第296話:爆炎

 マイオルはこれまでにガイアの祖母カエリアの話をたくさん聞いてきた。


 冒険者らしく勇敢で前向きで、時に無理を通してしまうような豪胆さがあると感じていた。しかし、滞在しているという宿でグラードンの使者を名乗り、案内された場所にいたのは、非常に品の良い年配の女性だった。


「ガイアの仲間だね?」


 目は鋭かった。落ち着きのある様子から強者の雰囲気も出ているけれど、想像していた人物とはかなり違っているとマイオルは感じていた。


「『月下の誓い』のマイオルです。いつもガイアさんには助けられています」


 マイオルはこの宿の空気に合うように丁寧に挨拶をした。冒険者らしからぬ挨拶だろう。


「同じくプラウティア・ヘルバと申します」


 プラウティアも貴族としての礼をした。念のためそうした方が良いと考えたのだろう。


「そこまでかしこまる必要はないよ。私はただの婆さんだからね」


 カエリアはニッと笑った。髪は薄い金色をしている。少し白くなっているようにも感じるが若々しい見た目だ。


 ガイアの髪色は黒いが、祖母は金髪のようだった。


「グラードンの名前を使ったということは、無事に会えたんだね? それなのにここに二人しかいないというのだから相応の事態になっている」


 カエリアは落ち着いてそう話す。『爆炎』と呼ばれるほどの火魔法使いなのに、雰囲気は逆だ。


「貴方たち二人に緊張は見えるけれど焦りはない。強い魔物が現れて救援を求めにきたわけではなさそうだね」


 柔らかい目でこちらを見ながら推測を語っている。そういう部分は何となくガイアと同じな気がした。


 この場所は宿の中でも静かな場所だ。カエリアは先ほどスキルを使ったのだけれど、そのおかげでマイオルは【探知】しにくくなった。盗聴などの防止目的だろうが、どうやっているのかは分からなかった。


「赤き龍と雷龍は目覚めたのかい? 少し事情を教えておくれ」


「二柱の龍が目覚めて、ガイアともう一人の仲間のモフに懐きました。ガイアが赤き龍の方ですね」


 マイオルが言うと、カエリアは一瞬だけ目を見開いた。だが、すぐに元の様子に戻った。


「グラードンは何と言っていたんだい?」


「このままガイアたちと一緒に龍を守ると言っていました。そして二人に魔力を供給してほしいとも」


 カエリアは机にあったお茶を飲み干し、立ち上がった。


「あなたたち二人はこれから物資を調達するつもりだね? 私の分の食料も頼むよ。一般的な冒険者よりも三割は少なくて良い。婆さんだからね」


 自分で言っているわりにはかなり元気が良いとマイオルは感じた。


「好きな果物はありますか?」


 プラウティアが聞くと、カエリアは不敵な笑みを浮かべて言った。


「全部だねっ!」


 やっぱり聞いていた通りの人かもしれないなと思って、マイオルはつい笑ってしまった。





 買い出しを終えたマイオルたちは、カエリアと荷物を確認した後でザス山に入った。


 重い荷物を背負いながらもカエリアはしっかりした足取りで山を登っている。歩く音も小さいし、自然と周囲に注意を払う姿は間違いなく熟練の冒険者だ。もう現役ではないと聞いているけれど、五十年以上ある経験は伊達ではなさそうだ。


 アッタロスやレントゥルスを始めとした屈強な冒険者と共に行動するのも参考になるが、カエリアのような人の動きを見るのはとても良さそうだとマイオルは感じた。


 マイオル達は独学で突き進んできたことが多い。冒険者の階級のわりに経験が少ないのは仕方がないのだが、いずれ経験豊富な女性冒険者と行動を共にしたいと考えていたのだ。


「それにしてもこの小さなポーションは便利だねぇ」


 薬の素材を採取しようと立ち止まった時にカエリアが言った。


「誰がどれだけのポーションを持つのが良いかということをあまり考えなくて済む」


 カエリアはポーションを一雫手に出し、じっくりと眺めた後で舐め取った。苦味があるはずだけれど、カエリアは意に介していなさそうだ。


「味も良い。未熟な頃はお金を浮かせようと自分達でポーションを作ったものだけれど、効果がないわりに味も酷かった。こんな発明があるとはね」


 他にもいくつかの小さなポーションを取り出して、カエリアは舐めている。丁寧に作業しているのを見ると、単なる確認ではなさそうだ。


 ちなみに少し離れたところからはプラウティアの「よいしょ」という声が聞こえてくる。何か良い素材があったのかもしれない。


 マイオルがじっと見ているのに気がついたのかカエリアが教えてくれる。


「初めて使うものはこうして確認しておくのが良いんだよ。味もそうだけれど、粘性とか性状もね。それに瓶の強度や飲み口のことも分かっていた方が良い。みんな試し飲みくらいはするだろうけれど、年嵩の者ほど念入りに確かめるのさ」


 マイオル達も事前に効果を確認するようにはしているが、カエリアのやり方とは少し違う気がした。


「切羽詰まっている時にこれを飲めるかどうかが命に関わる。瓶は液が出やすいように作られているけれど、手の感触だけで中身が判別できるようにしても良いかもしれないね」


 カエリアは小さな瓶が入っている小物入れからポーションを手早く取り出し、口に含む動作を繰り返した。


 それはさりげない動作だったけれど、どこかに凄みがあるようにマイオルは感じた。


「物自体も使う技術も洗練されていくはずだけれどね」


 カエリアは微笑んで今度は水を口に含んだ。


「説教くさかったらすまないね。孫娘の仲間と冒険するのが存外楽しくて口が動くんだよ」


「いえ、話が聞けて嬉しいです」


 採取を終えたプラウティアが戻ってくるのが見える。


 マイオルは【探知】を発動した。ガイア達は山に入る時に確認した場所に留まっていた。


 龍たちはうまく探知できない。やはりそういう力を持っているのだろう。これが『機構』に働きかける力なのだろうかとマイオルは考えている。


 スキルの力で進行方向に鎧豚がいることが分かった。おそらく亜種で、一般的な種類よりも素早そうだ。


「この先に鎧豚がいそうですが避けますか?」


 そこまで強くない魔物なのでマイオルはどちらでも良いと思っていた。肉も美味しくはないので、食材にするか微妙なところだ。


 避けても良いかなと思っているとカエリアが答えた。


「私が戦おうか。目に入る距離になったら教えておくれ」


「分かりました」


 意外にもカエリアが戦うと言った。マイオルは鎧豚の方に歩き出す。


「マイオルが指揮官なんだろう? だったら私の力を見せておくのが良いのさ」


 カエリアは笑っている。マイオルが指揮官だとはっきりさせた方が良いという考えなのかもしれない。


 しばし歩くと鎧豚の姿がマイオルの目に入ってきた。方向を示すとカエリアが口を開いた。


「私にも見えたよ。あれは鎧豚で間違いないんだね?」


 マイオルは頷く。


「それじゃあ、少し燃やしてあげようかね。素材はいるかい?」


「必須ではありません。そんなに美味しくない魔物ですし……」


「じゃあ、今回は燃やしてしまおうかね」


 そう言ってカエリアは鎧豚の方に二、三歩進み、そこで立ち止まった。


 ここは山だ。木や草が生えていて、魔法を遮るものもある。鎧豚はかなり離れた場所にいるが、ここから魔法を使うつもりなのだろうか。


 上級冒険者はそれぞれが磨き上げた技を持っている。カエリアの技がどんなものであるのかマイオルは期待に胸を膨らませた。


 カエリアは左手を前に出し、魔力を身体に巡らせた。カエリアはかなり多くの魔力を保持しているのだが、それが脈動するように循環している。ガイアにとてもよく似た姿だが、荒々しさがある。


 マイオルは少しだけ嫌な予感を抱いた。


「邪魔なものがあるだろう? けれどそんなのは関係ないのさ」


 カエリアは『爆炎』と呼ばれている。まさか全てを燃やし尽くすつもりではないかとマイオルは焦る。


「そこで見てな」


 カエリアは楽しそうに笑い、凝縮した火の魔法を放った。


「えぇっ!」


 マイオルは思わず声を上げた。カエリアの魔法が単なる強力な火魔法に見えたからだ。周囲への配慮はなさそうに見える。


 圧縮された火の玉は真っ直ぐと鎧豚に向かい、着弾と同時に小さく破裂した。小規模だが爆発する様は『爆炎』の名に相応しい。


 爆発と共に発生した炎は鎧豚を包み込む。鎧豚はひとたまりもないだろうが、周り木々に燃え移ったら大変だ。


 どうやって延焼を防ごうかと考えていると一瞬にして火は消え、炭となった鎧豚だけが残っていた。


「えっ……?」


 威力も凄まじいが、マイオルが驚いたのは鎧豚の足元の草以外は全く燃えていなかったことだった。


 思わずカエリアを見ると不敵な笑みを浮かべていた。


「燃やしたいものだけ燃やせば良い。そうしたら思う存分に暴れられるだろう?」


 あぁ、この人はやっぱり『爆炎』だ。そう感じてマイオルは大きく息を吐いた。

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