第315話:龍からの言葉
セネカ達が魔界から帰ってきて十五日が経った。
セネカはいまザス山の山頂にいる。『月下の誓い』の全員とグラードン、カエリアがいて、みんなで二柱の龍を囲っている。
ガイアとモフが魔力を供給しているときに龍たちがふわふわと浮き上がり、山頂に向かって飛び始めたのだ。それを見たグラードンが「覚醒なさる」と言い、いまの状況になっている。
セネカが山頂に来るのは久しぶりだった。思い返せばという程度だけれど、くじ引きで決める巡回当番も山の下側になることが多かった。
いまはウミウシの姿だが、龍たちはふよふよと山頂に降り立ち、少し離れた位置で揺れ始めた。
グラードンはすかさず前に飛び出し、でんぐり返しでもしそうなくらいに頭を地面に擦り付け始めた。
まず動きを見せたのは赤ウミウシの方だった。エラがゆらめくように広がり、じりじりと変化してゆく。そしてついに体全体が炎に変わり、ウミウシの形がなくなっていった。
炎はどんどん大きくなり、細長く緩くまとまり始める。
顔や腕のように見える部分もある。
炎が龍を
今度は黄色ウミウシの方が変わり始めた。トゲトゲしていたエラが実体を薄め、光を放つ。
ぱちぱちと弾けるような音が鳴り、雷が巨大化してゆく。
頭の奥底に響く音が鳴ったかと思えばすぐに収まり、安定しはじめた。
この二柱の龍は双子だと聞いていた。ウミウシの時からまぁ似ているかもしれないと感じていたけれど、セネカはその意味をやっと理解した。
どちらの体躯にも明確な境界線はなくて、常に動きがある。
激しくはなくて穏やかだけれど、油断すればすぐさま牙を剥いてくるような怖さがあった。
あと何よりも顔がそっくりだった。
ふと横を見るとカエリアが軽く胸を抑えていた。横にはガイアがついているし、顔色も悪くはない。
二柱の龍がいる。かなりの威圧を感じるけれど、潜むような気配もある。
セネカは龍たちがカエリアに気を遣ったように感じた。
『時は満ちた』
『機は熟した』
二つの声が聞こえてきた。
龍のものに違いないが、とても似ていてどちらが発したものかセネカには分からなかった。
『大義だ』
『
グラードンが「ははー」と言いながらさらに頭を下げた。そろそろ穴ができそうだ。
『ガイアに加護を与える』
『モフに加護を与える』
ガイアと言ったのが赤い方なのだろうけれど、やはり区別がつかなかった。
ガイアとモフはゆっくりとそれぞれの龍のもとに進んだ。
『青き龍の加護は仮のものだ。剥がしてしまう』
雷龍はモフに身体を巻きつけ始めた。
『賢き龍は先を読み、印をつけたのだ。ここにいずれモフが導かれるように』
龍の体でモフのことが見えなくなった。そして、黄色く輝いていた龍の体は白を経て紫になった。
『青き龍は汎用を好む。モフを優先したのはそのためだろう』
赤き龍が動き始めた。
大きな口を開けて素早い動きでガイアを飲み込む。
すると炎は何かべっとりとしたものに変化し、ガイアを完全に覆った。
セネカが見たこともない物体だった。雷龍は雷龍なのに、なぜ赤き龍は火龍や炎龍ではないのかと思っていたけれど、もしかしたらこういうところに所以があるのかもしれない。
『セネカとルキウスは月の加護を持つ。それは強く、龍には関与できない。二人が龍の加護を得ることはない』
セネカはルキウスと顔を見合わせた。
唐突に話を振られて、セネカはちょっと混乱した。けれど話は明確だった。
正直ちょっとだけ龍の加護が欲しいと思ってはいたので、残念だ。本当にちょっぴりだけれど。
『月の加護に勝る加護はない』
そんな様子を見られているのか慰めの言葉が出てきた。
『その加護は根深く刻まれている。余程初期に得たのだな』
『二人のそれはスキルを方向づけている。だが、大きく育てたのは努力だ』
「ねぇ、ルキウス。何だかすごく親切じゃない?」
「そうだよねぇ……」
セネカは正直身構えていた。
どうせ樹龍の時のような問答が始まると考えていたので、ある意味拍子抜けである。
プラウティアの方を見つめると、目をぱちぱちしていた。
『青は語らない』
『老木は人に合わせない』
老木とは樹龍のことだろうか。
もう一度プラウティアを見ると、今度は遠い目をしていた。
『青はマイオルのような者を好む』
『だが、加護を与えるのは珍しい。人の言葉を借りれば引きこもりだからだ』
セネカは笑いそうになるのを堪えた。
マイオルは黙って首を傾げている。
龍たちとの軽妙なやり取りを楽しんでいると、紫電に包まれていたモフの姿が見えてきた。
雷龍はそのままモフから離れ、元の場所に戻った。
「驚くほど何にも変わらない……」
迫真の顔で呟くモフを見て、ルキウスが笑っている。
モフは横にある赤いべっとりとしたものを見てギョッとした顔になった。何も知らなければびっくりするだろう。
『グラードンの加護を強化する』
「有難き幸せ」
雷龍は、今度は地面に頭をめり込ませたグラードンに巻き付いた。そして先ほどと同じように色を変え、紫に光り始めた。
『老木は難しく語る』
『双子龍は不定形だ。形がないのが形。そう言うだろう』
『だが、火や雷に決まった形がないのは当然だ。それを複雑に伝える必要はない』
龍たちは樹龍に思うところがあるようだ。
セネカは龍というのは分かりづらく話すのが当たり前なのだと思っていたけれど、そうではなさそうだった。
そんな風に話を聞いていると、ガイアを覆っていた赤が動き出し、段々と燃え上がってから龍の形になった。
「目をつぶっていても視界が真っ赤だった……」
ガイアは少しふらついている。
目を押さえているが、眩しかったのだろうか。
興味津々で色々観察していると雷龍もグラードンから離れ、全員が元の場所に戻った。
『それでは龍の言葉を伝える』
『島に来る者たちから学んだ言葉だ。偏りを許せ』
二柱の龍はまばゆく輝いた。
セネカは目を細めながら覚悟を決めた。
『龍の時代が始まった。上級龍は目覚め、世界の安寧のために動き出す』
『セネカとルキウスは同じ月の加護を持つ白龍を探せ。今も世界のどこかで戦っている』
それは樹龍から聞いた話を補うようなものだった。聞いたけれど理解できなかった事柄にしっかり説明がついている。
龍は輝きを増した。
『数年後に訪れる災厄の正体は、龍の成れの果てだ』
セネカは目を見開いた。
いま龍が言ったのは災厄の根源たる『黒きもの』のことだろうか……。
『月の加護を保持していた黒龍はその使命を終え、龍としての力を失った』
『しかし、膨らみ続ける力はすでに『機構』を危機に晒している』
『災厄が訪れる。黒きものは龍だった』
胸が痺れ、うまく呼吸ができなくなる。
なぜなのかはセネカにも分からなかった。
全ての意識を龍の言葉に集中する。
これは、これからに関わる重要な話だ。
『いまはその権能で潜み、手出しができぬ』
『黒龍は魔界に繋がる悪いものを潰していた。このままでは抑えきれなくなる』
『扉が頻発する』
『予兆が現れる』
セネカの頭は破裂しそうだった。
『月の子供、そしてその仲間たち』
『多くの龍が加護を与えた。だが選ぶのは其方たちだ』
『しかしできれば龍に力を貸して欲しい』
『この選択をすることが双子龍からの試練となる。戦うも良いだろう。人生を楽しむも良いだろう』
『だが、龍は戦って欲しいと考えている』
『龍は人に縋っているのかもしれない』
龍の気持ちが流れてくるようにセネカは感じた。
龍が求めていること。
自分がやりたいと思っていること。
それらが繋がることのようには感じる。
しかし、話が大きすぎるとも思った。
二柱の龍は輝きを保ったまま、優雅に浮き上がった。
『マイオル――』
低く響く声は荘厳だった。
「あ、あたし?」
呼びかけられたマイオルは驚きながら龍を見つめる。
『龍を倒して英雄になれ』
『龍に夢を見せてくれ』
それはマイオルの夢の話だった。
樹龍に語った大言のことだった。
『プラウティア、祝福の力で闇を祓え』
『龍は其方を認めた』
眩しそうに龍を見つめるプラウティアのことをセネカは神々しいと感じた。
呪いを力に変え始めているのだと確信する気持ちが湧いてきた。
『モフ、矛盾を抱き、前へ進め』
『面白く、気ままに生きろ』
モフの顔は見えなかった。
けれど、蜂蜜色の髪の毛が優しく揺れていた。
『ガイア、遠回りを愛せ。冒険を求めよ』
『宝玉は其方の胸の中にある』
ガイアの頬から涙がこぼれ、淡く光るのが見えた。
ガイアの熱が高まったのだとセネカには分かった。
『ルキウス、其方の願いは月に届いた』
『大切なものを守れ。
そして龍はルキウスに語りかけた。
ルキウスの願い、力、夢、それらの成就が近いのかもしれないとセネカは感じた。
だけど、それさえあれば良いのかは分からなかった。
『セネカ、両親は其方の中に繋がれている』
『大切なものを守り、生き残れ』
龍の言葉を聞いて、セネカは思わずスキルを発動した。
ここにいるみんな、そして龍たちを糸で繋いだ。
そしてそれら全てと世界を【縫って】みた。
もはや薄れてしまっている両親たちが、記憶の中で笑ったように感じた。
『グラードン、カエリアよ。時代は変わった。『機構』自体も変化の兆しを見せている』
『輝きを忘れるな』
グラードンはさらに頭を地面に擦り付け、カエリアは深々と頭を下げた。
『しばし休息を取る』
『何かあれば呼ぶが良い』
龍が発していた光は弱まり始めた。
『プラウティア、その種をこの地で使うことを許可する』
『樹龍の話を聞きたくば植えるが良い』
そう言った途端に二柱の龍は小さくなり、山頂の窪みに入って消えてしまった。
セネカは雲ひとつない空を見つめて、大きく息を吸った。
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