第11話 「ありがとう」と「よろしく」
ライブが終わった直後からSNSを初めとしたネットでは、たくさんのコメントが行き来していた。
『ひえ〜! イケメンがたくさん……目の保養だ……♡♡』
『彼女にしてくださーい!!』
『なんでそんなにドラム叩けるんすかー?』
『顔面偏差値独り占めするなー! 笑』
こんなコメントが続出した。
SNSでは、
『#〇件』
『#流レ星アオ』
『#日高空』
というハッシュタグがあった。
ライブ後はいつもこんな感じで、二人の名前と〇件の名前がトレンドに入ることもある。滅多にないが。
たくさんの目に新しく飛び込んできた、新しい言葉が全国民、いや、全世界の人々の心を揺らした。
『#夜桜星』
『#新歌い手』
——
「なっ、すごいだろ?」
水希と風斗が、旭日家から奈坂家に電話をかけていた。
日菜は受話器を片手にスマホを覗く。
一日で再生回数がぐんと伸びた。昨日、寝る前で、もう五千回もあったのに、一晩で万までいっている。
「面白いじゃんか、これ。」
ボソリと独り言のように日菜がつぶやく。
その横を、優美が通った。
優美はちらりと日菜の方を向き、すぐに視線を戻す。
日菜は話に夢中で、その視線に気づかなかった。
「でしょ? 僕もこれが楽しくて続けてるんだよね。」
癖になってしょうがないよ〜、と目を閉じて水希はふっと笑った。
「んじゃあ、まあ、今日からよろしくな。星。」
「〇件へようこそ、星。」
日菜は一瞬、目を見開いたが、すぐに微笑む。
「こちらこそ。アオ、空。」
三人は電話越しでありながらも、互いの顔が見えた気がした。
一方、優美は悩んでいた。
今日は午前中だけの診療で、一時前には帰ってきていた。
やっぱりこの前、言いすぎたのかしら。
食洗機から皿を取り出し、棚に戻す。
「駅でピアノを弾いてきたらどうかしら。」
外に出て欲しい。本当にそれだけの思いで言ったみた。自分でもびっくりするくらい、短なる思いつきだった。
なのに、日菜は本気にした。本当にピアノを弾きに行った。
自分の意思で。
あの時はすごく、嬉しかった。
けど、最近あれが最善だったとは思えなくなってきた。
プレッシャーをかけているのでは無いか。嫌いだから家から追い出したと勘違いされてないだろうか。ずぅっと心のどこかに引っかかっていた。
優美は昨日使った大皿を持った。
昨日は忙しくって、透と日菜が夕飯を用意してくれたんだわ。そのあとすぐに、風斗くんのところに行くって、日菜は言ってた。透は透で、先輩と久しぶりに遊びに行くって言っていたのに。
すごく、美味しかった。
幸せの味がした。
二人が、変わったんだと思った。
けれど今考えてみると、私に元気づけてくれたのかもしれない。そう思うようになった。
本当のところは分からない。けど。
それを聞く日がいつか来たのなら、それを聞こうと優美は思った。でも、来るという保証はできない。
でもそれが、お互いの心が通じあった時なんだわ。
熱くなりかけた目頭を、親指でぎゅっとおさえこんだ。
——ガチャリ。
ドアが開いた。
日菜は優美のいるリビングに、ひょっこりと顔を見せる。
「電話、終わったのね。日菜。」
「……。」
優美はいつもとは違う様子で戻ってきた日菜に声をかけた。
日菜は優美の目をじっとみたまま、ドアのところから動かない。
……あら、なにかああったのかしら。
どうしたの、日菜。なにかあったの?
その言葉は、喉の所まで出たのに、止まった。
「はい、終わりました。」
「!!」
いつもは聞こえないくらいの声で言うのに、今日は普通に返してくれた。
小さい花が咲くように、微笑んでくれた。
それだけの小さなことに、優美は感動していた。手に持っていた皿を落としそうになる。
ああ。
やっぱり、あの時ああ言って良かった。
そんなことを優美が思っているとはつゆ知らず、またぺこんと頭を下げると日菜は階段をかけ上がった。
「っ……。」
優美はふらふらとイスにつく。
皿のことなんて、どうでもよくなった。
ありがとう、日菜。ありがとう。
優美は口もとをおさえた。そのピンクの目からは、とめどなく涙が溢れ出す。まるで、ストッパーが外れたかのように、ぶわっと泣いた。
今日くらいは、泣いてもいいよね? 健一くん。
「よかったな、日菜。」
ドアの影に隠れて一連のことを見ていた秀は、妹の成長っぷりに目を疑った。ただそれも一瞬。
一瞬だけ目元にキラリと光ったかと思えば、服の袖でぐっとそれを拭った。
さて、母さんが泣いている間、どこに行こうかな。
さっき脱いだばかりの靴をはき直して、秀は玄関の扉を開けた。
トントン、リズム良く扉を叩く。
はーい、と中から声が聞こえて、ガチャりと日菜は扉を開けた。
「透さん。」
一歩、部屋の中に踏み出し、ドアをしめる。
窓から不定期に入ってくる風が、その紺色の髪をなびかせた。
「なぁに、日菜。」
来年に控えた大学受験のため、机に向かっていたのであろう。ゆっくりと透は振り返った。
この前とは全く違った顔だった。
すごく、柔らかい表情。
笑っていた。こんなに優しい透さんの顔、初めて見たかもしれない。
「透さんのおけげで、動画の再生回数が上がったらしいんです。ありがとうございました。」
日菜は軽く頭を下げる。
「いや、ありがとうは俺の方だって。」
「え。」
「ボカロってさ、無機質でつまんないから、俺、嫌いだったんだよね。でも日菜が、ううん、夜桜星っていう、一人の人がさ、こう、上手く言えないんだけど。あっ、そう、命を吹きこんでるように聞こえた。だから、曲に変わって言うよ。ありがとう。」
まさか、礼を言われるとは思わなかった。
自分が好きでやったことで、手を伸ばせば届く距離にいる人を救えることが出来たのだったら。
手が届かない、どこか知らない遠くの人も助けられているのかな。
「じゃあ。」
日菜はにっこりと笑って、右手を握り、手を出した。
「お互い様、ですね。」
透は目を見開く。そしてふっと笑みを浮かべた。
「そうだね。」
透も右手を握り、日菜に手を伸ばした。
——コツン。
二人はお互いの拳をぶつけた。
日菜は、音楽を届ける側になる覚悟を。
透は、それを支えていく覚悟を。
互いに覚悟を決めた、証だった。
「「……。」」
互いに黙った。ただ、その熱い視線はそのままだった。
数秒間、二人は止まったまま、互いの視線を絡ませる。
「……ハハっ。」
「……ふはっ。」
二人の顔からは、さっき以上に笑顔がこぼれた。
ギギィと音を立てて、さらに開く窓の隙間から桜の花びらが一枚、舞い込んできた。
桜の花びらが舞う季節。よく晴れて、春の気配を漂わせる日、俺はある二人に出会った。
ふざけてて、空気が読めなくて、ちょっとイカれた、高身長の同級生。顔に変化を表さず、真面目そうな気配をしてるくせに、柔らかく物事を考えることの出来る、陰キャの同級生。
なんで普通じゃないのかなぁ。なんでこんなのに生まれたのかな。なんで血の繋がった家族がいないのかな。なんで。なんで、なんでなんで。
なんでが後を絶えない日々なんだ。いや、絶えなかった日々だった。
普通色に染まって、目立たないように生きることが、いいことなんだと思ってた。
刺激がなくて、でも普通でいたくて。自分でも、「自分」っていうモノが、なんなのかよく分からなかった。
でも、今は違う。
頭の中で渦を巻いていた「なんで」っていう呪いがやっと、解けた気がするんだ。
私だけじゃない。
きっと、いや、絶対に風斗と水希も吹っ切れたに違いない。
二人だけじゃないかも。
周りで私を支えてくれている人たちもそうなのかもしれない。
顔も名前も知らない、どこか遠くに住んでいる人も、俺の歌で肩の荷が少しでも軽くなるのなら。
私たちの音で、少しでも歩き出そうとしてくれる人がいるのなら。
たくさんの人に笑顔が咲きほこるのなら。
ならば。
「私、夜桜星は、これからもここで歌い続けます!」
その日の夜は、たくさんの星たちが自分を主張するかのように光っていて、明るくて、キラキラして、キレイな空だった。
○○の件についてご説明します。 希音命 @KineMei
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