鏡花水月
鵙の頭
鏡花水月
僕は、どこにでもいる人間だ。そんなことを言うと、いつも謙遜だと取られる。そんなこと無いよとか、またまたそんなこと言ってとか。中には、そんなこと言ったら俺の方がとか、聞いてもいない自分のことを得意げに話してくる奴もいる。よっぽど構って欲しいのか。よっぽど構って欲しいのか。
……そんな話ではなくて。
僕は、本当にどこにでもいる人間なのだ。成績は、良い。小学校、中学校、高校。去年入学したこの大学でも、テストでも、成績表でもいつも完璧に近い評価を貰える。上から三つ以内を常にキープしている。
勉強だけでなく、運動も。学校で測る記録は常に上々という評価だ。先生や同級生といった周りの人からも、君は天才だとよく言われる。だから僕が、最初に言ったようなセリフを言うと、いつも否定され意見を改めることを勧められる。
ただ、これは所詮周りから決められた価値が高い、ということでしかない。そりゃ、三十人でも五十人でも百人でも成績という点数を付けて縦一列に数値順に並べと言えば絶対に一人は一番前だ。どのグループでも、世界中どこに行っても評価方法がそれであれば一位は決まる。一位なんてありふれている。別に珍しい存在じゃない。
勉強が出来る奴も、教師から褒められる奴も珍しい存在じゃない。そもそも、評価する人は教師なのだ。多くの教師は学生時、一位では無い。そこそこの成績が大半だろう。人間は、自分の能力を超える人間のことを評価出来ない。そこそこの能力の人間にそこそこの成績を提出すれば満点になる。だってその、そこそこ こそが、評価する人間の天井なのだから。
閑話休題。
つまり、結局は、最終的に。何が言いたいのかと言うと。僕の様な人間はありふれていて。本当の天才、カリスマという様な存在は、他に居るということだ。
「何をしてるのかしら」
机を挟んで、僕の対面に居る彼女は。椅子に座って、勉強をしている。ノートを見ている顔を上げて、僕に向かってそう口を開いたのだ。
「いや、少し考えことをしてた」
「あら、そう。捻くれたことを考えてたのね」
「え? あ、あぁそりゃ確かに捻くれたことを……。ん? 何で分かったんだ?」
「当たり前じゃない。貴方が考えることなんて、大体お見通しよ」
彼女はそう言って、少し疲れたと言わんばかりに立ち上って伸びをし。後ろにある窓を開けた。
秋の昼下がり。涼しく爽やかな風が部屋を走る。どこか、懐かしさを思い出させてくれる風だ。白いカーテンが風を受けてヒラヒラと、彼女の周りを舞う。
外から入る気持ちの良い陽光が彼女とカーテンを照らし、少し眩しい。彼女は風に乱れるロングの髪を少しだけ鬱陶しがりながら。
「気持ちが良いわね。この季節の風は」
そう、落ち着いた声で呟いた。
彼女。
秋の夜風というのは僕にとって気持ちの良いもので、時々僕は動きやすい恰好で外に出て散歩をしていた。特に好きなのが家の近所にある川と、それに架かっている木製の新しくは無い橋。その川の水面に月が映ればそれはもう風情という物で、それを楽しみにいつも散歩をしていた節さえある。
その日は満月。空は晴れていて、澄んだ空気のお陰で星がよく見えた。今日は素敵な物が見れるという確信が僕を動かし、少し心を躍らせながら件の橋に寄った。
橋が見える場所まで来た時、橋の上に人影が見えた。ここはメイン通りから少し離れた所なので、夜にこんな所に来る物好きも居るんだなと思ったのを覚えている。
その時たまたま、千切れ雲が月を隠していて、僕からはシルエットの様な、正に人影しか見えていなかった。
僕は橋の傍まで歩いて近づき、何となくその人影がどの様な人物なのかを見て確認しようと思った。
その時、月光が差した。
隠していた雲が去り、月がその橋に差した。キラキラと、白い光が彼女の顔を露わにする。不思議とその時だけ風は無かった。長く綺麗な黒髪が彼女の背中にひたりと張り付き、頭上には月、川の水面は静かに波打ち、僕はその余りにも絵に描いたような月下美人に見惚れて、しばらく息すらも出来なかった。
初めて見た彼女の顔には、気品が漂っていた。これは、彼女がただ美人という話では決して無い。彼女の中に確かに存在する意志が、彼女の周りに存在する万物を、彼女を惹き立てる脇役に仕立て上げている。そういう話だ。余りにも強い彼女の意志が、周りにそうさせている。彼女の前では僕達は、彼女の前に存在する僕達は、彼女の存在を惹き立てる為の材料にしかなれないのだ、と。
彼女と初めて会った時、そう思った。
ああ、なんて美しい人なのだろう。心から、そう思った。
「私に、用かしら」
橋の上に立つ彼女は、未だ橋の上にすら立てていない僕に向かって、そう言った。
「え? よ、用なんてそんな……」
「じゃあ何故、私をジロジロジロと見ているの?」
しまった。バレた。まぁ、あれだけ微動だにせず見ていれば、そりゃ気付かれもする。
「いっ……。いや、それは……」
その時僕は、咄嗟のことで。つい、口から出してしまったのだ。
「とても、綺麗だと思って」
「とても、綺麗だと思って」
少し寒いなんて思いながら勾欄に手を置き、魚はいるかしらと川面を覗き込んでいた所を、ずっと凝視されてたものだから何か用かと尋ねれば、そんな返事。
最初は、ナンパでもされているのかと思ったけれど、言った後に自分で恥ずかしがる彼を見て、あぁこの人は賑やかな人だと、そう思った。
一般人は、相手を褒める言葉なんというものは、すらりと口からは出てこない。人の褒め方を知らないという人が殆どなのだと思う。理由は分かっていて、大人になればなるほど、人から褒められることも少なくなるから。褒められることが少なくなれば、人を褒めることも少なくなっていく。褒めるという行動自体が、日常から遠ざかっていく。だから、褒め言葉は、口からスラッと出てこない。
ましてや、相手の容姿を褒める言葉なぞ。口からスラッと出てくる訳は、ない。
だから最初に、不意にパッとその言葉を投げかけられた時。あぁこの人は愛されて育ち、その愛を周りにも配っているのだろう。だから恐らくではあるがこの人は人に囲まれ、賑やかであるだろう。そう思った。
「……それは嬉しい言葉ね。素直に褒め言葉として受け取っておくわ。初めまして」
言って、もう一度川面を覗こうとすると、その人は静かに、スタスタと私の横に来て、あろうことか私より先に川面を覗き始めた。
「……ここに、良く来られるんですか」
「……いえ、余り来ないわ。今日はたまたま通りかかっただけよ」
「そう、なんですか。僕は、良く来るんですよ。道理で、初めて見る方だと思いました」
ふとその時、一波。風が吹きつけた。
横に居る笑顔の男性の短い髪を揺らし、私と彼の間を翔けて行った。風に流されてきた紅葉も同様に間を通り、一瞬、彼の顔が紅葉に隠れる。
次に出て来たのは、さっきと全く同じの、はにかんだ様な笑顔の彼。ただ、紅葉に隠れて出て来たことによって彼の顔を見ているという行動が改めてはっきりと認識れ、その時。
私は小説や漫画などでよく見るあの表現の、意味が分かった。自分には到底理解出来ないだろうと思ってた、それを理解した。
それが、私と
人を惹き付ける、素敵な笑顔だった。
窓を開けると涼しい風が吹いてきて。しばらくそれに当たって涼んでいると、彼は私に見惚れている様だった。
「私のこと、ジッと見るの好きよね」
そのセリフに彼はまるで当たり前のことを言うかの様に。
「自分の彼女を見つめるのが嫌な奴はいない」
そう言ってみせるのだった。
「……なぁ栄華。日本の先生って、どう思う?」
ある日。いつもの様に僕の家でゆっくりとしている彼女に聞いてみた。
彼女はカーペットの上で片膝を抱え、反対の足を延ばしながら部屋のストーブの恩恵を受けている。僕の質問に対して、少し考えた後に。
「どうでもいいわぁ、そんなこと」
そう言って。おもむろに立ち上がり、ゆったりとした足取りで僕の方へ向かってきた。僕はそのとき椅子に座って勉強をしていて、近づいてくる彼女の姿をまたジロジロと見てしまった。
「おそらく貴方は、日本の教師の質がどうだとかそういうことを考えていたのでしょうけど、私からすれば学校なんて友達を作る場所なのだから、それを邪魔さえしなければどうでもいいの」
そう言って、僕のノートの上に彼女は手を置いて、僕の顔に、顔を近づけてきた。「そんなことよりね。私にとって大事なのは、自分のことなの。他人の人生なんてどうでもいいわぁ。本当に興味無いんですもの。私ね、起業、することにしたわ」
顔が近い。息遣いが。息遣いが直に聞こえる。
「あっ。……え? き、起業?」
「えぇ、起業。面白そうでしょ? 他人の人生なんかよりよっぽど」
そう言いながら彼女は、遂に足まで机の上に乗せ始めた。右足、左足と机の上に乗せ、机の上に両足を投げ出し、僕から見れば横向きに座っている。
横向きに座っているので、彼女の耳が真正面にある。この人は、耳まで綺麗だ。
「でもねぇ。私、ちょっと苦手なことがあるのよ。ムチ、っていう人の集め方は出来るのだけど、アメ、っていう人の集め方、苦手だわぁ」
放っぽり出している両の足の、片足だけを折って。そして彼女は顔を天に向けた。
「だからね。私、貴方にちょっとお願いしたいことがあるのよ。これは恐らく、私が知る限りでは貴方が一番適任だと思うから」
すると彼女は、足はそのままで上半身を捻り、顔を僕の方に向けた。先程と同じ様に顔を僕の顔に近づけ、僕の顎に、下から片手をあてた。
「私の会社で、働かない? 私が出来ないことを貴方なら出来る。穴を貴方なら埋められる。貴方に埋めて欲しいのよ」
なにが、アメという人の集め方は苦手、だろうか。君が得意だというムチの人集めは、僕にとっては思いっきりアメだ。
「…………」
返事など決まっている。この人は僕にとって、何よりのカリスマで。その人の右腕として働けるなら、僕にとってそれほど幸福な、人生の在り方は無いのだから。
僕は、返事をした。ただ、そこで首を頷いたり言葉で肯定するなら味気という物が無いので。
そっと顔を彼女に近づけることで、僕は彼女に返事をした。
ああ、君は。本当にずるい人だ。
ああ、貴方って何てずるい人なのかしら。
「……大好きよ」
私は、少し温かさが残る唇から、そう、発した。
鏡花水月 鵙の頭 @NoZooMe
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