第二十章:薬師の異変編
第320話:独り言
ホラリ島から帰還したセネカたちは、しばしの休暇を取ることにした。
起きたことの整理や次の旅の準備をする必要もあったけれど、まずは目的もなく休むのも良いのではないかという話になったのだった。
とりあえず十日間は必要なこと以外には手をつけず、王都をまわったり、近場の観光をしたりと余暇を楽しむ空気になった。
セネカは金級に昇格した。せっかくだからとみんなに声をかけて、高級な料理屋に出かけてみたりした。身だしなみや作法は問題なかったのだけれど、肩肘を張らなくてはならなかったし、値段が十倍になってもその分美味しさが上がるわけでもなくて、もういいかなと思ってしまった。
やっぱり自分たちにはこれが合っているねと、王立冒険者学校時代によく通ったパン屋『パンドォル』に行って、またハマったりしていた。
加えて果物や野菜、それに肉も自分たちで採って処理をした方が美味しいこともあった。意味もなく森に出かけてみんなでご飯を食べたりもしたけれど、今やらなくても良いとこだと気がついて、結局王都の大衆食堂をまわっている。
時間があるということで、マイオルの思いつきでプラウティアとガイアも教会でレベルの鑑定をしてもらった。
つい最近までレベル2だったはずのプラウティアがレベル4になっていたことに気がついて教会の人たちは目を剥いたと聞いて、セネカは少し愉快な気持ちになった。
教会は今、教皇が退位を表明したことで怪物たちが渦巻く魔境と化しているらしいので、セネカたちはそっと距離を置いた。
ルキウスも関わらないようにしている。すごく元気なグラディウスが現れて「任せておけ」と楽しそうな様子だったので問題ないだろうと考えていた。
そんなグラディウスから聞いたのだが、ゼノンと共に出かけたアッタロスたちの行方が分からなくなっているらしい。白金級が三人に金級が二人、全員レベル5のパーティに間違いがあるとは思えないけれど、何かが起きているのかもしれないと王国やギルドは調査を開始したらしかった。
セネカたちも多少は心配しているけれど、むしろ龍や災厄に関わる何かの情報を得て帰ってくるのではないかと考えている。マイオルは早く帰ってこないかとしらせを待っていた。
そんな風に毎日を過ごしているうちに『羅針盤』も冒険を終えて王都に帰ってきたと聞いた。せっかくだから一緒に修行と遊びをしようと会いに行くと、ニーナたちの顔つきが変わっていた。
ニーナたちは樹龍の騒動を経て、修行にさらに身が入るようになったようだった。ただ少し追い込み過ぎたので、しばらくはセネカたちと同様に休養するという話だった。
ファビウスと約束をして、いそいそと出かけてゆくプラウティアのことをみんな微笑ましく見ていた。
幸せそうなプラウティアを見たマイオルに「セネカとルキウスが恋人なのを忘れていたわ」と言われて、セネカは何だか笑ってしまった。
その話題が来るのならと、マイオルがモフとガイアのことに気がついていなかったことを突いたら、とても微妙な顔をしていたのが印象的だ。
そんな風にして『月下の誓い』のみんなは平和に過ごしているのだけれど、セネカにはひとつだけ気掛かりなことがあった。
最近キトの様子がおかしいのだ。
◆
セネカはパーティみんなで住んでいる家の中で息を潜めている。
全力の潜伏なので手練れの戦士でもない限りは、ばれないはずだ。
横にいるのはルキウスとマイオルだ。二人とも同じように静かにしているけれど、セネカほどは真剣ではなかった。セネカは二人にこっそりとキトのことを相談したのだけれど、信じてくれなかったのだ。
二人は口を揃えて「キトが変だなんて」とか、「セネカの方が変になったんじゃないの?」と言い始めた。こちらが疑われて熱がないか調べられたほどだ。セネカは日頃の行いの重要さを改めて考えさせられた。
そんな様子で二人がどうしても信じなかったので、じゃあ証拠を見せようとキトの部屋の前で張っているのだ。
部屋の中ではキトがすり鉢か何かで素材を砕いている音がする。心地の良い拍子に少しだけ眠くなるけれど、セネカは意識をしっかりと保った。
音が止まったり、コポコポという音に変わったりしてもそれ以外のことに変化はなくて、マイオルが飽き始めていると感じてから事態が動いた。
「――そうだよ。今日は新しい薬を作っているの」
始まったと思い、セネカは二人の顔を見た。二人ともかなり驚いているのが分かる。
全ての言葉が聞き取れるわけではないけれど、キトは今日の作業の内容を話している。部屋の中には誰もいないはずだけれど、独り言にしては大きいし、内容も明瞭だ。
これまでにこんなことはなくて、キトの声が聞こえてくるなんてことはなかった。
どうだろうかと思い二人を見ていると、マイオルが居間に戻ろうと合図をした。
セネカはルキウスと同時に頷き、できる限り静かにその場を去った。
◆
「セネカ、謝るよ。僕はセネカがついに幻覚を見たんじゃないかと思ったけれど、そんなことはなかった。キトのことには動揺したけれど、どこか安心している自分もいるよ」
三人しかいない居間に戻ると、ルキウスがそう言って丁寧に頭を下げた。
「あたしも謝るわ。ついに頭の中が針と糸だけになっちゃったかと思って心配したけれど、そんなことはなかったわね」
「マイオルのは悪口じゃない?」
マイオルは肩をすくめた。
「まぁ冗談はさておきだけど、確かに独り言を言っていたね」
「そうね」
二人はおどけていた顔を少し戻した。
「セネカが心配な気持ちも分かるわ。キトに限っては、あたしたちに知らせずに何かを飼っているということもなさそうだしね」
「そうだね、僕もそう思うよ。キトにしては確かに変だ」
セネカはうんうんうんと頷いた。
「少し心配をかけ過ぎたかしら」
マイオルが言った。
「樹龍の時からずっと詰めていたし、気苦労が絶えなかったかな……」
ルキウスが言った。
セネカはその通りだと強く頷いた。
「誰の気苦労が多いのかな」
セネカが呟くと、マイオルとルキウスは椅子からほんの少しだけ浮き上がった。
そしてマイオルが気の毒そうな顔をして、「もしかして自覚がないの?」と言った。
セネカはまずい気がしたけれど、首を捻るしかなかった。
「なんのせいかは分からないけれど、もしパーティの人たちに対する気苦労が原因だとしたら一番はセネカでしょうね」
「二番目は僕だろうなぁ……」
「プラウティアじゃないの?」
大陸の命運を背負わされて、しかも命の危険まであったのだ。流石にプラウティアの方が心配をかけたはずだとセネカは考えた。
「プラウティアのことも心配したと思うけれど、少し時間が経っているし、気苦労と言えばあんたたちでしょ」
マイオルがそう言うのに合わせて、ルキウスは背筋を正しつつも俯いた。
「あたしたちがホラリ島にいる時もセネカが暴れたって聞いたわよ? その後始末をしたのはキトでしょう?」
「もちろんそれはそうだけれど……」
「何をしたんだっけ?」
「そ、装備を整えてギルドに乗り込みました。その後も少しだけ威嚇を……」
セネカも背筋を正した。
あの時は仕方がなかったのだと言いたいが、黙っておくのが良いとセネカも学んでいる。
「まぁ向こうの子もちょっと変わっていたし、ギルドに貸しを作れたから良いけどね。でも、キトは疲れちゃったのかもしれないわよ?」
「それは、そうかも……」
「せっかくだし、今日は食事にでも誘ったら? みんなで行くのもいいけれど、たまにはキトとゆっくり話すのも良いんじゃない?」
「うん……。そうしてみようかな」
確かに気苦労をかけ過ぎていたように感じてきた。
「それじゃあ、今日は誘ってみるね」
「うん。それにキトが部屋を離れているのなら、動物がいないか【探知】してあげるわよ。まぁ本当にいたらもう気がついているはずだけど、念のためね」
「うん!」
セネカは立ち上がってマイオルに抱きついた。
「ルキウスも食事に行く?」
「うん。僕も一緒に労おうかな」
「それが良いかもね」
セネカは「マイオルも結構迷惑かけているような」と言いたくなったけれど、ぐっと言葉を飲み込んだ。
よく我慢したと自分の成長を讃える気持ちが湧いてくる。
「それじゃあ、ちょっと声をかけてくるね」
そんな風に話してからキトを誘うと快諾してくれた。
食事の最中もキトはご機嫌で、そこまで消耗しているようには見えなかった。 この前のことや日頃の感謝をルキウスと主に伝えたけれど、キトはいつもと変わらない様子だった。
そして帰宅してからマイオルに聞いたが、やはりキトが何かを飼い始めたという訳でもなさそうだった。
それなのにキトの独り言は止まらなかった。
次の日も、その次の日も……。
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