第291話:呼ばれているような
ガイアはザス山を登っている。
マイオルが山頂付近で見つけた力の塊のようなもの、それが何かを見にゆくのだ。
あと少しでその場所だという地点についた時、マイオルは言った。
「まだ鮮明に見えないけれど、微かに動いてるから生き物だと思う」
それを聞いて、ガイアはなぜだか「やっぱり」と思った。
不可解な物体があると聞いた時から不思議とそれに惹きつけられていると感じていたのだが、それは自分が気になっているだけではなくて、向こうから呼ばれているような感覚でもあったのだ。
「危険だと思うがどうする?」
ガイアはそれを知りたいという欲求を抑えて言った。とても危険な生物の可能性がある。
「……みんなの意見を聞きたいわね」
しばし考えた後でマイオルがそう答えた。決断しかねているようだ。マイオルはモフの方を向いた。
「ねぇ、モフ。うまく表現できないんだけれど、なんだかふわつくような気がしない? あたしは青き龍の加護が反応しているように思うんだけれど」
「ふわつくとかは分からないけれど、呼ばれているような気がするんだよねぇ。これは加護なのかなぁ?」
マイオルとモフが言葉を交わしている。
何か感じるものがあったのは自分だけではなかったのかと感じながらガイアは話を追う。
「プラウティアは?」
「私も何か特別なものを感じるかな。脅威があるようには思わないけれど、ここに来て存在感が強まったかな」
樹龍の加護を持つプラウティアも違和感があるようだ。ふと気がつくと、ここにいるのは加護持ちばかりだった。
「わ、私も何か感じるんだ。モフくんと同じで何だか呼ばれているような……。だが、理性的には慎重に判断した方が良いとも考えている」
ガイアがそう言うとマイオルは腕を組んでじっと考え始めた。
「もう少し近づいてみましょうか。そうすれば双眼鏡で視認できるようになるはずよ」
ガイアは頷いた。ここまで近づいてもマイオルのスキルではよく分からないようなので、木に登って見るのは良いかもしれない。
モフとプラウティアも同意したので、四人は慎重に進むことにした。
マイオルの話によればそれはあまり大きくはなくて、精々指先から肘くらいまでの大きさみたいだった。
岩肌の少し窪んだところにひっそりと存在していて、濃密な力を拡散しているけれど、目立っていないように感じるらしい。
「あとね、多分だけれどそれは二つあるわ」
ガイアは息を呑んだ。普段であればなんてことはない木登りも、手の汗で滑りそうになる。
早くそれを確かめたい。
自分の目で確認したい。
そんな気持ちが湧いてくる。
そしてついに木を登りきったガイア達はそれを双眼鏡で見ることにした。
最初に見るのは当然場所が分かっているマイオルだ。
「あれは繭かしら……?」
隣にいたマイオルから双眼鏡が手渡された。
ガイアは早鐘のような鼓動の音を聞きながら双眼鏡を目に当てた。
マイオルの[視界共有]の像を手がかりにその場所を見る。
そこにあったのは確かに繭のようなものだった。繭は二つあり、螺旋を巻いているように見える。
どちらも淡い色だが、片方は赤っぽくて、もう一方は黄色っぽい。
「あれはなんだ……?」
疑問は尽きなかったが、ガイアはとりあえず横にいたプラウティアに双眼鏡を渡した。遠くを解像度良く見るための物はこれしか持ってきていなかったのが悔やまれる。
「繭のように見えるね」
プラウティアはすぐにモフに双眼鏡を送った。早くモフに見てもらった方が良いという判断なのだろう。
モフは双眼鏡をじっと覗いた後で言った。
「うーん。あの形はどこかで見たことがあるような気がするけれど思い出せないなぁ」
モフはこの中では一番動物に詳しい。ガイアが虫で、セネカが一般動物であるのに合わせて、最近は特殊な生き物の知識を蓄積しているようだった。
「繭と言ったら虫だと思うけれど、ガイアさんはどう?」
「あの形には心当たりはないな。艶があるから卵塊のようにも感じるが……」
うまく言葉にできないけれど、違和感のある形のようにガイアは思っていた。
「マイオル、もう少し近づいてみないか?」
見れば見るほど気になってしまう。もう少し情報がないと帰るに帰れない。
諦めが付かないという言葉が正しいかもしれないけれど、このまま終わらせることはガイアにはできなかった。
「そうね。見たことのない状況だし、ギルドに報告するにしてももう少し情報が欲しいわ」
マイオルの言葉に従って、順番に木を降りる。
時間が経つにつれて呼ばれるような感覚が強まってゆく。それは焦るようなものではなくて、故郷に帰るときのような落ち着きを含んだ感覚だ。
周囲に注意を払いながらガイアは進んでゆく。
ふと、みんなの顔を見ると、マイオルとプラウティアはいつも通りだったけれど、モフは複雑そうな顔をしていた。おおらかで穏やかなモフにしては珍しい表情だった。
モフと目が合う。どうしたら良いか分からなかったけれど、ガイアは深く頷いてみた。するとモフはニコッと笑ってまた前を向いた。
未知との出会いは楽しみであるけれど、怖さもある。だけどガイアは臆することなく足を前に出した。
「だいぶ近づいて来たわね。もう肉眼でも見ることができる」
木の陰に身を潜めつつ、しっかりと観察できる位置までやって来た。
長丁場になりそうだとガイアは感じていた。そもそもは祖母を探しに来たのだけれど、簡単に見つからなそうだと感じてここまで登ってきたのだ。
山頂付近の調査に夢中になっていたけれど、この場所であれば、山全体を【探知】できるかもしれない。
マイオルにそのことを話そうと思ったとき、モフが張り詰めた声で言った。
「繭が動いてる。マイオル、双眼鏡を貸して」
響かない声色だったけれど、緊急事態であることはすぐに分かった。ガイアはすぐにスリングショットを構え、魔法の準備も始める。
「やっぱり動いてる。何かが出てくるかもしれない……」
ガイアはゆっくりと長く息を吐きながら繭の方を見る。肉眼でもしっかりと確認できる。
表面上臨戦態勢に入ったけれど、心情的に戦う気にはなっていなかった。地元に帰るのに野営準備をしているようなチグハグさを感じる。
注意深く眺めていると繭の表面が揺らめき出した。虹のように模様が波打つのは構造色なのだろうか。
そして中央部分が膨らんだかと思えば、赤と黄の丸い何かが飛び出して来た。
「警戒して!」
マイオルの鋭い声に従い、ガイアは身を屈めていつでも走ることができるように準備する。スキルもすぐに発動できる。
丸く見えたそれらは空中でゆっくりと広がりぷかぷかと浮かびだした。
「……あれは
モフの声が聞こえてくる。
まだ距離があってよく見えないけれど、赤い方はエラやツノが炎のように揺らめき、黄色の方はトゲトゲした突起が広がり、パチパチと音を鳴らしている。
「確かにエラが広がったウミウシのように見えるな」
ガイアはそう呟いたけれど、すぐに違うものにも見えると感じた。
「いや、小さな龍のようにも見える……」
理由は分からないけれどそう思った。
気がつけばガイアはスキルの準備を止め、構えも解いていた。
モフと目が合う。同じように確信が持てたのだろう。
ガイアは頷き、マイオルとプラウティアに言った。
「私とモフくんはあれに引きつけられていたようだ」
その声に呼応したかのように二体の生き物はこちらを向いた。
そして少し揺らめいたかと思うと、周囲が淡く光り、ここまでの道中で使った魔力や体力が回復し、疲労が綺麗さっぱりなくなった。
「回復したの……?」
マイオルが呟くのを聴きながらガイアは自分の手や腕を見た。身体が少しだけ熱くなって、ほんのり赤みを帯びている。
「……マイオル。私にはあれらが敵だとは思えないのだがどうしたら良いだろうか」
そう言っている間にも二体はこちらに近づいてくる。
「正直あたしもそう思い始めているわね。というか何であんな見た目なのか分からないけれど、あれはきっと龍よ」
「私もそう思います」
マイオルもプラウティアも比較的落ち着いた様子でそう言った。
そんな風に迷っているうちにガイアの身体は何故かぴくりとも動かなくなった。
息はできるけれど声は出ない。ものすごく恐ろしい現象のはずなのにガイアは微塵も恐怖を感じなかった。
そして二体が目の前にやって来たあと、ガイアは静かに気を失った。
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