第288話:ホラリ島
ザス山と呼ばれる山にその男はいた。
男の名前はグラードンだ。
グラードンはもう六十歳を超える。冒険者としては引退しているのだけれど、日々の鍛錬を欠かしたことはない。
彼の名前を知る者は多くはない。何故ならグラードンがそう望んだからだ。
しかし、もしその辺りにいる冒険者に『炸裂』の冒険者を知っているかと聞いたら、ほとんどの者が首を縦に振るだろう。
グラードンはこの世界に七人しかいない白金級冒険者だ。
ゼノン、ペリパトス、ルフス、ピュロン……。様々な冒険者がいるけれど、未だにグラードンが最強だと信じる者も少なくない。
それはグラードンがいくつもの逸話を世に残しているからなのだが、本人はそのことにあまり執着していなかった。
「そろそろ頃合いか」
グラードンは山に生えている木に手を添えた。
グラードンが触っているのは木の皮で、その中には形成層があり、木部があり、やがて髄に至る。
だけど、そんなことにグラードンは全く興味がなくて、『何となく温かいな』と思っただけだった。
それなのになぜか感覚的に構造を把握しているのは、グラードンがこれまでに数多の物体に干渉してきたからだろう。
「時代が始まるのか……」
グラードンは再び呟いた。
そして若き頃のことを思い出し、また別の場所へ向かった。
実は、彼は自分の現在地を見失っていたのだけれど、全く気にしていなかった。
この場所で彼を害することのできる相手は限られているからだ。
ここはザスの山、かつて伝説が生まれた場所だ。
グラードンは伝説を探し、今日も彷徨っている。
◆
ホラリ島に着いたガイア達は、ガイアの祖母カエリアが滞在しているという宿を探していた。
修行を始めるのは早くても明日からになるので、半分は観光気分だ。しかし、もう半分では、情報収集や物資調達がどこでできるのかを探る気持ちがある。
この島はあまり有名ではないが、島の一画は石が積み上げられて要塞的になっているし、干潮の時に歩いていける島には古代の神殿があるらしく、観光に訪れる人もいるようだ。
以前だったらガイア達はそういうものに目もくれず修行一直線だったけれど、少しずつその場所の固有のものを楽しむようになってきた。
それは、そこを訪れることがもう二度とないかもしれないと思うからであり、仲間たちと楽しく遊べる時間がとても貴重なのだと気がついたからだった。
「珍しい果物は買いましょう! [植物保管庫]に多少しまえるので!」
ぴょんぴょん小さく跳ねながらプラウティアが言った。
プラウティアは、レベル3に上がった時に得たサブスキルで植物を亜空間に収納できるようになった。
この能力も樹龍の権能が発露したものだとガイアは考えているけれど、詳しいことは分からなかった。時間があればプラウティアに実験してもらい、魔法科学的な検証を行いたいとガイアは考えている。
「これはすごく珍しい種類ですね」
店の外に置いてある柑橘類にプラウティアがフラフラと引き寄せられていく。
ふとマイオルを見るとちょっとだけ苦笑いだったけれど、でも楽しそうなプラウティアを見てはにかんでもいる気がする。
モフは相変わらず静かだった。女三人の中に一人だけ入ってしまったけれど、いつも通り自然に楽しんでいるようだった。
「とても良い香りがしますね。似た品種で香料に使われているものもありますが、これはあまり見たことがありません」
プラウティアが手に取ったのは、緑と黄色の中間の色の柑橘だった。ところどころに薄黄色の斑点が入っているのが特徴的かもしれない。
「これが何かお店の人に聞いてきますね。すぐに戻ります!」
プラウティアは颯爽と店に入って行った。まぁ、プラウティアが手に取った時点で店員が見ていたのだけれど……。
目的の宿は近いのだけれど、祖母が今いるかも分からない。ゆっくり行くのが良いだろうとガイアは息を吐いた。
そして再びマイオルを見ると、何故か頬に一雫の涙を流していた。
「マ、マイオル。どうしたんだ……?」
マイオルは顔についた雫を払ってから、とても眩しい顔で言った。
「ううん。こうしてみんなとまた旅に出ることができて良かったって思っただけ……。セネカとルキウスはいないけれど、すぐ会えるしね」
ガイアはマイオルが思い悩んでいることを知っていた。
パーティのリーダーとしての悩みもあるようだし、自分が力不足ではないかと思い詰める時もあるのだ。
ガイアからしたらそんなことはないのだけれど、気持ち自体には共感することが多かった。
「この楽しみを当たり前にしよう」
ガイアは自分に言い聞かせるようにそう言った。
マイオルもモフもプラウティアもキトも、そしてきっとこれから何かに巻き込まれてゆくセネカとルキウスも……。みんなで苦しむけれど笑いがある旅をまた続けるのだとガイアは気持ちを新たにした。
「そのために修行に来たんだからねぇー」
モフがゆるく話すと、マイオルは少し落ち着いたようだった。
そんな風に話していると、次第に柑橘の香りが漂ってきた。爽やかだけれどちょっとだけ優雅な雰囲気がある。
「マイオルちゃん、これ飲んでみて。すっごい苦いよ」
店から出てきたプラウティアは器を持っていた。この香りの正体は、さっきの柑橘類のようだ。
器を渡されたマイオルは、立ち上る香りに顔を綻ばせたけれど、果汁を口に含むととんでもなく顔を歪ませた。
「これはキトちゃんのお土産になりそうだなぁ」
楽しそうに笑うプラウティアは、テキパキと買い物を済ませてからすぐに戻ってきた。
「それじゃあ、ガイアのお婆様の宿に行きましょうか」
さっきよりも元気になったマイオルの姿にガイアは胸を撫で下ろした。
◆
「言伝を預かっております」
滞在しているという宿に到着し、祖母の名前を出すと宿の人からそう言われた。
祖母は荷物だけ置いているけれど、ここ数日は宿には居ないらしかった。そんな気がしていたのでガイアは落ち着いて聞いた。
「ガイア様が来られた際には『ザス山に来るように』と伝えるように言われております」
「承知いたしました。ありがとうございます」
ガイアは頭を下げた。外観から分かっていたけれど、ここはそれなりに良い宿だ。宿の人もよく教育されていて、対応が丁寧だ。
「ザス山に行くとなるともう少し準備を整えたほうが良さそうだな」
そう言うとみんな頷いた。
「この辺りで宿を探して、明日の朝にザス山に向かうのが良いだろうか」
「そうね。念のため、そうしましょうか」
ザス山の頂上付近には強力な魔物が何種かいることが知られている。人里まで降りてくることは滅多にないが、しっかり休息を取り、準備してからの方が安心だ。
「それじゃあ、ガイアとモフでギルドに行ってもらおうかしら。事前に調べた宿のことを現地で確認してもらうのと、あとはザス山の情報収集もお願いね。私とプラウティアは物資調達しながら街の人に話を聞いてくるわ」
「分かった」
まずは祖母の捜索からだ。そう考えながらガイアはモフと共にこの島のギルド支部に向かった。
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