第9話 スペシャルゲストという名の助っ人
「ここ?」
「そう。」
風斗はもらったカギでドアを開けた。
風斗を押しのけて水希は素早く部屋に入り、肩越しに日菜を見た。
その頬は、ほんのり赤く染って。
「ここで収録するから、奈坂は早く着替えてきて。そこの角まがったら、着替えれるとこあるから。」
水希に続くように風斗もそそくさと入っていった。
「入る時はノックしろよ。俺らも着替えるから。」
バンッ。
「う、うん……。」
目の前で勢いよくドアを閉められた日菜の返事は、無情にも空気の中に溶けていった。
「ここまでくるとアイツ、頭おかしいだろ。」
「そうだね。自分のこと、なんだと思ってるのかな。」
「ん〜……なんでも出来る完璧な存在?」
たしかに、と共感をだきながら、水希は自分のリュックから服を引っ張り出した。
奈坂は、確かになんでも出来る。
水希はカバンの上に今来ていたTシャツを放り投げた。
頭もいいし、音楽の才能もある。おまけに夜桜星の姿になったら、イケメンだし。いいとこ取りした人間だよね。あいつが女の人達の顔を見る度に、女の人達が顔を赤くする理由もわからなくもない。
でも、少しくらいその才能を分けてくれたっていいじゃない、ばぁか。
——
「おい〜、着替えてきたけど。おいったらおい。おいっ!ドアを開けろー!」
最後の方は叫んでやった。
ガチャガチャと乱暴にドアノブを揺らす。
可と思えば、私のほうに向かってガチャリと、急にドアが開く。
「もう入っていいよ。」
許可の声が聞こえた。
部屋に入ってドアを閉める。勝手にパタンと閉まるドアじゃなくて、人力でやらないといけないらしい。
うっ、何こドア、おっもい……。
……ガチャ。
重い防音ドアを全体重をかけてひっぱり、閉めた。
「はぁ、はぁ……。」
日菜は肩を上下させて息をする。
「これが重いって、どんなに非力なの。僕でも簡単に開けれるよ。」
水希は呆れ顔になる。
口はきっとへの字に曲がっていんだろう。
二人とも服装はさっきと変わっていた。
流レ星は黒く、首まである長そで外れ感満載のトレーナー。トレーナーの下からひざ上くらいの長さの白がのぞいている。首のところにある金具で、首周りを何となく止めてある。空色に近い薄色ジーンズの下に、黒いスニーカーがあった。そして紺色のフェイスマスクで目元しか見えなくなっていた。
いっぽう風斗は、ベージュの半袖パーカー、そしてダメージジーンズを身につけていた。黄土色の水希と色違いのスニーカーもはいている。そしてドラムを叩きやすいように、通気性のいいスポーツマスクで口元を隠している。
日菜も日菜で、ストリートピアノを弾くときと同じ服と、髪と目。
もはや三人とも、コスプレのような格好をしていた。
首には全員、ヘッドホンがぶら下がっている。
風斗が日菜の顔を覗き込む。
「ほんとにお前は男顔だよな〜。しかも笑顔も似合うとか最強じゃんか。」
「お褒めにいただき、光栄です。」
星はにっこりとほほえんだ。漫画でニコッと効果音がつくかのように。
ふざけて敬語も使ってやった。
黄土色の目が大きくなる。
そしてぼっと頬が赤く染まった。
数秒間静止していた風斗は、はっと我に返り、半開きになった口を手の甲で隠した。
「……やべ、これこそイケメンって文字が会う人間だわ。」
「ねぇ。」
「わっ。」
ボソリと日菜にとってはよくわからないことをつぶやいた風斗の後ろから、水希がひょっこりと顔を出す。
驚いた日菜は声を出した。
「ドラムの設置位置、あそこでいい?」
「位置はいいけど、場所が違う!」
これはあっちであれはこっち! あああああぁぁぁ、なんでわかんないかな〜! とほざく風斗を横目に、流レ星が星に近づく。
「あいつ、人のこと考えずにいろいろ言ってきたり、話しかけてくるから気をつけなよ。」
「あ、あぁ。」
「そういえば、伴奏は練習してきたの? 風斗から連絡がきたでしょ?」
「え……、そんなの来てないけど。」
「は?」
水希は顎に手をあてて、考える仕草をする。
そして、はぁ〜と大きなため息をついた。
「なにやってんのかな、風斗は……。もう琴音さんに言いつけていいと思う?」
「い……いいんじゃね?」
水希の目がぎらりと光った。肉食動物が、草食動物のターゲットに捕らえたような、そんな目を水希は風斗に向ける。
一瞬のできごとに怖気付いた日菜の肩は、大きく跳ね上がりそうだった。高いプライドで、何とか抑える。
「風斗〜、来たわよ〜。」
バダン!
星が気合いで何とか開けたドアを、琴音は躊躇なく開けた。
ヤバい……私、マジで力ないのかも……。
日菜の背筋に変な汗が伝ったことは、誰も知らない秘密ということにしておこう。
「ねーちゃん!」
「「琴音さん。」」
こんばんわ〜、三日ぶり〜、と琴音はアイドル気分で手を振りながらとびきりの笑顔で三人に近づいた。
「今日はね〜、特別にスペシャルゲストをお呼びしました!」
入っておいで〜、と犬を呼ぶかのように琴音はドアの方に向かって手招いた。
コツコツコツ。
大人のように、ゆっくり、ゆっくりとその人は歩を進める。
星たち四人の手前で止まると、ゆっくりと顔を上げた。
「……どうも。旭日先輩の後輩の、奈坂。今日の助っ人。よろしく。」
「この人が、今日のスペシャルゲストでーす!」
「!!」
奈坂と名乗った男に目を向けた。そう、奈坂と名乗った男に、だ。
奈坂は風斗、水希、それから日菜の順で顔を舐めまわすようにじろじろと見回した。
そして、
「あっ。」
日菜の方を見て、小さな悲鳴をもらした。
細くしていた目を大きく見開き、きゅっと結んでいたくちびるを少し開いた。
「先輩、この子……。」
「あら、気づいた? 今回、特別出演の夜桜星くんでーす!」
奈坂と呼ばれた男は琴音の言葉にも目を向けず、日菜の方に歩を進めた。
「こんな時間になにやってんの、日菜。」
そう、その人は。
「ちょっといろいろあって。でも、優美さんに許可は貰ってきてるんです、透さん。」
奈坂透さん。
藍色の髪がサラリと揺れた。屋内で、風なんかふいてないはずなのに。
「なにやってんのかな、母さんは……。ねぇ、日菜。今何時か知ってる?」
「……午後八時五十分です。」
「そうだよね。なんで外にいるの? 人と関わることは確かに大切だけど、中学生が夜に外を出歩くの、俺はどうかと思うんだけど。」
いかにも怒っていますという雰囲気で透は日菜にくってかかった。
「い、一回落ち着きましょ! ねっ。」
琴音は二人の間に割って入った。
そのまま、琴音は日菜の方に視線を動かした。
その瞳は、今の状況が上手く把握できてなく、どうすればいいかわからない、といった目だった。
「なぁ。」
ポンと日菜の方に手が乗った。
振り返ると、風斗と水希が日菜を見ていた。手は、風斗のものだった。
「あの……なんだっけ、なんとか坂っていう人。」
「奈坂透さん。」
「ああ、そうそう。知ってる人?」
「日菜は俺の義理の妹だけど、なにか文句ある? 旭日風斗くん。」
透は琴音の後ろから、風斗をフルネームで呼んだ。
さっきとはうってかわった透の雰囲気に、風斗はゴクリと唾を飲んだ。
まずい……。
日菜は知っていた。
前に透が家に招いた友達が、透の大切なパソコンに飲み物をこぼした。ぶっこぼしたといった方があっているんじゃないのかと言うほどの量をこぼしたときの、怖さを日菜は知っている。怖くなかったのかと聞かれると、そりゃあ怖い。ものすんごく怖い。私が何かしてしまったのではないかと身震いをしたが、あとから当の本人に聞いてみれば、ぶんぶんと手をちぎれそうなほどふって、あれは友達向けてだ、と頭を下げる勢いで弁解していた。
だから日菜は知ってるのだ。
透がフルネームで呼んだということは、相当怒ってるということを。
日菜はギギギ、と壊れた機械のように首を回し、透を見た。
「俺は今日、先輩に言われてきた。君たち〇件の配信の手伝いをして欲しいってね。なのに、君はどう? 時間を作ってきてる俺の名前も覚えられないわけ? 先輩が自分のためじゃなくて、弟のためにせっかく俺と話しを結びつけたんだよ? なのに、そんな態度をとるのはどうかと思うんだけど。」
一瞬たりとも空気を乱さず、一息に透は言った。
ここまで追い詰められると、気まずくなる。
風斗はうつむき、
「……すいません。」
と、いった。水希も、なんだかバツが悪そうな顔になった。
「次から気をつけてよね。」
「……はい。」
なおもうつむいたまま、風斗は返事を返した。
透はちらりと風斗を見たあと、すぐに視線を戻した。
「今のところは、曲をやるって先輩から聞いてる。『命ばっかり』……だっけ?」
「はい。そうです。」
「君は確か、アオくんだったよね。オッケー、わかったよ。」
透はさっきとはかけ離れて、優しい声で応えた。
さっきまで風斗と水希だけを射ていた視線は、日菜の瞳も射る。
でも、整った顔はさっきと変わらず、ピクリとも動いていない。
「九時ピッタリから生配信スタートだから。それまでのあと十分は、三人の好きにすればいい。ギリギリまで練習しようが、ケアをしようが、くっちゃべってても君たちの自由だよ。」
それだけを残して、透は日菜の横をすり抜けるように通りすぎて、ドアの奥へ吸い込まれるようにどこかへ行った。
「風斗、あんまり失礼なことはダメよ。名前もしっかり覚えなきゃ。それからね、元気よく返事をして……。」
「ちょっと待った、ねーちゃん。俺っていつ、ねーちゃんの子供になったっけ。」
「? 違うわよ。風斗は私の弟で、たまに変な方向に行っちゃうちょっと変わった子で……。」
琴音は風斗の特徴を指折り数え始めた。
「あぁー! 違う違う! というかねーちゃん! 何こいつらに吹き込んでんだよっ!」
顔を少し紅に染め、実の姉である琴音に言い寄る風斗の姿が、普通の家族というふうに感じ、嫉妬する日菜は常人か。
きっと常人ではないだろう。
常人ならば、ウザいと思うのだろう。
ははっ。
何が普通で、何が異常なのか。この三人とといるだけでよくわかんなってきたじゃんか。
「仲良いよね。あの二人。」
日菜の肩が少しはねる。
「……そうだね。」
回想につかりすぎた。
水希にしゃべりかけられて、間が大きく空く。
急いで返事を返した日菜は内心少し焦ったが、水希はそこまで気にしてなかった。よかった、なんとかなったっぽい。ふう、と日菜は胸を撫で下ろした。
「さて、伴奏はどうする? って言っても、今から練習じゃ間に合わないか。」
日菜は少し考える素振りを見せると、顎に手を当てたまま、水希の顔を見上げた。
そして、
「いや、間に合う。間に合わせる。」
日菜はにっと笑った。
「?! さすがの天才ピアニスト(夜桜星)でも無理があるんじゃない?」
いつもはあんなに細まっている流レ星の目が、こぼれ落ちそうなくらい見開かれる。
「じゃあ、いまから練習すれば音源を取れるんじゃ。」
「それはダメよ。」
水希の話しを塞ぎ、高い声が聞こえた。声のした方を振り返ると、今の今まで言い合いをしていた琴音が見ていた。
風斗は見たこともないくらい真剣な目をして、ドラムと向き合っている。
「音源ならもう風斗が作ってあるから、心配はしなくていいの。それはいいとしてね、問題は歌よ。」
「歌?」
「あ〜……。」
水希は妙に納得した顔つきになった。
いっぽう日菜は、なぜここでその話が出てくるのか訳が分からなかった。
そんな日菜の気持ちがわかったのか、そうよね、と琴音はつぶやく。
そして、さっきまでの真面目な顔とはかけ離れた、最初に会った時のような笑顔になった。
「合唱とかで歌うみたいにね、全部裏声って訳じゃないのよ。星くんの声なら全然いけるとは思うんだけど……。」
「だけど?」
琴音が焦らすように言葉を切る。
日菜はお預けをくらった犬のように、先を急いだ。
「やっぱりね、ぶっつけ本番ってわけにも行かないのよ。」
「と、言うと?」
あっ、何勝手にきいてるの明星、と日菜は言おうと口を開いたのもつかの間。本人の口からちゃんと聞いとかないとだし、とかなんとか言い出して、気づけば琴音が口を開くところだった。
「……悪いんだけど、ピアノを練習している時間がないの。」
すごく、琴音さんから申し訳なさそうな雰囲気が出る。
空気を読むのは比較的なれている日菜は、傷口に塩を塗るようなことはやめた方がいいよね、と考えた。
「……わかりました。大丈夫です、早く上手くなってみせますよ。」
いたずらっぽくてへ、と日菜は舌を少し出して笑って見せた。
そう、と安心したように琴音は胸を撫で下ろした。
あぁ、うちのバカ弟と交換したいくらいいい子だわ、星くん! と思ったのは、琴音だけの秘密。
「じゃあ、練習開始!」
「はい!」
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