公もそのご威光に平伏しましょう。三淵殿は公方様にそのご威光がないと?」

「そうは仰っておりませぬが……」

「さらに本願寺も動かしましょう。本願寺は三好の仇敵にございます。また、美濃一色はキリスト教に傾倒しているとか。伊勢長島からも美濃を攻めさせれば一色は簡単に打ち破れましょうぞ」


 そう告げると足利義秋が膝を叩いて感嘆の声を上げた。どうやら義秋を説得できたようである。機嫌も上機嫌になった。ほっと胸を撫で下ろす。


「流石は豆州じゃ。そのように良きに計らえ」

「かしこまりましてございます。尽きましては織田殿、浅井殿、信玄公に文を。本願寺は私が説得しましょう」


 本願寺を説得するために文と銭を義秋から貰う。銭の出所は朝倉家の懐からである。これでようやく後瀬山城に帰ることが出来る。義秋に散々に振り回された一か月だった。とほほ。

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