第23話 亥———猪ノ叉佐助

「———さて」


 パチンッ!

 いきなり指を離されたので、勢いよくユルギの頬が戻る。

 痛い……。


「本題に入ろうか。この施設の部屋を使わせてほしいんでしょ? いいよ、別に。猪ノ叉いのまたが使っている部屋。今日明日はあんたたちが使っていいから」

「ひのまた?」


 また———知らない名前が出た。

 痛む頬を抑えながらの発言だったので、若干ろれつが回っていない。

 ヘルガはすぐには応えずに、また、ユルギにいたずらっ子のような笑みを浮かべた。


猪ノ叉佐助いのまたさすけ。彼女もこの〝ファミリー〟の一員でこの一階下の2年1組を使っている」

「住人の人に何も言ってないですけど……いいんですか?」

「いいのいいの。あいつもこの部屋で寝泊まりすればいいんだし、それに———本人はここにいるから」

「え———⁉」


 ヘルガの背後に———人影がある。


「…………ども」


 黒ずくめの忍び装束に———額当て。それに口元も黒い布で覆い、手甲に脛当てと完全装備の女の人。

髪をひもでくくり一つ結びの状態にしているのもそれっぽい。


 ————忍者だ。


 完璧な———忍者がそこにいた。

 腕を組んで、ユルギたちから見て横向きに立っており、かなりクールな雰囲気を携えている。


「ね? 猪ノ叉いるでしょ? ほら、挨拶」

「……さ、さっき……した」


 違う。 

 彼女はクールぶっているんじゃない。

 極端な人見知りなのだ。

 顔を真っ赤にしてヘルガに小突かれている。


「猪ノ叉さん。よろしくお願いします。すいません部屋を使わせていただきます!」


「………………………………………………………………………………………ぅん」


 声はやっぱり小さい。

 耳を澄ませないと聞き取れない。


「………………………………………………………………………………でいい」

「え?」


 何か言っている。

 耳に手を当てて、聞き返す。


「………………………………………………………………け! で、いい……」

「……え?」


 本当に小さい。

 全然何言ってるのか聞き取れない。


「佐助で! ……いい」 


 焦れた様に両手を振り下ろし、目を閉じて顔を真っ赤な状態のまま、言う。

 猪ノ叉にしては、頑張って精一杯の大きな声を出したのだろう。

 それでも普通の人間の普段とあまり変わらない声量だが。


「あ、はい……でも、佐助って男の人の名前ですよね? 本名なんですか?」

「本名でもあるし、そうでもないともいえる」


 声が小さい猪ノ叉に変わって、ヘルガが説明をする。


「猪ノ叉家は戦国時代から続く忍者の家系。代々当主は佐助の名前を継ぐ決まりになっていて、十四を迎えて元服し、子供の頃に呼ばれていた名を捨てる。まぁ、古代の由緒ある家はどこでもそういう〝名を継ぐ〟っていう慣習はあるし、それが猪ノ叉家はまだ残っているってこと———それだけだよ」

「じゃあ———本物の忍者ってことじゃないですか! 凄いですね!」

「……………………………………………………………………………………ッ!」


 猪ノ叉は照れて頭を掻いている。


「ものすごい人見知りだけど、頼れる奴で昨日起きたことを全部教えてくれたよ。失敗したんだって? フェニックス」

「フンッ! うるせえにゃ」

「大体は予想していたけど、こんなに早いとは思わなかった。それに負けたのに一緒に行動するとも———思ってなかった」

「仕方ないにゃ。私は不死身だから見張ってないと不安なんだと」


 肩をすくめ、首輪を見せつけるイオ。


「なるほどね。『友は近くに置け、敵はもっと近くに置け』ってやつか」

「何それ? 名言っぽい。ヘルガの言葉かにゃ?」

「知らん、確かシェイクスピアとかそこらへんの言葉」

「ほぇ~……ヘルガさんって頭いいんですね。もしかして飛び級で大学と言ったりしてたんですか?」

「行ってないよ。行くわけがない。必要な時に人に教えてもらっただけ。学校か……私からすれば理解できないな。知識なんて実践じゃないと見につかないのに。あんな教室に決められた時間に集められて、ただ話を聞くだけなんて。時間を無駄にしている」

「ハハ……」


 ユルギが乾いた笑いを漏らす。

 本当に同意見だ。そう———顔に書いてある。

 イオはユルギの顔をチラリと見つめ、


「何言ってるにゃ。こんな場所に住んでおきながら」


 今いる空間は高級ホテルの一室の様だが、改装しているだけで元々はただの教室だ。

 そしてここは———学校だ。


「———ここが効率が良かったんだよ。私ら三人で身を寄せ合って住むことにきめたからさ」

「まぁ、部屋が多いからアパートみたいに使えるみたいにゃれども」

「管理人に空調を設置してもらったのは二部屋しかないから、他の部屋は灼熱地獄だぞ?」

「———使えにゃいけれども」


 二部屋———?

 ここと猪ノ叉が使っているこの下の部屋と……。

 ユルギは視線をミノタウロスに向ける。


「あ、ボクは空調とかそういうのはなくて大丈夫な人間だから」

「ほぇ~……すごい、まだ七月ですし、ここ沖縄に近い島だから40度近くいきますよ?」

「あぁ……大丈夫、僕そういうの自分で何とかできるから」

「心頭滅却すれば……ってやつですか?」

「うん……多分そう」


 曖昧にミノタウロスが同意したところで————、ヘルガがパンッと手を叩く。


「じゃ、さっそく猪を頂こうか。客人も一緒に席に着いてくれ! 今夜は鍋パーティだ!」

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